第34話 ボディチェックメイト

 二人は無言になり時間が止まる。

 脱げと言われてもゆきひとは両腕を縛られており自分で脱げなかった。


「あぁ悪い悪い」


 ローズはゆきひとのタンクトップを引きちぎり、大胸筋を鷲掴みにする。


「んぐっ」


 ゆきひとは必死に堪えている。

 大声を出せる雰囲気ではない。

 ローズは「ふーん」と言いながら、パイタッチの次はパイノックをした。胸筋の筋肉は固かったが弾力もあった。


「あ、勘違いするなよ。アタシは同性が好きだから。ただ男の肉体構造に興味があるだけだ」


 どうやら殺す気はないらしい。それならば黙って触らせておけばいい。時間が経てば助けは来る。ゆきひとは好機を待つことにした。


「太いな」


 ローズの動きは、プラモデルやフィギュアの構造を調べる少年のそれと同じだった。純粋な好奇心は恐ろしくもあるが、注意力は格段に落ちる。今のローズには隙がある。ゆきひとは辺りを見渡した。右足付近に転がっているスマホが目に入る。足の指でどうにか出来る状況ではないが、目の前のチャンスに男の体は動いていた。無心で延ばした足の親指がスマホの画面に触れた。

 

 「ブルルルルッ」とスマホが振動した。

 画面が光り着信音が鳴る。

 ローズは着信音の鳴る方へ振り向いた。


「うおおおおおおぉぉおぉおぉっ!」


 ゆきひとはローズに体当たりして覆いかぶさる。

 男の筋肉はかなりの重量がある。ローズは身動きがとれない。


「おいっ! どけっ!」


 ゆきひとの視界にスマホの光る画面が見える。

 

「ヴィーナ!」


 スマホの画面をスライドさせないと通話ができないが、ナノマシンと連動させればノンタッチで通話可能だ。ゆきひとは意識を集中してナノマシンに働きかける。その間、ローズは必死にゆきひとの脇腹を殴り続けた。ゆきひとの意識が飛びそうになる。それでもスマホの通話画面をこじ開けようと歯を食いしばった。

 「開け! 開け! 開け!」と念じていると男の意識の中で何かが開いた感触があった。スマホは通話状態になっている。


「開いたっ!」


 その瞬間、男の腹部に強烈な激痛が走った。


「ぐあっ」


 ローズがゆきひとの腹部を締め上げている。ゆきひとは海老ぞりになった。ローズは両足を丸めて、ゆきひとの後ろ手の輪に足をかける。凄まじい脚力で男の上体を起こし、両腕の怪力で浮いた男の体を突き飛ばした。

 ゆきひととスマホの距離は離れた。男はせっかくの救援の機会を逃してしまったのだ。体の痛みと落胆で身動きが取れない。悔しさで目が滲む。

 ローズは自分の体に付着した塵や埃を払い、無残に引きちぎられたタンクトップを拾う。それをゆきひとの口に巻き付け、男の口の中を汗まみれにした。


 スマホは通話状態のまま。

 ローズはそれ拾う。


「ヴィーナ社長、お久しぶりー」


 二人の格闘から五分が経過した。

 ゆきひとは大人しくしている。

 ローズとヴィーナの会話が気になったのだ。小さい声が微かに聞こえる。電話越しのヴィーナの声は慌てているように感じる。しかし内容までは聞きとることができなかった。どんな会話をしているのだろうか。人質交換とか、そういう交渉をしているのだろうか。


「……そこで何をしてるんですか?」

 

 セラの声だ。床に転がる男とヘッドマシーンボディスーツを見たら全うな反応と言える。ローズは通話を切ってスマホを床に投げた。


「キミィ、何処かで見たことがあるナぁ」

 

 ローズはゆっくりとセラに近づく。

 セラは後ずさりする。


「あなた、あの時の……」


「東京サークルドームではありがとう。お嬢ちゃんが会場の内装を教えてくれたから、天上からの突撃に予定を変更したんだ」


 ローズとセラは面識があった。


「私を騙したんですか!」


「人聞きが悪いナぁ。アタシは本当に道に迷ってたんだよ」


 何も知らなかったセラは、ローズに東京サークルドーム内を案内していた。

 セラとローズの会話に戸惑うゆきひと。セラもヴィーナ達同様、LLLがサークルドームに乗り込むことを知らなかった。つまりLLLも施設の構造を下見する必要があった。ネットの情報だとLLLの突入はメンズ・オークションに最初から組み込まれたプログラムということになっている。全てがチグハグで男の頭は混乱した。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 この状況を何とかしなければならない。

 ローズはセラとの会話に意識が向いている。またチャンスが訪れたのだ。ゆきひとは立ち上がり、再度体当たりをしようと駆けだした。


「動くなっ!」


 ローズの頬に冷たい銃口が触れる。光学迷彩で隠れていたクレイが姿を現した。ゆきひとは勢い余ってセラの横に倒れ込む。


「役立たずのボディガードさんが今頃何用で?」


「貴様の安い挑発にはのらん。手を上げろ」


 ローズはかったるそうに手を上げる。


「そのヘッドマシーンは私の光学迷彩を見抜けないのか? 何の為にある」


「それは秘密」

 

 ローズがにやりと笑った瞬間、煙が瞬く間に広がった。

 クレイは慌てた様子でセラの方を向く。セラはゆきひとを気遣っていた。二人の無事に安堵し視線を戻した時には、もう既にローズはいなくなっていた。

 クレイはセラとゆきひとの傍まで駆け寄る。そして自身の上着をゆきひとの肩にかけた。


「畜生!」

 

 ゆきひとは絨毯に拳を叩きつけた。


「俺、役立たずじゃん……」


「気休めにはならないかもしれないが、相手は幼少期からナノマシン入りの体で鍛錬を積んでいる。一か月程度では追いつけんよ」

 

 クレイの言っている意味は理解出来ても、ゆきひとは気が収まらなかった。


「ゆきひとさん……」


 セラの声が空しく響いた。


 ゆきひととタンナーズの別れの時。

 カジノタウンのシンボルである黄金の摩天楼の前に、タンナーズとその部下達が並んでいた。タンナーズはローズの策にはまったことをゆきひとに詫びた。ローズはアラブの一匹狼と恐れられ、カジノタウンでは割と有名な存在だった。度々カイロに訪れてはタンナーズの部下を引き抜いていくので、女帝はマフィアだけではなく一匹狼にも手を焼いていたのだ。

 ゆきひとはタンナーズの話を聞きつつも何処か上の空だった。まだ心と体の傷は癒えていなかった。そんな元気の無いゆきひとをタンナーズは思い切り抱きしめる。男にとって出会い頭の抱擁は苦しかったが、鍛錬や襲撃の終えた後の抱擁は女帝の愛と温もりに変わっていた。ゆきひとは一分間身をゆだねた後、取り敢えずではなくキチンと「ありがとう」を伝えた。

 クレイとセラもタンナーズやその部下達と握手を交わした。何時の間にか仲良くなっていたのだ。

 カジノタウンを去る三人が見えなくなるまでタンナーズ達は手を振り続けた。

 ゆきひともタンナーズ達が気になり何度も手を振り返した。女帝達の様子を見ると名残惜しさで胸がいっぱいになる。男は心の中で、もう少しカジノを楽しめばよかったと後悔した。

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