男子補完計画
クロ
オークションクラッシュ「3rd」
第1話 プロローグ 白銀の壁 【1】
全てを失った俺に今何が出来るのだろうか?
鏡を前に髭を剃りながら考える。
でも進むしかない。
ボサボサに伸びた髪をバリカンで短く整えながらそう思う。
これからとある男に会いに行く。目的地はラストグリーンという名の病院。念のため小奇麗にしておく必要がある。髭の剃り残しはない。かなりの時間体を動かしてなかったが、体形は変化はみられない。顔はまだ……やつれているかな。
現在地はストック・ウィッシュ・ホールディングスという会社のビル。ある意味俺にとっては全てのはじまりの場所。俺はこの場所から巣立って行く形になる。サングラスを合わせた黒々しい服に身を包んで、お世話になった場所を後にした。
眩しい。
久しぶりに太陽の光を直に浴びた。暑い。まだ四月ぐらいだろうが、闇の中にいた俺にとっては眩しくて仕方がない。ドラマでよく見る様な仕草で、日の光を遮ってみる。まだぼんやりととした感覚は抜けてないが、幾分か落ち着いた。実際の所、感傷に浸っている場合ではないが、今は徐々に体調を戻していくしかない。
渋谷の駅前に着いた。見慣れた風景だ。この街は風情を残しているんだっけか。そびえ立つビルの大型スクリーンに目がいく。映し出されていたのは、女社長の退任会見。申し訳なさそうな表情で淡々と弁明をしている。
「……行こう」
見ていられなかった。
こうなってしまったのも、全て俺のせいだから。
少し迷いつつも目的の病院はあった。
表にでかでかと名前も載っていたし、間違いなくここだろう。
中に入ると白いカウンターの受付が見えた。受付の女性に事情を説明すると、話が伝わっているようで、会う予定の男の部屋まで案内してくれることになった。
太陽の光を浴びた時とは一転して、無機質な廊下がとても冷たく感じられた。喪失感が抜けてないからだろうか。俺の事を気にしてか、案内役の女性が俺の様子を伺っている。いや、この施設で働いている他の女性職員達も俺をちらちらと見ている。
俺の表情が暗いから注目を集めている……という訳じゃないな。
当たり前か。
もうこの地上には、俺を含めて男は「三人」しかいないのだから。
案内役の女性の足が止まった。どうやら目的の部屋に着いたようだ。ドアに向けて手を差し出し、ニコリと笑って一礼した。俺の状況を少なからず知っているはずだが、嫌な感じはしない。丁重に案内しろと言われているのだろう。そんな事を考えている間に、女性は去っていた。
「……行くぞ」
緊張する。
あれだけ色んな経験をしても、こういうのはやっぱ慣れないな。
手が汗で滲む。
ゆっくり、ゆっくりとドアを開けた。
部屋の外装は青白く、マットを敷いて器械運動が出来そうなほど広い。その部屋の中間は巨大なガラスで仕切られている。清潔感のある面会部屋みたいだ。部屋の天井から隅まで見る流れで、視線が中央にいく。
視線の先、ガラスの奥に男がいた。
髪は銀色で顎髭を生やした壮年の男。壁の色と同色の病衣を羽織って、ソファのようなクッションの塊に腰を掛けている。この部屋のカテゴリーは「精神病患者」向け。即ち、相手の男は精神病患者。見てくれはまるで罪人のようだが、俺と同じ被害者のようなもんだろう。外見は四十代半ば。三年ぐらいここに滞在しているんだっけか、やけに肌が白い。体は程よい筋肉がついているな。鍛えているのか? ……いかんいかん、職業病みたいなものが発動してしまった。ガラス越しのおじさんも戸惑ってるじゃないか。
……まぁ、取り敢えず話かけてみるか。
「初めまして、俺の名前は大桜ゆきひとっていいます」
まずは自己紹介から。
基本中の基本だな。
「僕の名前はエーデル・スターリンだ。呼び捨てで構わない」
「わかりました」
「僕に何の用かな?」
警戒してるみたいだ。無理もないか。
わざわざ立って此方の方に来てくれたから、話を全く聞いてくれない人ではないと思うが、何処から話そうか。
「エーデルに会ってみたかったんです。だって、今陸上で活動している男は「三人」しかいないんですよ?」
「君を含めたら四人じゃないのか?」
あの人がどうなったかは知らないのか。
でも数人しかいないというのは知っているんだな。
情報は遮断されているだろうが、全く何も知らないという訳ではなさそうだ。
「元々この時代にいた方が亡くなられたんですよ」
「この時代最後の男性か。もう一人のアメリカの男は今どうしてるんだ?」
アメリカの男、懐かしいな。
「この時代に溶け込んでましたね」
「会ったのか? 随分自由が利くんだな」
「……いや、不自由ですよ」
そう、自由ではなかった。
この一年で、ショーのような結婚を半ば強制的に繰り返してきた。
フランスの敏腕弁護士。
アラブのカジノクイーン。
世界に七人しかいない純血の日本人女性。
一度干された元アイドル。
姉大好きの科学者。
トランスジェンダーのボディガード。
ハリウッドスターでもあるアメリカの大統領。
そして科学者の妹を持つ女社長。
結婚とは言えないような結婚。
全て事実婚で法を犯した訳じゃない。
会社によるビジネスで結婚を重ねた。
思い出すと、苦しくて苦しくてたまらなくなる。
でも……今は、ちゃんと話さなければ。
