痴漢冤罪で捕まってしまった
下垣
それでも私はやっていない
ガタン、ゴトン。電車が揺れながら目的地へと向かっていく。変化のない退屈な日常。そんな当たり前の日々に私は少し不満を抱いていた。
私は都内の貿易会社に勤める会社員だ。それなりの給料をもらってはいるものの、仕事は毎日同じことの繰り返しである。特定の取引先に特定の商品を発注するだけである。
特にトラブルに見舞われることも少なく、たまにトラブルが起きても上に投げれば、上が解決してくれる。
そんな日々に終わりを告げる出来事が、今まさに起ころうとしていた。
ガシっと私の手首が掴まれた。手首から伝わる柔らかさは女性特有のものだ。そして、私の手はそのまま上へと持ち上げられた。まるで運動会の選手宣誓のように。違いがあるとすれば、私の手は自身で上げたのではなく、上げさせられたのだ。
「この人、痴漢です!」
私はドキリとした。このまま、日常が崩壊してしまう恐怖心を抱いた。私は、私の手を掴んだ女性の顔を見た。黒髪ロングでいかにも男受けしそうな清楚系の女性だ。冗談じゃない。私のタイプはこんな清楚系の女ではない。どちらかと言うと、彼女の隣にいるギャル系の女の子の方がタイプだ。
周囲がざわつく。「え? 痴漢」「マジかよ」「最低」などと、見知らぬ他人が私を
「痴漢? なんの証拠があってそんなことを言っているんだ」
私の声は震えていた。日本では一度痴漢と仕立て上げられたら終わりだ。ここで対応を間違えたら私の社会的信用は地に落ちてしまうであろう。
「あんた、私のお尻を触ったでしょ!」
黒髪の女は私に強く詰め寄った。どうやら、この女が言うには、私がこの女の尻を触ったらしい。全く持って身に覚えがない冤罪である。
大体にして、私はお尻派ではない。私が好きなパーツは脚が。どうせ触るなら太腿を触る。だが、今そのことを主張するわけにはいかない。それを主張したら最後、私は変態痴漢野郎になってしまうからだ。
「誰かこの人を取り押さえて」
黒髪の女が周囲に助けを求める。その声に反応したのか、ガタイのいい男が私に近づいてきた。出た。正義マン。
「やめろ。私はこの女を触っていない。冤罪だ」
「大人しくしろ痴漢野郎」
こいつ、犯行現場を見たわけでもないのに、よく私を痴漢野郎だと言ったな。私はこの女を触ってない。触ってないんだ。女の言うことは無条件で信じる阿呆なやつめ。この女が冤罪を吹っかけている可能性を考えないのか。
「私は触ってない。触ってないんだ」
私は周囲に助けを求めるために辺りを見回した。みんな私に視線を集中しているが、そのどれもがまるでゴミを見るような目だ。誰一人、私の言うことを信じてくれていない。
正義マンに取り押さえられている私に一人の老紳士が近づいてきた。
「まあまあ。冤罪なら冤罪だときちんと警察に言った方がいいだろう。日本は法治国家だ。不当な裁きが下ることはなかろうて」
こんの平和ボケしているジジイめ! 痴漢冤罪がどれだけ社会問題になっているのかしらないのか! 一度鉄道警察に捕まったら最後。例え無実でも、実刑判決を食らうような国なんだぞ。
しかし、ここで暴れていても心証が悪くなる一方だ。私はもう手詰まりになっているのだ。
◇
次の駅についた時、私は正義マンのクソ男と、痴漢冤罪をふっかけてきたクソ女に連れられて駅の事務所へと連れていかれた。
正義マンは、鉄道警察に私を引き渡すとそのままどこかへと去っていった。やつも仕事に行ったのだろう。私も仕事に行きたい。そして、なんでもない日常を過ごしたいというのに。
「お兄さん。痴漢なんてしたらダメでしょうが」
「違う。私はやっていない」
「でもね。被害者の女性が嘘つくわけないのよ。素直に認めた方がいいよ。被害者の女性もお兄さんの誠意次第では示談でもいいと言ってくれてるんだからさ」
誠意次第。要は金を払えと言うことだ。流石、痴漢冤罪女。示談金を取るために私をハメたんだな。ちくしょう。誰が金なんて払ってやるもんか。私は抗ってやる。だって触ってないのだから。
「お兄さん。会社員でしょ? 例え本当に触ってなくて無罪になっても会社から解雇される。そういうこともありえるんだよ。将来のことを考えたら素直に罪を認める方がいいと思うけどね」
「どうして、罪を認めなければならないんですか! 私はあの女は触ってません! 嘘はついていない!」
「あのねえ。このまま意地になって否定し続けてもお兄さんにとってなんの得にもならないよ? 裁判だってお金がかかる。お金がかかる割には得られるのは痴漢をしてませんという名誉だけ。そんなの割に合わないでしょ?」
どうしてもこの鉄道警察は私を痴漢に仕立て上げたいらしい。
鉄道警察はもう2人いて、1人は今私を取り調べしている男と、もう1人が裏でカタカタとパソコンを弄りまわしている男がいる。私を痴漢に仕立て上げた女は別室で待機しているのだ。
