第29話 霧雨の別れ

 ヴァーチャルダーリン不倫疑惑の裁判は、双方弁護人の話し合いによる和解という幕引きになった。


 翌日。

 オネットのマンション内でささやかな慰労食事会が開かれた。

 参加者はゆきひととオネットとセラの三人だけだ。

 ダイニングの時計の針は午後七時を差している。

 テーブルの皿には、クレープに生ハム、鶏肉、チーズなどがトッピングされている。塩味のクレープ「クレープ・サレ」だ。食事を用意したのはセラで、もう空いている皿を洗っている。

 オネットはソファに寄りかかり、ビールをジョッキで飲んでいた。既に酔っ払っている。ゆきひとはオネットのすぐ隣でホットコーヒーを飲んでいる。

 裁判は和解に持ち込んだが、またクライアントを怒らしてしまったとオネットは気落ちしていた。本来であればクライアント優先で勝ちにいかなければならないのだが、ゆきひとからデュランの話を聞いて方針を転換した。デュランが不倫示唆されたという情報が正しければ、トロワはヴァーチャルダーリンとの結婚の契約違反をしていることになる。

 結果的にクライアントの利益よりも法の正義を信じたのだ。

 オネットは酔いながらあーだこーだとゆきひとに絡む。ゆきひとは「オネットさんの判断は間違ってなかったと思う」と背中を押した。

 オネットは気を良くして、ゆきひとの肩にもたれかかる。そのまま寝てしまった。ゆきひとは黙って肩を貸す。静かにその空気感を楽しんだ。

 セラが皿を洗い終わると、一時の夫婦はソファで寝息を立てていた。仲のいい本当の夫婦のよう。セラは微笑んで二人に毛布をかけてあげた。


 一週間後。

 オネットの個人事務所の荷物整理の為、部屋の清掃が行われた。オネットは以前所属していた事務所に戻るのだという。元々独立したのは自分の力を試す為で、個人で活動することに拘りは無い。ヴァーチャルダーリン不倫疑惑の裁判はオネット個人では解決出来なかった。そのことをオネットは自覚し、また一からスタートしようと気持ちをリセットしていた。

 オネットは結婚というものをまだわからないと言う。ただ彼女にとって夫は「同士であり戦友」だと、ゆきひとに思いを語った。この結婚生活を通じ前の事務所が恋しくなったとも語っていた。


 トロワとデュランの離婚が成立しデュランは人権を失った。ヴァーチャルダーリン提供元のリップホイップの見解は、不倫は示唆されたものということで特殊な自我を持ったAIデュランはデリートされずに会社の管理下に置かれることとなった。

 一方のアンサリーは今回の騒ぎの責任を取り退社。今は行方がわからない。

 今後人権を失ったデュランの記憶データは解析され、もし不倫示唆の映像なり音声が確認されれば、今度はリップホイップがトロワに訴訟を起こす構えだという。

 デュランが記憶データの提示を拒否したのはトロワを守る為だったのか、今となってはもうわからない。

 結果、この裁判の顛末は喧嘩両成敗という形で締めくくられた。


 六月十五日。

 ゆきひととオネットの結婚生活最終日。

 ゆきひとはもう次の結婚相手のいる国に旅立たなければならない。

 オネットのマンションの外は霧雨が降っている。

 曇り空だが日の光が所々差している。お天気雨だ。

 マンションの入り口の前で別れを惜しむ二か月間の夫婦。

 オネットの瞳からは雫が流れていた。

 それが涙なのか雨の雫なのか。

 涙もろい彼女の性格から判断するしかない。

 手を振り続けるオネットにゆきひとは手を振り返した。

 そして次の目的地へと足を進めた。

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