第13話 話し合い。

 せつなを追って食堂を出ようとして——不意に背後から腕を掴まれた。

 誰だと思い振り返ると、そこには茶髪を揺らして唇を嚙みしめる文香の姿。


 彼女は、千司の横で空気も読まず未だにぱーっと笑みを浮かべる松原を気にしつつも、頭を振って真剣な眼差しを向けてきた。


「千司くん、ちゃんと守ってあげてね」

「……文香」

「正直、私は雪代さんのことが嫌いだけど……でも、一番、傷ついてるのはあの子だと思うから。だから、命を助けるだけじゃなく、心も……守ってあげて」


 文香の言葉に千司は内心驚いていた。

 それほどまでに二人の仲は険悪な物だったからだ。


 顔を合わせては睨み合い、千司を挟んでの罵詈雑言も日常茶飯事。今だって「守ってあげて」と語る表情が徐々に渋いものになっていく。しかし、それでも文香はせつなのために行動した。


(嫌い合っていようと一緒の時間を過ごせばそれなりに情が移るのか……それとも文字通り裸の付き合いをしたからなのか)


 最低な分析を脳内で行いつつも、千司は首肯。


「分かってる。もちろん文香にも後でちゃんと説明するから」


 千司の言葉に、しかし文香は首を横に振る。


「いいよ、私は。都合の女でいいって言って二人の間に割り込んでる身だし、それに……千司くんが隣に居てくれるなら、私はそれだけで嬉しいから」


 苦笑を浮かべる文香。


 分かりやすい自己憐憫に同情を誘う文句。千司は気付かないふりをして彼女の頭に手を乗せると、優しい笑みを浮かべて文香の望む言葉を口にする。


「そんな悲しい事を言うな。文香は俺にとって大切な人だ」

「千司くん……」

「とにかく今はせつなを追う。また後でな」


 文香を軽く抱きしめてから、千司は今度こそ食堂を後にした。



  §



 千司は廊下に残っていた下級勇者たちにせつなの向かった方向を聞き、追いかけながら思考を巡らせる。


(——思考力を残した弊害だな)


 せつなも、そして文香や新色に関しても。千司は依存こそさせているが洗脳はしていない。彼女たちの精神状況はあくまでも『奈倉千司に対して強い好意を抱いている』程度に留めていた。


 理由はいくつかあるが、最も大きいのは彼女たちの使い道。


 新色はともかくとして、他二人に関しては勇者内で千司の立場を確立するのに利用している。要は二人を使って美少女に慕われる優秀なリーダー像を演出するのだ。


 もちろん演出だけでなく、千司自身も下級勇者と積極的に関わることで現在の地位を手にしているのだが……兎にも角にも、そのためには命令に従うだけの洗脳という手段ではなく、あくまでも好意を寄せるだけの一個人でいてもらう方が都合がいい。


 そしてもう一つ。

 それは、単純に彼女たちを洗脳しては面白くない・・・・・からだ。


 命令を聞くだけの肉人形にして『俺の為に死んでくれ』と命令しても何も面白くない。依存させ、裏切り、恐怖と怒りと、その先に待つ絶望に塗れて、深い悲しみのまま苦しんで死んでほしい。


 まるで小学生男子が好きな子に悪戯するように。


(う~ん、これは純愛。異世界に来てから人を好きになりやすくなってるなぁ)


 何て考えつつ辿り着いたのは見覚えのある一室。


(……俺の部屋か)


 せつなの目撃情報は男子部屋付近で消えており、他の男子の部屋に入ることはまずない。一つ例外があるとすれば死んだ彼女の幼馴染、夕凪飛鷹の部屋だけだが——。


(鍵……ドアノブに埃)


 誰かが侵入した形跡はない。

 よって残されるのは千司の部屋のみ。


 ドアを開けると、月明かりが唯一の光源と化した薄暗い部屋の奥——ベッドの隅で、せつなは膝を抱えて丸くなっていた。


「……せつな」


 声を掛けるが彼女は微動だにしない。

 無言のままに近付き隣に腰掛ける。

 ベッドが揺れて、ぎしっと音が鳴った。


「悪かった」

「……なら、私だけを見てよ」

「それは——」

「……無理、だよね。知ってる、千司ってそういう人だし。弱ってる人が居たら助けて、みんなのために動いて……それで、浮気性の女好き」

「……」


 実際はライカという美少年も大好きなのだが当然口には出さない。


 失望したように吐き捨てるせつなだが、その声は震え、鼻をすする音が聞こえて来る。怒っている可能性も考慮していたが、目を腫らし、膝が涙で濡れていることから単純に悲しんでいたのだろう。


