第11話 バックヤードラン

 午後三時。

 ゆきひとはリムジンの中にいた。目的地は東京サークルドーム。メンズ・オークションの開催会場だ。本来であればベスト・ワイルド・ジャパンに出場し、もうイベントを終えていたはずだった。何故こんなことになってしまったのか。考えても考えても答えは出ない。ベスト・ワイルド・ジャパンの会場で迷い、とある部屋に入った瞬間意識を失い未来に飛んでいた。会場で迷わなければこんな目に遭わなかったのだろうか。

 ゆきひとの傍にはヴィーナではなくセラがいた。不意に目が合う。作り笑いを浮かべるゆきひとに対して自然な笑顔で返すセラ。少女は安心感を作り出す天性の才能を持っているようだ。落ち着いたゆきひとは視線を窓の外に向ける。当たり前だがサングラス越しの風景は少し薄暗かった。

 リムジンの窓ガラスが曇りガラスになる。外の様子を確認出来なくなった。車体が前方に傾く。地下に入っていったのだろう。

 ある程度進んだ所でリムジンが止まる。そしてドアが開いた。


 ゆきひとはゆっくりと外に出る。そこは東京サークルドームの地下駐車場。ゆきひとのいた時代の駐車場とあまり見た目の変化がなくコンクリートの外壁が広がっていた。変わり映えしない場所を見せられたら本当に未来に来たのかと疑心暗鬼になってしまう。

 後からセラもリムジンから降り、運転席からクレイも降りて来る。クレイはゆきひとの手首を掴んだ。


「まずは衣装部屋だ。行く前にトイレは大丈夫か?」


「コンディションは整っているが念の為に行っておく」

 

 ゆきひとは前日の腹痛を踏まえ、あれから水分以外を口にしなかった。昨日の食事で不覚はとったが、ベスト・ワイルド・ジャパンの為に整えたコンディションと体内に埋め込まれたナノマシンの影響で体は万全なものへと仕上がっていた。


「流石だな。ついて来い」

 

 クレイはゆきひとの手首を掴みながら小走りで進む。今更逃げると思っていないだろうが用心は怠らない。セラも必死について行く。細く入り組んだ通路を進んで行く。帰り道を覚える余裕はないほどの複雑な通路だ。ゆきひとはトイレを済ませてから衣装部屋に連れられる。

 中は広いウォークインクローゼットのようになっている。スーツ、オーバーオール、Yシャツ、Tシャツ、デニム、短パン、海パンなど様々。何でもある。


「これはすごいな」


「貴殿の為に用意した。全てオーダーメイドだ」


 ゆきひとは急いで着る服を選ぶ。選んだのは黒いタンクトップ、黒いジョーカーパンツ、黒いパーカーだ。


「それでいいのか?」


「トレーニングで似たようなものを着用している。多分これを着ていれば自然体でいられる」


「そうか」


 ゆきひとは辺りを見渡す。


「あの、更衣室は?」


「必要なら用意させるが」


「いや、ここで着替えます」

 

 選んだ衣装を身に纏い、黒いサングラスをかける。全身黒である。


「もうサングラスは必要ない」


「いや、これもステージ衣装に加えたい」


 それも理由の一つではあったが、ヴィーナから貰った物をゆきひとは手放したくなかったのだ。

 ゆきひとが着替え終わった所で、一同は衣裳部屋を出た。


「ゆきひとさん!」

 

 セラはこれから戦に臨むであろう戦士を呼び止める。


「私はここまでです。メンズ・オークションが無事に終わることを祈っています」


「おう、頑張るぜっ!」


 戦士は、精悍な顔つきになっていた。そして麗人に連れられて走り出す。

 少女は見送ることしかできなかった。


「ご武運を……」


 辺りは薄暗く青白い。ラストダンジョンの深層部のように重々しい。壁に手を付かなければ真っ直ぐに歩けない。浴び慣れたと思われる蛍光ライトのバックヤードと雰囲気がまるで違う。

