コズミック・エクソシスト、あるいは悪霊にとって最低最悪の日

Mr.K

コズミック・エクソシスト、あるいは悪霊にとって最低最悪の日


 某国の人里離れた山間の道路脇にひっそりと存在するモーテルにて『それ』が目覚めたのは、はたして何時の事だったであろうか。

 気が付けば、形の無い『それ』――仮に『悪意』とでも呼ぶべきか――はモーテルの闇の中で確固たる意志を手に入れた。

 それと同時に、『悪意』は己に現実を塗り替える神の如き力があるのを自覚し、生物が放つ感情、とりわけ恐怖の感情は己の極上の糧になると本能的に察知したのである。


 手始めに、『悪意』はモーテルの管理人や、そこにやって来る人間に対し、考え付く限りの恐怖を仕向ける事にした。

 ……が、結果としては人間をには成功しただけで、思ったよりも恐怖の感情を得る事が出来なかった。

 『悪意』は考えた。一体、何が駄目だったのだろうかと。それを探るべく、死んだ管理人を操り人形のように動かし、モーテルの近くに寄ってきた人間を次々と招き寄せ、それらを犠牲にして学習していった。

 試行錯誤の結果分かったのは、人が恐怖の感情を放つのは死に直面する時だけではない事。

 苦痛を味わう、もしくはそれに近しい危機が隣り合わせにあったり、そういった状況になるかもしれないという雰囲気により己の未来へ不安を感じた瞬間、恐怖は生まれるという事。

 そして何よりも重要なのは、あえて人間にとっての希望を見せた上で、それを一切の情けも容赦も無く、完膚なきまでに捻り潰す事なのだと。

 ちなみに最後の気付きに関しては、たまたまモーテルの客から拾った『ホラー映画』なるものから得た着想である。


 それからというものの、『悪意』は人を効率よく恐怖させる為に、あえてこだわりを盛り込むようになった。

 例えば、あえてモーテル周辺の空間を薄気味悪いものにし、道を通る人間がモーテルの存在に安心感を得るよう仕向ける為に外観を綺麗にする。こうする事で、どんどん客がやって来る。電波関係に関しては当然シャットアウトだ。『悪意』に優しさなどない。あるのは客に善意があると見せかける、文字通り偽善だけだ。


 美男美女という存在も恐怖のスパイスになる。如何に寂れた雰囲気の場所でも、整った顔立ちの者は一人や二人いれば、人間は進んで滞在しようとする。彼らの心情や生殖本能など『悪意』は知らぬが、これが中々に有用なのだ。

 もしその美男美女が誰かを襲ったのを目撃されても、目撃者以外に信用されればいいのだ。そうして生まれた人間同士の不和は、確実に『悪意』にとって利に働く。その心の隙に入り込み、油断したところで本性を現し、そして喰らう。


 あるいは、無慈悲で理不尽な殺人鬼や怪物といった存在。これもホラー映画や人の記憶から試しに生み出してみたのだが、こちらはこちらで爽快感が凄まじい。

 何もない所からそれらが現れた瞬間、人の恐怖は最高潮に達する。

 調子に乗っていやらしい事をしようものなら、その場に殺人鬼を送り込んで始末し、恐れをなしてトイレに逃げ込もうとも、便器の中から怪物の触手が襲い掛かる。

 また、シンプルに抗いようのない脅威というのもいいが、ある程度弱点を設けたり武器を用意する等して、生存者への忖度も欠かさない。「もしかしたら生き延びられるかもしれない」という希望は、同時に逃げ道を絶たれた際に絶望の色を濃くするのだから。


 そうして様々な恐怖を覚えていった『悪意』は、今では逆に退屈とすら感じる程に、人間から容易く恐怖の感情を引き出し、喰らっていった。


 『悪意』は確信していた。今の己なら、世界すらどうにか出来ると。生まれたモーテルに紐づけられた結果そこから動けなくなってしまっているのだけが酷く苛立たしいが、それさえどうにか出来れば、この世界に住む人間全てを恐怖のどん底に叩き落せる、と。


