第三話 招かれざる見舞人と怒れる主治医
今日の私は、朝早くから両腕を組んで、
「南山さん」
「はい」
「私は昨日の夕方に、ちゃんと言いましたよね、早く退院したいなら、きちんと養生するようにって」
「……」
ベッドの上で小さくなっている南山さんが、なにやらブツブツとつぶやいた。
「なんですか、聞こえませんよ? 私、言いましたよね?」
「……言いました」
「じゃあ、どうして面会時間前の朝から、こんなにたくさんの人が、ここにいるんですか? ここは、外務省の出張所じゃありませんよ、病院です」
そう言いながら、窓際に並んでいる人達を、指で一人一人さしていく。私よりはるかに年上らしい人達が、私に指をさされるたびにビクッとなっているのを見ると、非常に複雑な気分だ。どうして朝から、おじさんやお兄さん達を叱らなければならないのか。私は幼稚園や小学校の先生ではなく、医者なのに。
「それは……」
「それは?」
「それは……今度の会合の最終的な詰めを、しなければいけなかったから、です……」
理由は聞くまでもなく、そうなんじゃないかとは思ってたけれど、まさか手術をした翌日の朝から、
甘かったな私。外務官僚の仕事に対する姿勢を、少しばかりなめていた。しかし、日本の国益を背負っている官僚だからといって、容赦するわけにはいかない。ここは病院であって外務省ではないのだし、私は南山さんの担当医で、患者さんの健康を見守る義務があるのだから。
「だからと言って、手術の翌日の朝早くからこんなふうに、大勢で病室に押し掛けてくるのを、許すわけにはいきませんよ。全員、さっさと出て行きなさい」
「いやしかし」
「しかしもかかしもありません。出て行きなさい。警備員を呼んでつまみ出してほしいですか? それとも、外務省に苦情の電話を入れてほしいんですか?」
「私は外務省じゃなく厚生……」
「なんですか?」
「……なんでもありません、すみません」
何度か一番年輩らしき人が口を挟もうとしたけど、それをさえぎり怖い顔をして全員を睨みつける。自慢じゃないけど、私の怒った時の顔はけっこう恐ろしいらしいから、男性相手にもそれなりに効果はあると思う。
「しかしですね、本当に、時間があまり無いんですよ」
今度はそこそこ若い人が、性懲りもなく口を挟んできた。まったくもう!!
「ダメなものはダメです。だいたい南山さん一人が抜けたぐらいで、会合が立ち行かなくなるなんてことはないでしょう? それとも今回のお仕事に携わっている人達は、なにもかも南山さんに押しつけていた、無能の集まりなんですか?」
さすがに無能と言われて腹を立てたらしく、全員がムッとした顔をした。しかし腹を立てているのは、こちらも同様だ。
「そちらがどういう仕事をしていようが、南山さんは私の患者です。私の患者さんである以上、私にはこの人がきちんと養生できるように、見守る責任と義務があります。それを邪魔する人はさっさと出て行きなさい。これは医者としての命令です」
「おはよーうさーん、
呑気な歌声もどきで部屋に入ってきたのは、
「こちらはお見舞いの人?」
「違いますよ。南山さんが動けないからって、仕事を持ってきた人達です」
「おやまあ。術後の痛みに苦しみながら、点滴でしか栄養が
「ああ、そうだ」と言って、西入先生は白衣のポケットから、透明のガラス瓶を取り出した。瓶の中身はホルマリン漬けにされた、切除された南山さんの虫垂だ。私から見てもちょっとグロテスク……。
「こーんなに膨らんでたんですよ、虫垂。もう破裂寸前です。これ破裂していたら、間違いなくショック死していたと思うんですがね。つまりは南山さんは、様々な修羅場を見てきた僕から見ても、かなりの重症患者一歩手前だったわけです。術後の回復が思わしくなくて、優秀な官僚を失うことになっても知りませんよ?」
そう言ってニッコリと微笑んだ西入先生の横に、夜勤明けで超不機嫌な顔をした東出先生が並んだ。
「それよりも、病人のところに仕事を持って押し掛ける方が問題だろう。こういうのは、人事院に報告した方が良いんじゃないのか。いくら公僕とは言え、俺達と同じ人間だからな」
「ああ、うちの理事長、たしかあそこに知り合いがいるって言ってたね、相談してみようか。じゃあ北川先生、僕達は理事長のところに行ってくるから、担当医として南山さんへの説明をよろしく頼むね」
西入先生は無理やり瓶を私の手に押しつけると、背広集団を素早くひとまとめにして部屋から押し出している東出先生と共に行ってしまった。もしかして二人の先生は、助っ人として駆けつけてくれたのだろうか?