「俺が情報を得たのは、たくさんの女性と結婚生活をしたからです。ある女性からは情報を得ることの大切さを学びました。無知は罪だと」
「確かにその通りだな。でも当時の事を思い出したくない……今日はもういい。帰ってほしい」
その言葉と共に巨大ガラスが曇りだした。慌てて巨大ガラスに駆け寄ったが、その日曇りガラスが晴れる事はなかった。
エーデルに会ってから一週間が経った。
俺はというと、病院の食堂でカツカレーを食っている。結構メニューが豊富だ。
あれから何度かエーデルを尋ねたが、中間の仕切りは曇ったまま。どうしたものか。どうするべきか。
「ヴィーナはどうしてるかな。大丈夫かな」
気になってしまうのは、やっぱヴィーナの事。もしかしたら心ここにあらず状態を、エーデルに見透かされているのかもしれない。だめだ。今はエーデルの事を考えないと。
「粘るしかないか」
食事を終えた俺は、再び曇りガラスの前に立つ。
ちゃんと話せば伝わるはず。
「エーデル。俺の話をします。男の過去に興味は無いかもしれないけど聞いて下さい。俺、この時代に来るまでベスト・ワイルド・ジャパンという大会でチャンピオンを目指してたんです。ベスト・ワイルド・ジャパンっていうのは、ボディビルとは違ってゴリゴリ筋肉ではなく、野性的でかっこいい筋肉が求められるんです。正直筋肉のことばかり考えてました。新しいプロテインのこととか、隙があれば腹筋とか懸垂がしたくなって。俺は二〇十八年の夏大会に向けて体を鍛えてたんです」
「二〇十八年?」
奥の方からエーデルの声がしたのと同時に、巨大ガラスが透明度を取り戻した。
「ようやく顔を見せてくれましたね」
「僕は二〇十五年だった。アレの選定基準は何なんだろうな」
「メンズ・オークションのことですか?」
「あぁ」
メンズ・オークション。
それはこの時代最大のスぺクタルショー。
俺とエーデルが経験した共通の出来事であり、ほろ苦い思い出でもある。
「今陸上で活動してる男は三人だったか……つまり三回で打ち止めということか? また行われるのだろうか」
「そんな話は今まで聞かなかったですね」
「不思議だな。君はたくさんのことを知っている。いや……今日はもうやめよう」
「今いい所じゃないですか」
「いい所ではないな」
「……俺がまずいことを言ったなら教えて下さいよ。気を付けますから」
「何を必死になっている」
「必死になんて……いや確かに必死です。俺には後がないし」
「考える時間が欲しいだけだ。僕と話したいならまた明日来てくれ」
またガラスが曇ったが、今回は今までとは違う。次の会話が確定している。
よしっ、前進した。
次の日にエーデルに会いに行くと、巨大ガラスは既に透き通っており、エーデルはストレッチをしていた。何て言うかジムに通っていた頃を思い出すな。
「おっいいですね」
「体を動かしていないと、いざという時動けんからな」
「結構いい体してますよね」
俺が言われて嬉しい言葉。悪い気はしないはずだ。
「ストレッチはゆきひとの専売特許かな?」
「今まで何をされてたんですか?」
「敬語はやめてくれ」
「えっと……何をしてたんだ?」
年上にタメ口はやりづらいな。
「まぁいいか。スパイだ」
「スパイ?」
「何のスパイを?」
「あまり驚いている様子はないな。その話はいい。今更関係ないしな」
「……そうだな」
「昨日の話の続きをしよう。君は様々な情報をどういった女性から聞いたんだ?」
「まず最初に出会った女性が色々と親切に教えてくれました。……俺の悩みを聞いてくれたりして」
「……その人はゆきひとにとって大事な人なのかな?」
そうだ、大事な人だ。
「はい」
「彼女の名前も知っておきたいんだが」
「ヴィーナ・トルゲスと言います」
「聞いた事がある。いや最初に会ったのは同じ人物かもしれん」
エーデルは顎鬚に手を添えて考え込んでいる。
過去に何があったんだろう。間接的な話は幾分か聞いてはいるけど、ヴィーナとの関わりが気になる所。それにしても、やけに立ち姿が様になるおっさんだ。スパイとか言ってるけど、実は俳優でスパイ役をやっているだけだったりして。
「エーデルどうしたんだ?」
「いやすまない。僕が色々と勘違いしていたようだ。……続けてくれ」
「そっか。彼女は今俺達がいる時代が西暦二八二五年だと言っていた。当時だから……今は二八二六年になる」
改めて自分で言っても実感が湧かない。
ただ認めざるおえない。
俺が「八百年」時を超えた事を。
それだけの経験をしてきたのだから。
「この時代はY染色体がほぼ消失していて、男子はもう生まれないらしい」
「そこで過去からオスを連れだしたと」
「まだ数人ということは……過去からオスを連れて来るのに余程金がかかるのか……一気に送ると過去で騒ぎになるからか」
「ちなみに過去から未来に人間を送れても、過去には戻れない」
「……はぁ」
ため息交じりにエーデルはクッションに横たわった。
まぁ、その反応が普通だよな。
「さっきのストレッチを見たら、俺も久しぶりに筋トレしたくなったな」
「勝手にやってていいぞ」
頭を使うのは一先ず置いておこう。柄じゃないしな。少し無心になった方がいいのかもしれない。俺はおっさんを放置して、筋肉トレーニングに勤しんだ。
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