 その考えが甘い事に気付くには、『悪意』が積んだ経験はあまりにも浅かった。





******





 その日も、『悪意』は深夜の山道を走る車に目を付けた。

 『悪意』は、久々にやって来るであろう客人に心が躍った。というのも、『悪意』の知らぬところで、その根城たるモーテルが「呪われたモーテル」として周辺地域で認知されるようになり、遠くからはるばるやってくるような人間ぐらいしかこの山を通らなくなってしまったのだ。

 『悪意』は人間の恐怖を糧にするが、しかし別に人がいなくとも生きられる。そもそも、真っ当な生命活動を行うような存在ですらないのだ。

 そんな『悪意』とて、人間が時折甘味を求めるように、人間の放つ恐怖に飢えていた。試しに周辺の動物の恐怖を得ようとしてみたが、そもそも動物達は勘が鋭く、モーテルに近づこうとすらしない。

 そうした事情もあって、今現在の『悪意』にとって人間を見るのはかなり久々の嬉しい出来事なのだ。


 ――はて、最後に人間を見たのはいつだったか。


 『悪意』は胸を躍らせながら、その見えざる姿を自在に動かし、車の中を覗き見る。

 なるべく数が多い方がいい。それも子供が混じっているパターン……確か、家族連れ、と言ったか。数が多ければ、そして面子がバラバラであればあるだけ、多彩な恐怖を味わえるのだから。

 久々だから、襲い方も思い出さねば。男には美女を、女には美男を仕向ける。大抵はそれに釣られる。

 体格のいい奴は、とにもかくにも力の差を実感させて絶望させる。そうでない奴は勘が良い奴がいるから、より頭の良い方法で追い詰めなければ。

 どう追い詰めるか考えている最中の『悪意』に顔があったなら、その顔はまさに喜色満面であっただろう。


 しかし車内を覗いたところ、いたのは中折れ帽を被った男一人。酷く不愛想な顔をした男だった。

 これまで数多の人間の恐怖を食らい、贅の限りを尽くしてきた『悪意』としては少々物足りないとしか言いようがないが、しかし我が儘ばかりは言っていられない。

 『悪意』は男をモーテルに誘うべく、行動を開始した。


 まず当然だが、車は使えなくしなければならない。その為に、わざとモーテルの前を通る少し前の進路に錆びた釘をバラ撒き、タイヤをパンクさせる。

 狙い通り、男の車は釘を踏み、まともに走行できないようになってしまった。

 何事かと降りてきた男は、前輪に刺さった嫌に錆びた釘を見て眉を顰める。困る様子は見せるが、しかしそこまで慌てた様子はない。

 そうして男が辺りを見渡すと、丁度道沿いにモーテルがあるのを発見する。

 そして、これ幸いと車のトランクからスーツケースを取り出すと、モーテルに向かって速足で歩きだす。

 ここまではいつも通りだ。ここから男がどんな行動を取るかによって、『悪意』の次の指針が決まる。

 ……と言っても、特に面白味も何もない淡白な男らしく、顔色の悪いフロントの男――言うまでも無く既に死んでいる――にはまるで気にもかけず、錆びの目立つキーにも特に何の感想を抱きもせず、早々に部屋に向かって行った。

 しかし、何人ものの人間を相手にしてきた『悪意』は、その男が酷く疲れているのを察した。それはもう、他人の顔色すら気に掛ける暇がない程に。

 そこで、悪意は一計を打つ事にした。





 所変わって、宛がわれた部屋に入った男はと言えば、シックな内装には目もくれず、早々にコートとスーツを脱ぎ始める。

 『悪意』の見立て通り、男は酷く疲れていた。何せ、先日ようやく長期間に渡るを、それ相応に多くの仲間と共に片付けたのだ。

 そして今、久々の休養の為に故郷に向かっていた……のだが、不幸にもその道中、何故か道に転がっていた釘を踏んでしまい、タイヤがパンク。

 頭が痛くなるのを我慢し、幸い近くにあったモーテルに最低限の手荷物片手に転がり込む事が出来た。

 なんとか車を動かせないかとこのモーテルの主人らしき男に頼んだのだが、まともな返事一つ無く、不愛想にも鍵だけ寄こしてそのまま引っ込んでしまった。……妙に生気が感じられないのが、男の中で唯一気がかりであったが、それすらも「気のせいだろう」と片付けてしまう程度には、男の精神は限界を迎えつつあった。