「……はあ」
先生達が出ていったところで、思わず溜め息をもらしてしまった。病院に出勤してすぐ、詰め所の看護師さんに呼ばれてこの部屋に直行したので、院内カフェでいつもの目覚ましコーヒーを飲む時間さえなかった。とにかく、今日は朝から見知らぬ人達を叱りつけたりして、調子が狂ってしまってグッタリだ。
「あのう……」
南山さんの声で我に返り、彼の視線が、手に持っている瓶に注がれていることに気がついた。
「ああ、これ、南山さんの虫垂です。手術前に説明した通り、ここに膿が溜まって炎症を起こしていたんです」
その部分を指でさしながら、説明をする。
「さっき西入先生がおっしゃっていた破裂っていうのは、これが破れて、中に溜まっていた膿とばい菌が溢れ出して、体中に撒き散らされるってことなんです。いきなりショック死なんてことはマレですけど、破裂しなくて本当に良かったですよ。あ、そうだ。これ、記念にどうですかって」
「ええ?!」
たまに、ヘルニアの手術で切り取った部分を記念に持ち帰る人がいるらしく、南山さんはどうするかなって話だった。さすがにこれはちょっとグロテスクだから、持ち帰らないんじゃ?と言ったんだけど、西入先生から言われていたので、とりあえず尋ねてみる。
「そりゃ、昨日までは僕の大事な一部ではあったんでしょうけど、要らないです」
「ですよねえ。じゃあ、捨てますね」
「え、捨てちゃうんですか?」
「はい。……やっぱり持って帰りますか?」
「……いえ、捨ててください」
「わかりました」
私が白衣のポケットに瓶を押し込むのを、南山さんは微妙な顔をして見つめている。
「ところで、北川先生」
「なんでしょう」
「女性に年を聞くのは失礼だとは思うんですが、おいくつですか?」
「はい?」
どうしてそんなとを聞くのかわからなくて、首をかしげる。
「いえ、うちの連中に反論の
局長と聞いてイヤな予感しかしない。
「……ちなみにその局長さんって方は、おいくつなんですか?」
「えっと五十歳とか言ってましたけど」
「あのー……私、そんな年はとってませんよ?」
「え、いやっ、それはわかってますけど!」
それを聞いて一安心。だって、患者さんからも北川先生って落ち着いているから、とても大学でたての研修医には見えないわ~なんて言われることがあったから。最近は、私ってもしかして老け顔なのかしら?と少しばかり気になっていたのだ。
「これでも、卒業して一年経ってないんですけどね」
「ってことは二十四か二十五?!」
「なんでそこで驚くんですか?」
「まさか年下とは思いませんでした。てっきり年上かと……あの、なんですか、その驚いた顔」
南山さんが不審げな顔をして私のことを見るので、慌てて顔を引き締める。
「ちょっと北川先生」
「……実は私も、南山さんが年上とは思ってませんでした」
「それってどういう……?」
「えーと……てっきり年下かと」
こちらの言葉に、ガックリしているのが分かった。
「大丈夫ですか?」
「……よく言われるんですよ、それ。同期の連中は若く見られて良いじゃないかって言うんですけど、慰めになりません」
「年増にみられるよりかは、マシだと思いますけど」
「あの、ちなみにいくつばかり年下だと?」
「てっきり入省したての
ああ、正直に言いすぎたかな。南山さんがいくつか知らないけど、せめて一つ二つと言っておけば良かったかもしれない。目の前で落ち込む南山さんをながめながら、ほんの少しだけ後悔した。
「でも良いじゃないですか。年を取ればきっとそのことを、ありがたく思うようになりますよ」
「慰めになってません」
「そうですか?」
「そうですよ」
ちなみに、南山さんは私より二つ年上の、二十七歳だとか。
ってことは私、南山さんから
まあお互いの年齢が判明して、年上年下がはっきりしたことではあるけれど、だからと言って、年上の患者さんの言いなりになるのかと言えば、そんなことはまったくない。私としては、目下の者に叱られるのが恥ずかしくないんですか?という、新たな武器を手に入れることになったわけだ。
「とにかく。早く退院したいなら、大人しく入院生活を満喫してくださいね、南山さん。まあ、当分はまともに食べられないですから、患者さん達においしいと評判の病院食を食べるのは、当分先になりますけども」
「あの……普通の面会時間内なら問題ないですよね……?」
「……」
はぁぁぁ……と大きな溜め息が出てしまった。本当に困った人、いや人達だ……。
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