第49話 桃の華にカーネーションを

 パステルとカーネーションは喫茶店に移動した。「仕事の話がある」という言葉に、パステルは乗ってしまったのだ。

 店内は物静かで客数は少ない。小さい音量で流れるジャズ音楽が大きく聞こえるほどだ。内装はアンティークの骨董品や古時計が置かれ、年季を感じさせる。

 パステルは二人掛けの茶色のソファにちょこんと座っており、黄土色のテーブルを挟んだ向かいにカーネーションが座っている。

 紅茶を嗜むカーネーションは品のあるお嬢様に見える。長いブロンドの髪はなめらかな艶があり、汚れのない白いワンピースに合っている。だがパステルにはその白さが白く感じられなかった。カーネーションの持つ雰囲気が、その白を濁らせていたのだ。言いようのない恐怖を感じたパステルは、カーネーションについて行った事を少し後悔していた。


「パステルさん」


 パステルの体がビクッと動く。


「緊張なさらなくていいですよ」


「あの……私の家の住所は何処で知ったんですか?」


「仕事の話があると事務所に話したら、住所、教えて頂けました」

 

 パステルは落胆した。事務所にとって、自分はもうその程度の扱いなのだと。

 自分の家の住所を事務所が勝手に教えるなんてありえない。


「単刀直入に申しますと、リリー・レズビアン・ラインの広告塔になって頂けませんか?」


 広告塔とは、団体の宣伝を担う有名人、もしくは建造物のことを指す。


「広告塔ですか? ……それより、リリー・レズビアン・ラインって何ですか?」


「ご存知ありませんか?」


「ごめんなさい。全く」


「無理もないですわ。二年前に発足したもので」


 カーネーションは口に手を当て微笑む。


「リーダーであるリリー様を中心とした団体で、「この世の女性全てを百合に変えよう」をモットーに活動しています」


「もしかしてカーネーションさんは……レズビアンですか?」


「ええ、そうです。ちなみにわたくしは、リリー・レズビアン・ラインの幹部をしています。実質ナンバー2ですね」


 今までパステルはレズビアンと思われる人と接したことはあっても、完全にレズビアンだとカミングアウトした人と面と向かって話した事はなかった。パステル本人はストレートのつもりでもプロフィールでレズビアンと明記している以上、別のレズビアンの女性に目をつけられるのは仕方がない事だ。

 パステルの手が汗で滲む。

 もしかしたらレズビアンを装っていることがバレるかもしれない。

 過去のインタビューで好きな女性を聞かれた時に「ヴィーナちゃん」と答えたが「他には?」と聞かれてすぐ様答えられなかった。このインタビュー以降、好きな女性を複数用意した。今までにもファッションレズがバレそうになった事は何回かあった。本物のレズビアン達に囲まれたら確実にファッションがバレる。


「お偉い方なんですね。……私に広告塔は無理です。わざわざお越し頂いて申し訳ありませんが」


「もし広告塔になって頂けるのでしたら、幹部の座を用意致します」


 カーネーションは自信満々な様子。カーネーションにとっては好条件を提示したつもりだったのだろう。


「幹部ですか?」


「今幹部は二人いて、パステルさんは団体内でナンバー4という形になりますが」


 パステルにとってあまり魅力のない条件。百合団体に入ってナンバー4の座に甘んじるなんて、昭和の歌姫セイカちゃんだったら、この条件は飲まないはずだと、パステルは考えた。


「ごめんなさい……幹部とか私には荷が重いです。もう失礼してもいいですか?」


 そう言ってパステルは立ち上がる。


「アルバム、出したくはないですか?」


 パステルの動きが止まった。

 そんなのは出したいに決まっている。


「もし広告塔に入って頂ければ、新しいアルバム制作にご協力致します」


「後はマネージャーを通して頂けますか? 連絡先教えますので」


 パステルは話を完全に断ち切るつもりだったが、アルバムの魔力に気持ちが傾いてしまった。ただ今はこれ以上カーネーションと話をしたくなかった。

 結果、マネージャーに話を丸投げした。


 数か月後。

 街がひな祭りイベントで盛り上がる中、パステルとソフィアはいつものようにカラオケを楽しんでいた。そんな中、ソフィアは深いため息を吐いて浮かない表情をしていた。


「ソフィア、何かあった……?」


「実は私……第二回メンズ・オークションに入札者サイドで出ることになって」


 ソフィアの親はアメリカSWH代表取締役のストック・トルゲス。メンズ・オークションはその会社主催のイベント。何かしらの事情で出ざる追えなくなったことぐらい、パステルにも容易に想像が出来た。


「またやるんだ、あのイベント。辞退出来ないの?」


「……出来ない」


 ソフィアの家庭環境が複雑なのは、愚痴の内容からパステルは知っていた。

 姉のヴィーナは好きだが、妹のギフティは嫌い。理由はわからないが、詳しくは聞かなかった。触れられたくない部分もあるだろうと思ったからだ。


「……お願い!」


 ソフィアはパステルの手を握りしめる。


「私と一緒にメンズ・オークションに出てほしい!」


「出てほしいって言っても……出れるの?」


「入札者枠は三枠なんだけど、今回は一般枠があるの!」


 ソフィアはパステルにメンズ・オークションのことを詳しく話した。最初のメンズ・オークションの入札者三人は全て招待枠だったが、二回目から仕様が変わり「最高入札者枠」「運営ゲスト枠」「一般枠」へと変更になった。一般枠は各国で販売される結婚宝くじを購入し、当たった人が選ばれる仕組みだという。


「そのくじって当たるの?」


「私が確立を計算して大量購入するから、もし当たったらパステルに出てほしい」


 ソフィアは飛び級制度を利用し、十六歳の時には既にハーバード大学を卒業していた。高校を中退したパステルとは違い、ソフィアは超エリートの天才。そんな彼女に確率を計算して結婚宝くじを当てると言われたら当たる気がしないでもない。

 パステルは即答出来なかった。

 落ち目のアイドルも、今後の活動に悩んでいたのだ。

 カーネーションの話をパノラに丸投げしてから、話しがどうなったのかわからない。パステルとパノラの関係は悪化しており、パステルはカーネーションの事をパノラから聞けないでいた。あの喫茶店での出来事以来、パステルはカーネーションの悪夢を見るようになった。言葉攻めを受ける夢。追われる夢。ファッションレズがバレる夢。その効果を倍増させたのは、カーネーションと街ですれ違う頻度の高さだ。パステルは軽いノイローゼになっていた。


「最初のメンズ・オークションに出た人達は今どうしてるの? 結婚は成立したんでしょ?」


「うん。大女優のヴィオラさんが結婚を勝ち取った。二人は今幸せに暮らしてると思う。この時代で唯一無二の夫婦だね。人間同士では」


 唯一無二。パステルはこの言葉に強く惹かれた。もしメンズ・オークションに出て旦那をゲットすれば、唯一無二になれなくても世界で二組しかいない夫婦の内の一組になれる。そうなれば世界的に注目を浴びることができる。


「わかった。私出るよ、メンズ・オークション。ただマネージャーに相談してからじゃないと」


「ありがとう!」


 ソフィアはパステルに抱きついた。顔を寄せて力強く。パステル自身先の見えない状況に苦しんでいたが、必死なソフィアを見て、彼女もまた大変なんだと思い胸を焦がした。

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