――だから、なのだろうか。


 着替えの最中に突然ランプが倒れようと気にもかけず、汗を流そうと思いシャワーの蛇口を捻ると、何故か赤黒い液体が滴り落ちて来ても舌打ちをするだけにとどまったのは。


 『悪意』としてもこれは予想外だった。他にも小規模ながら異常現象を起こしたが、いずれも軽くスルーするものだから、面食らうのも無理はない。


 ――ここまで恐怖心を感じられない人間がいたとは。いやいや、久々に人間が来たからと、少し手加減をしてしまったか? もしくは加減を忘れてしまっているのか? そうか、そうに違いない。


 そう考えた『悪意』は、もっと分かりやすいアクションを起こす事にした。


 シャワーを浴びる男。先程から妙な事が起きてはいるが、しかしそういった妙な事に慣れていた彼は、見た目の割にこのモーテルが古ぼけているのだろう、と解釈した。

 そして、一通り汗を流し終わった彼は、唐突に弾かれるように振り返った。

 当然ながら、そこには何もない。だが、男は油断ならない視線で睨みつける。

 何を察知したのか、男はシャワー室から飛び出すと、手早く皮膚の水分を拭き取り、ろくに髪を乾かさないままスーツに着替える。

 コートを羽織らないまま、スーツケースから何かを取り出すと、そのまま廊下に続く扉に直行。ドアに手を掛け――指に走った鋭い痛みに手を引いた。

 見れば、そこには血の滴る錆びた有刺鉄線が巻かれているではないか。

 男が顔を歪めながら舌打ちをし――何かを悟ったのか、ゆっくりと背後を振り返る。


 はたして、そこには濡羽色の長い髪を垂らし、汚れてくすんだ服を纏った女が立っていた。

 突然現れた謎の女に、男は恐怖の表情を見せる……どころか、顔を険しくし身構える。

 警戒する男を他所に、髪の隙間から見える女の口が開かれた。

 微かに見える口内に並ぶ歯は酷く乱れており、その奥からは錆び朽ち果てた機械を無理矢理稼働させたかのような音が漏れ、徐々にその音が大きくなっていく。


 男と女の間で緊張の糸が張られてからしばらく。

 唐突に女の口から出ていた音が止み、俯いていた女がゆっくりと顔を上げた。

 酷く血走り、この世の全てを憎んでいるのを嫌でも思い知らされる程に目力が籠められた視線が、髪の隙間から男を射止める。

 瞬間、女が男との距離を瞬く間に詰め――背中から緑色の閃光を吐き出して、消えた。


 その時、『悪意』には何が起きたのかまるで把握できなかった。

 モーテルに残留した犠牲者の思念から作り上げた霊体が、唐突に消し去られたのだ。

 まがなりにも幾人も人間を屠ってきた怨念の塊だというのに、いとも簡単に、だ。

 その存在をいとも簡単に屠った何かの正体は、すぐに判明した。


 男の手からもうもうと上がる、緑混じりの煙。それを辿って見えたのは、ロケットの模型に拳銃のグリップがくっついた、まるで昔のSF小説にでも出てきそうな光線銃そのものだった。

 もしその時の『悪意』に肉体があったなら、分かりやすく頭を抱えた事であろう。


 『悪意』が知る由もないそれ……対霊プラズマ拳銃を持つ男は、何を隠そうエクソシスト、除霊の専門家である。しかもただのエクソシストではない。ある時は依頼に基づき、ちょっとした呪いや怨霊、悪魔といった存在を浄化し、またある時は銀河を股に掛け、惑星規模の霊的災害を同業者と共に鎮圧する、宇宙のエクソシストなのである。