 奥の方で一際目立つ淡い白い光が見えた。直感で建物の中心部だとゆきひとに思わせた。よく見ると一人の女性が佇んでいる。


「ヴィーナさん!」


「ゆきひとさん。二日ぶりですね。本日はよろしくお願い致します」

 

 一同が立っているのは巨大な円形の昇降機。

 上昇すればステージの代わりになる。


「ヴィーナ社長、お待たせ致しました」

 

 クレイの引き締まった声は息一つ乱れない。


「社長!?」


「あれ、言ってませんでしたっけ」


「多分聞いてない!」


「不釣り合いですよね。自分でもそう思います」


「いや、そんなことはないですよ」


「今の時刻は午後三時五十分です。後十分で後半の部がスタートします。後、私とはナノマシンによる通信が可能です。距離は限られますが」

 

 ヴィーナは耳に手を当てる。


『あー聞こえますかー?』

 

 ゆきひとの頭にヴィーナの声が響く。

 返事の仕方がわからず、ゆきひとはしどろもどろしている。


『頭で伝えたいことを意識して、話すって感じでしょうか』

 

 ゆきひとはヴィーナと同じように耳に手を当てる。


『筋肉があれば何でも出来る』


『聞こえました』


『……今の聞こえたんですか?』


『ちゃんと機能してますね。ステージでは周りの歓声で声が聞こえない場合もあるので、通信での会話をお願いします』


『了解です』

 

 伝えるつもりの言葉ではなかったので少し恥ずかしい思いをするゆきひとだったが、すぐ様次の予定を思い出す。


「で、俺はステージで何かしないといけないんですよね」


「はい。昇降機が上がってメイン会場についたら音楽が流れますので特技を披露して下さい。話によるとボディビルのポージングみたいなことをするとか」


「それしか思いつきませんでした」

 

 ゆきひとは照れ臭そうに笑う。

 一方ヴィーナの表情は暗い。深く息を吸ったり吐いたりして深呼吸をしている。ヴィーナは前回のイベントと同じ失敗をするまいと心に刻んでいた。当時、日本を含め数か国のSWHの代表取締役社長であったヴィーナの母は、第二回メンズ・オークションの失敗の責任を取って社長職を辞任した。その失敗からの経緯でヴィーナが社長職を引き継いだのだ。第二回メンズ・オークションでヴィーナは裏方のポジションだったが、最大の原因であるメンズ・オークションに出す男性を母や姉妹と決めたこともあって自身の責任が全く無い訳ではない。

 今回のメンズ・オークションが失敗に終われば会社のダメージは計り知れない。そう思うと体がすくんでしまうのだ。

 そんな顔面蒼白のヴィーナをゆきひとは心配そうに見つめた。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です。……私が緊張してたら、ゆきひとさんまで緊張しちゃいますよね」


「少なくとも今は緊張してないので大丈夫です!」


「このイベントが失敗したらと思うと胃が痛くて……」


「……俺、出来る限り頑張りますんで」


「感謝しています。今回選んだのが貴方で本当に良かった」

 

 ゆきひとは浮かれていた。ヴィーナの優しさ美しさに自然と好意を寄せていた。

 

 東京サークルドームのメインステージの巨大フロアは暗闇で包まれていた。後半の部まで後わずか。女性達の騒めきは隠せない。観客席の電子機器から漏れる小さな光や装飾品の宝石が煌めいて、夜空を反射する海上の波のようにうねっている。その波は今か今かとビックウェーブを待っている。そんな状況の中、会場に設置された大型の電子時計が午後四時に変わった。


 中央を飛んでいるスカイパージに光が降り注ぐ。そこには堂々とし、マイクを力強く握りしめたパステルの姿があった。


「レディース&ガールズ!! お待たせ致しました。今宵のメインディッシュ。極上のメンズ。生きとし生ける最高のメンズの入場です!」

  

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