第5話 機械仕掛けの亀 Steam_Turtle. 05
いやあ……、いい湯だなあ……。
「って、なんでここでのんびりとお風呂に入らないといけないんだよ」
思わずセルフツッコミ――正確に言えばノリツッコミ――してしまうぐらい、この状況は変な状況であった。
メアリに連れられてやって来たのは、銭湯ワタナベ。そこはぼくもメアリも足繁く通う――ぼく含め三級市民の家にはお風呂が標準装備されていないのだ――行きつけの銭湯だった。だから知り合いも多く通っているし、今日も何人かと顔を見合わせた。何だ、今日も会ったのか、なんて思ったり思わなかったりする訳だ。やっぱり風呂って命の洗濯――なんて何処かの誰かが言っていたような気がするけれど、それを踏まえるならば、風呂というのは毎日入らないといけないよな。荒んだ心を癒やしてくれるのは、やっぱり風呂なのかもしれない。どうして風呂がいやしてくれるのか、って? 知るか、そんなの。ぼくは科学に詳しくないんだ。
「そもそも……」
今の時間――昼過ぎともなると、未だ銭湯を利用する客はゼロに近い。しかしながら、この銭湯ワタナベは二十四時間営業しているため、いつどの時間に入りに来たって構わない。もっと言えば、深夜に突然風呂に入りたいからと言ってここに来たって、全然問題ない訳だ。番台に居る老齢の女性――ぼく達は『女将さん』と呼んでいる――は嫌な顔一つしないで招き入れてくれる。
いや、女将さんも人間なんだから少しぐらい嫌な表情しても良いんだけれどな。
人間は三日ぐらい睡眠を取らないでいると死ぬみたいなことも聞いたことがあるし、きっと何処かぼく達の知らないタイミングで睡眠を取っているのかもしれないけれど。実際、入ろうと思えば男湯だけでも二十人ぐらいは同時に入れそうな浴槽と洗い場を、あの女将さん一人で掃除しているとは到底考えにくい。こういうところだから掃除ロボットでも導入されているのかもしれないし、それとも機械には湯気が天敵だから導入されていないのかもしれない。人海戦術で何とか賄っているのかもしれないし。……それはそれで大変そうな香りしかしてこないのだけれど。
「メアリ、そっちはどうだ?」
ぼくは声のトーンを大きくして、仕切りの向こうにある女湯に声をかける。
相手は勿論メアリだ。メアリはプネウマと一緒に入浴している。こっちは一人だが、あっちは二人。そりゃあ、最初からそんなことぐらい分かっていたけれど、いざこれを実感してみると寂しいものがある。早く三人で動きたいものだけれど、メアリはいったいどうしてここにやって来たのだろうか?
まさか、風呂に入りたいだけのためにやって来たなんて言わないだろうな。
「全然。良い湯加減だよ。プネウマちゃんもお風呂楽しんでいるみたいだし」
お風呂って、楽しむ物で間違いなかったっけ?
いや、でも子供の頃はそういう思い出がなかった――訳でもない。親と一緒に銭湯にやって来た時は、毎回ワクワクで一杯だったような気がする。広い浴槽はプールのようだったし、サウナにシャワーも面白い。あの頃の子供って、どんな物でも遊びに変えてしまっていたのだから凄いよな。今は全然駄目だ。脳細胞が麻痺しているような気がする。
肩まで浸かって百秒数えて、身体を流して外に出る。女性は長風呂だって聞いたことがあるし、実際メアリも長風呂のことが多いので、ぼくはゆっくりと着替えることにした。どうせ誰も居ない貸し切りの更衣室なのだ。遠慮することは何一つなかった。
更衣室にはラジオが一台置かれていた。ラジオもぼく達三級市民にとっては貴重な娯楽の一つだ。テレビもあることはあるけれど、それもまたこういう公共施設――銭湯は公共施設という
貴重品であり、嗜好品であり、消耗品であった。
ラジオも買おうと思えば買えるのかもしれないけれど、ぼくの財布では未だ先が遠い。それに買ったところであまり面白い番組もやっていないしな。大抵はプロパガンダ――政府の思想の宣伝や啓蒙――だし、ラジオドラマとかやっていることはやっているけれど、それだって純娯楽という代物ではなく、やはり政府の管轄に入っている。そもそもラジオ局自体が政府の事業で行われている訳だから、政府の息がかかっているのは火を見るより明らかではあるのだけれど。
ラジオではニュースを流していた。ニュースキャスターが抑揚と滑舌をはっきりした口調で、政府の方針が如何に素晴らしいものであるかを述べている。最早報道ではなく称賛だった。原稿もきっと政府が一から十まで書き記しているのだろう。だからその文章を読み間違えることは絶対に出来ないし、しない。したところでメリットがあるとも思えない。メリットがないのならば、それに従うしかない。従わないところで、自分の生活が良くなる訳もないからだ。寧ろ悪い方向に行くだろうし、下手したらこの都市から追放されるかもしれない。
昔は仮に国外追放されたところで他の国に行けば何とかなったかもしれないが、今はそれは不可能だ。
それは、この世界が国家という枠組みを捨てたからだ。
正確に言うと、国家と国土という概念を一つ上の段階にシフトした。
ぼくが生まれる遙か昔に、この世界で大規模な戦争が起きたと言われている。その戦争は沢山の兵器が使われ、沢山の死者が出た。沢山の浮浪者が出て、沢山の損失が出た。
けれど、メリットもあった。
それは、世界を統一出来たことだった。かつてはずっと二つの勢力――或いはそれ以上――が対立していたようだけれど、その戦争で一つに纏まることが出来たのだ。
それが出来た国家は、世界の仕組みを変えるべく現在の政府を立ち上げた。
戦争が終わってからのタイミングではあるけれど――多くの兵器が空気を、環境を、生物を、汚染する物質を撒き散らしていて、最早取り返しのつかないところまで行ってしまっていたらしかった。
具体的に言うと、作物も育たないし、生物が住むことも出来ない――死の大地。
その死の大地に人間がずっと住み続けることは出来ないし、かといって他の惑星――これも学校で習った知識の受け売りだけれど、この世界は一つの星だそうで、かつては星の外から見ると青と緑が綺麗な惑星なのだという――に移動する程の技術も持ち合わせていなかった。
そこで政府が打ち出したのが、移動型都市だった。
シェルと呼ばれる都市には、数万人規模の人間を収容出来る施設を用意し、その当時最先端だったと言われるエネルギーで駆動するよう試みた。四足歩行で動くその都市は、初めてその試作品を見た政府の高官の言葉を準えて、こう名付けられた。
それから幾つもの試作品を経て、実用化出来たのは四十年後。その後徐々に人間が移動して完全に移動しきったのが三十年後。スチーム・タートルが動き始めたのは、開発を始めてから七十年の月日が経ってからのことだった――らしい。らしい、というのは当然ぼくが生まれていないからであって、それはあくまでも学校で得た知識の受け売りに過ぎないからであった。
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