 無論、各国政府は彼らの存在を秘匿した上で活動を黙認し、その恩恵に預かっている。宇宙から来た怨霊や悪魔の相手など、どんな国の軍隊であろうと想定はしていまい。


 男は先日もまた某国の要請を受け、核ミサイル基地そのものに憑依した悪霊群を相手に、同業者含めたった五人で死闘を繰り広げたばかりであった。

 実に一ヵ月にも渡る攻防の末、男は装備のほとんどと精神力、そして仲間一人を犠牲にし、ようやく除霊に成功した。

 そういった訳で疲れが溜まりに溜まっていた男は、故郷への帰路をAI搭載車の自動運転に任せ、そして不幸にも『悪意』の仕業によりタイヤがパンクし、今に至る。


 当然、男の怒りは頂点に達していた。

 「折角故郷でゆっくりしようと思っていたのに、ふざけやがって!」と。


 男はただ一つ無事だった拳銃を手に、最後の気力を振り絞り、このモーテルに潜む元凶に挑もうとしていた。





 それは、描写するのも憚られる程に凄惨な戦いだった。自分と互角に戦える存在の出現に、『悪意』は慌ててモーテルの各部屋に潜ませていた怪異を解き放ち、男を襲わせた。


 青白い骸骨幽霊の群れ。

 頭の先からつま先まで、全てが足で構成された四足歩行の怪物。

 能面を被った落ち武者。

 ついでに、フロントの男を含めたゾンビ軍団。


 いずれも、これまで犠牲になった人間達から作り出し、犠牲者を増やし続けた魑魅魍魎の数々だ。

 しかし、疲れてはいても男もまた凄腕。それらを巧みにかわし、撃ち抜き、沈めていった。

 気付けばモーテルは、床は一面血の海と化し、壁は内臓やら何やらで独創的な赤のアートが描かれていた。そこには男のそれは含まれていない。


 『悪意』は察した。これでは、先に己のレパートリーと力が尽きる方が先だ。こうして怪異を生む力もタダではないのだ。


 ――故に、『悪意』は禁じ手を使う事にした。





 悠々とモーテルの廊下を歩く男。その背後は当然のように赤黒い。男のスーツもまた同様だ。それがなんの色なのか、考えるまでもないだろう。


 ――突然、男の足元がふらついた。


 疲れが限界に達したからだろうか? それにしては、文字通り血の気の引くような感覚だ。

 ふと、燃えるような痛みを感じ、手を見やる。

 先程有刺鉄線に触れてしまった指から出ている血の量が、明らかに増えている。

 男は勘づいた。これは呪いの類だと。つまり、有刺鉄線で手に付けた傷口から呪いを侵入させたのだ。

 これによる失血死こそが、『悪意』の禁じ手に他ならなかった。何故なら、これならいつでも相手を死なせられるが、しかし恐怖は最低限しか搾り取れないのだから。

 しかし、今回ばかりは使わざるを得なかった。相手はとんでもない脅威だ。手段など選んでいられない。

 それ故に、男が倒れ伏し動かなくなったのを見た『悪意』は、初めて恐怖を搾り取る事以外で歓喜した。

 「やった、やったぞ。最後に勝ったのは自分だ」、と。





 ――その時だった。外から異様な音が響いてきたのは。


 何事かと意識を向けてみれば、モーテルの周囲を取り囲むように何かが浮いているではないか。

 円盤の形をしたものもあれば、筒状のものもある。いずれもかなりの大きさだ。

 それらがなんなのか、『悪意』には分からない。ただ察せたのは、それらは明らかに男と関わりがあると言う事だけだった。


 宇宙船の持つ砲門が、モーテルへと向けられる。『悪意』の取るべき道は、一つしかなかった。

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