 千司は興奮で持ち上がりそうになる口角を全力で抑え込む。


「酷いよ、千司。浮気ばっかり。天音さんに松原さん……だけ、じゃないよね」

「なにを——」

「馬鹿にしないで……私は、私は千司が好きだから、だからわかるもん。海端先生やあの魔法学園の女の子、それに最近はリニュさんも、千司を見る目が違ってる……それで、千司もそれを嫌がってない……っ!」


 女の勘という奴なのか。

 それとも彼女の観察力が優れているのか。

 どちらにせよ千司は胸中で舌を巻く。


「……否定、してよ」

「否定しても信じてくれないだろ?」

「当たり前、でしょ……」


 顔を伏せて涙を隠すせつな。


「……なら、別れるか?」

「……っ、最低! 千司、私が別れないって、千司から離れられないって分かってるくせに……っ! ほんと、最低ぇ……っ」


 怒りを込めて吐き捨てるせつな。

 これが平時の日本なら彼女も愛想をつかして別れを決意しただろう。

 だが、彼女はその選択肢を選べない。

 千司に依存しているからこそ、他の居場所が無い。


 せつなは怒りをぶつけるように千司を小突き、それから小さく息を吐いて呟く。


「……他の子と、すんっ……喋らないで。わ、私だけを、見てよぉ……」


 涙を流し、千司の服を強く握りながら懇願するせつな。


「悪いが、それは出来ない」

「……っ」

「特にこの状況で文香たちを振れば、どうなるか分からない。仲間が殺され、篠宮たちとも決別した。これ以上不安にさせることは得策ではない」

「ズルいよ……っ」

「分かってる。でも、それが俺の考えだ」


 淡々と答えると、せつなは膝を抱えたまま黙り込む。

 鼻をすすり、時たま袖口で涙を拭いながら、何かを考えていた。


(やっぱせつなちゃんいいなぁ~)


 彼女は感情的に行動することもあれど、しかし本質的には理知的な性格である。千司が口にしたことも、内心では理解しているのだろう。


 だから懊悩し、感情と理性の狭間——現実と理想の妥協点を模索する。


 千司はただ静かに彼女を見つめた。

 艶やかな黒髪。

 涙と鼻水で汚れていようと綺麗で整った愛らしい顔。


(異世界に召喚されなければ、一生関わることはなかっただろうな。……こんな気持ちになることも、無かったはずだ)


 せつなへの想いを再確認していると、彼女は涙を拭い、鼻をすすって顔を上げ——千司を上目遣いに見つめて、告げた。


「なら……私と結婚して」


 薄暗い部屋の中、二人きり。本来幸せに満ちているはずの言葉は——しかし淡々と、とても事務的に告げられた。


 せつなの暗い瞳が千司を射抜く。

 そこには照れも恥ずかしさも、可愛げも愛情も感じられない。

 ただただ目の前の少年との関係を終わらせないためだけの言葉。


 甘い青春を冒涜的なまでに否定した状況の中で千司は思う。


(せつなちゃん、やっぱり最高~! 世界で一番愛してる!)