そして、パソコンを弄りまわしていた男はなにかをプリントアウトしたかと思うと、そのまま女がいる別室に入って行った。
そして、女を連れて私のところにやってきたのだ。
「えっと状況を確認したいのですが、よろしいですか?」
パソコン男がそう言いだした。どうせこいつも俺を痴漢扱いするんだろう。
「ええ。構いません」
女は余裕の表情を見せている。自分が勝つことを確信している顔だ。
「まず、被害を受けた状況を教えて欲しいのです」
「はい。私が電車に乗っている時に、急になにかがお尻に当たった感触がしたんです。最初はなにかの勘違いか、たまたま当たっただけなのかと思ってました。けれど、今度は掌がスーっと私のお尻を一撫でしました。
私はその時に、これは痴漢じゃないかって思ったんです。けれど一瞬のことで戸惑っていて、その時には手を掴むことができませんでした。やがて、その手が私のお尻を撫でまわすようにしてきて、これは間違いないと確信して手を掴んで痴漢ですと……」
「なるほど……わかりました」
鉄道警察の男はニヤリと笑った。
「それが貴女の考えたシナリオですか」
場の空気が一瞬にして変わった。女は驚いたような表情を見せて、隣の男も冷や汗をかいている。
「お、お前なに言っているんだ被害者に対して!」
「落ち着いて下さい先輩。彼女は単なる被害者ではありません。むしろ逆。痴漢冤罪を誘発しているでっちあげの加害者なんですよ」
俺は一瞬の活路を見出した。こいつに縋れば俺は助かる。鉄道警察がなんの根拠もなく、被害者を冤罪女呼ばわりしないだろう。なにか決定的な証拠を握っているに違いない。
「は、はぁ! なに言ってるのあんた!」
女はあからさまに焦っている。
「近頃、痴漢冤罪にあったという声が多発していてね。路線や時間帯はバラバラなんだけど、被害を訴えた女性の特徴は一致していてね。その特徴に合致するのが貴女なんですよ」
「そ、それだけで私をでっち上げ呼ばわりするんですか! ひどいです」
「そ、そうだぞ! 被害者に謝れ」
黙ってろ無能。今は後輩のターンだぞ。
「もちろん。それだけでは根拠として弱い。私は、彼女を怪しいと思っただけです。ただ、彼女の個人情報を聞いて、私はある作業をしたんです」
有能鉄道警察様が机の上に印刷物をドンと置いた。その印刷物はSNSの画面のスクショのようだ。
「このアカウント見覚えありますよね?」
「あ、あ……」
女は絶望した表情を見せた。そのアカウントには、「今日も冤罪をでっちあげてやった」「今月は50万ゲットした」などと自ら痴漢冤罪をでっち上げしているような内容の書き込みだらけだ。
「これ、貴女の裏垢ですよね?」
「ち、違う。私じゃない……」
「本当ですか? 警察が調べればこれが貴女の書き込みかどうかなんてすぐにわかりますよ? 今、ここで認めるならばまだ罪は軽くなります。警察が調べてからでは……わかってますよね?」
有能鉄道警察は女を流し目で見た。女は観念して自身の罪を認めた。女は浪費癖があり、カード借金をしていた。その借金を返すために痴漢冤罪をでっち上げて示談金を巻き上げていたのだ。
こうして、私の容疑は晴れた。無能な方の鉄道警察からは平謝りされて、女からは何でもするから許してと言われた。けれど、私はこれ以上こいつらとは関わり合いたくなかった。
「この女をどうしますか? 訴えることもできますが」
有能鉄道警察は私にそう訊いてきた。私の答えは決まっていた。
「いえ、私の無実が晴れたのならそれでいいのです。慰謝料もいりません」
「そうですか……あの人を許すと言うのですね。あなたは懐が深い人なんですね」
懐が深いか……なるほど。世間ではそう判断してくれるのか。ただ、私はこの鉄道警察とはかかわりあいたくなかった。なぜなら私は……私は――
痴漢だからだ。
私は確かにこの黒髪の女の尻には触っていない。私が触っていたのは隣のギャルの太腿だった。それもがっつり撫でまわすように。最早言い訳がきかないくらいネットリと触っていた。
最初痴漢を叫ばれた時は、そのことがバレたかと思ってかなり焦った。だけれど話を聞いてみればこの女が冤罪をでっち上げただけだと言う。だから私は必死に無罪を主張した。
いやー。好みの女を痴漢して捕まるならまだしも、特に好みでない女の痴漢冤罪で捕まったらたまったものじゃない。助かった助かった。
逆に今回の痴漢冤罪騒ぎのお陰で私の痴漢の方もうやむやになってくれて良かった。雨降って地固まるってやつだな。ハハハ。
後日、調子に乗った私はまた痴漢行為をして、それがバレて捕まってしまった。痴漢はやっぱりダメだった。私は留置所で反省するのであった。
痴漢冤罪で捕まってしまった 下垣 @vasita
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