 最低最悪の屑である。

 千司は即座に思考を切り替えると、せつな同様に真剣な表情を浮かべて答えた。


「わかった、結婚しよう」

「……っ」


 瞬間、それまで睨みつけていたせつなの表情が崩れる。

 口元が弛緩したかと思うと、それを隠すように顔をそむけた。


「……どうした?」

「な、なんでもない! ……それより、言質取ったから」

「あぁ、俺は嘘をつかない」

「その言葉がもう嘘の癖に……でも、絶対に逃がさないから。日本に帰ったら即行で婚姻届け出してもらうし、天音さんとも別れてもらうから!」

「まぁ、当然だな。けど——」

「分かってる。その代わり、こっちの世界にいる間は我慢する」

「すまない。ありがとう」

「……ほんと、最悪」


 ぼやいて、しかしこてんと千司に頭を預けるせつな。

 彼女はそのまま身を寄せ、千司の胸元に顔をうずめるとぐりぐりと押し付けてきた。


「さいあく」

「俺的には最高の状況なわけだが」

「うぅ~、さいあくさいあく!」


 罵倒しながら甘えてくるせつなを、千司は抱きしめる。

 すると彼女はぴくっと肩を揺らしつつ顔を上げ、何かを思い出したようにジトーっと睨みつけてきた。


「そう言えば松原さんのこと聞いてないんだけど」

「あー、幼馴染だよ。昔から好意を寄せられていたからな、できる事なら助けたい。それだけだ」

「へー」

「信じてないだろ」

「信じる要素ある? 浮気者、ヤ〇チン」

「松原とは本当に何もないよ、一方的に抱き着かれるだけ」


 淡々と答えると、せつなは意外そうに目を丸くする。


「ほんとにそうなの?」

「あぁ」


 首肯を返すと、彼女は逡巡し、悪い笑みを浮かべて千司の耳元で囁いた。


「じゃあ、私が一歩リード?」

「嫁なんだからゴールしてるだろ」

「……っ、そ、そっか」


 頬を朱に染め、視線を逸らし、かと思えば甘えるように上目遣いで見つめて——そっと唇を重ねてくる。


「んっ……好きだよ、千司。日本に帰ったら、結婚しようね」

「あぁ……帰ったら・・・・な」


 千司の言葉を欠片も疑うことはなく、せつなは幸せそうに笑みを浮かべてベッドに身体を預け、伸ばされた千司の手を官能的な幸せの中で受け入れる。


 目の前に居るのが、大切な幼馴染を殺害し、自身の命すらも狙っている最低最悪の人間だと知ることもなく。


 夜はゆっくり更けていく。



  §



 せつなをよしよしと慰めた千司は、眠る彼女を置いて部屋を後にする。そして近くにいるであろうライカを呼び出そうとして——その前に廊下の陰から姿を現した。


「奈倉様」

「……どうかしたのか?」

「王女様がお呼びです」

「……わかった。案内してくれ」


 千司の用事も王女に関することだったのでこれ幸いと首肯を返すと、ライカは小さく頷いてから先導を始めた。


 夜の廊下を二人で歩く。先ほどまで勇者たちの声が周辺の部屋から聞こえていたが、今はすっかり静かな物である。


 そうして案内されたのは、以前も訪れたことのあるライザの執務室。


 部屋の前に居た彼女の護衛——エストワールが扉をノックすると「どうぞ」と言葉が返ってきた。


「念のため、身体チェックをさせていただきます」

「構わない」


 ぺたぺたと服の上から触られた後、扉が開かれた。

 相も変わらず質素な室内であるが、棚やクローゼット、ソファーにテーブルといった家具はどれも最高級品であることが伺える。


 その部屋の中央にライザは居た。

 いつもの漆黒のドレスを身に纏い、仕事の書類に目を通している。


 彼女は千司の姿を確認すると、ふぅと小さく息を吐き、目頭を押さえてから立ち上がる。


「このような格好で申し訳ありません。いかんせんまだ仕事中でしたので」

「いえ、増やしてしまったのは私たちでしょうから……こちらこそお手間を取らせてしまい申し訳ありません」

「そんなことは……立ち話もなんですので、どうぞおかけください」


 仕事用のデスクとは別に、向かい合うように設置されたソファーの片側を示すライザ。彼女が対面に座るのを待ってから、千司もゆっくりと腰掛けた。


 と同時にエストワールが入室し、間にあるローテーブルに紅茶を並べる。


「それでは、食堂で何があったのかお聞きしてもよろしいでしょうか? 所用で向かうことができず、把握しきれておりませんでしたので」

「わかりました」


 そうして千司は淡々と食堂での出来事を語る。

 ただし、本当に起こったことだけを箇条書きのように伝えた。

 誰がどのような言い回しで何を伝えたかについてははぐらかす。


 特に、篠宮の異変・・に千司が勘付いたと気付かせないように細心の注意を払って。


「なるほど、それで先ほど倉敷さまがいらっしゃったわけですか」

「倉敷が? 何の用だったか差し支えなければお教え願えますか?」

「もちろん構いません。……ただ、奈倉様も思っているでしょうが、良くない方向でのお願いでしたが」


 ライザは紅茶を口に含んで唇を濡らすと、深呼吸してから伝えた。


「先ほど、倉敷さまから外での訓練——いえ、実践を求められました。王宮での訓練では強くなれないため、王宮を出て一部の勇者だけでダンジョンやその他のモンスターを倒しに行きたい、と」

「ライザ王女はどのように考えますか?」


 顎に手を当て彼女は答える。


「……そうですね。確かに、白金級の皆様や金級勇者の皆さまなら、モンスターを相手にした場合早々怪我をすることもないでしょう」

「つまり、人相手は別だ、と」

「えぇ。ステータスだけで見れば皆様を超える者は多くありません。ただし、多くないというだけで居ない訳ではない。……そして、その数少ない強者たちが、どういう訳か現状敵対者として存在しております。戦闘だけならともかく、それ以外の駆け引きや騙し合いを考慮するなら……心配が残りますね」

「概ね同意見ですね」

「私としましては、もう少し奈倉様同様に皆様に揃って成長していただきたいところですが……かと言って、これ以上彼女たちの反感を買うのも得策ではないというのも事実です。あまり言いたくはありませんが、それほどまでに白金級勇者はずば抜けていますので」


 つまるところ拒否して白金級勇者に嫌われるのは阻止したいというのが本音なのだろう。


 当然だ。

 千司とて彼女の立場なら使い物になるか分からない下級勇者より、わかりやすい力を持つ上級勇者と仲良くしたい。


(もし篠宮が洗脳されていた場合、この流れもライザの考え通りという事になるわけだが……表情からは読み取れんな)


 困ったように頭に手を当てるライザからは本心がまるで読めない。


 ただ、仮にこの流れがライザの思惑通りだったとしても何ら不思議ではない。強者を集めて——否、弱者を切り捨て・・・・・・・魔王討伐へ向かうというのはこれ以上なく合理的だ。


 命の危険さえ加味しなければ、の話だが。


 千司は以前見たライザの裏ステータスを思い出す。


—————

倫理値:-99

—————


 とてもではないが、勇者の安全を守りつつ世界を守ろうとする心優しい人間の物とは思えない。


 千司は数秒思考を巡らせた後、小さく息を吐いた。


「……申し訳ありませんでした。諫めることができなくて」

「いえ、奈倉様が気に病む必要はありません。もとはと言えば我々の責任……」


 ライザは紅茶に口を付け、嚥下して続ける。


「……迷惑ばかりかけているという自覚はあるのです。身勝手に異世界から召喚し、魔王を倒してくれと懇願。だというのにみすみす殺されてしまい、挙句の果てには皆様の間に深い溝を掘ってしまいました」

「……過ぎてしまったことを言っても詮無い事です」

「なら、奈倉様もお気になさらないでください」


 彼女の思うがままに言葉を誘導されたことに千司は内心で舌を打つ。

 少し気を抜けばあっという間に彼女の手のひらの上だ。


 千司は胸中で気を引き締めてから、ライザに問うた。


「お気遣い、ありがとうございます。それで、上級勇者に関してですが……当然、護衛は付けるのですよね?」

「はい。現状はオーウェンを、と考えております」


(えぇ~!! やだよ!! 肉体的にも精神的にも、付け入る隙ないじゃ~ん!!)


「リニュの方が強いのでは?」

「そうですね。しかしオーウェンは第二騎士団団長という立場上、多くの人間を統率するのにも優れているのです」

「なるほど。それなら安心ですね。……そう言えばセレン団長はどうなんですか? 王女はよくオーウェンさんを使いますが、彼女も第一騎士団団長では?」


 千司の言葉に、ライザは露骨に視線を逸らす。


「彼女は……その、あまり頭が良くないので」

「……なるほど」

「戦闘に関しては充分で、部下を指揮するのも得意です。加えてその精神性は高潔の一言なのですが、いかんせん彼女は庶民の出身なので……駆け引きや謀略といった事柄を苦手としているのですよ」

「そうでしたか」


 妥当だな、と千司は納得。

 すっかり温くなってしまった紅茶を嚥下。


 飲み終えたらさっさと部屋に帰り、上級勇者が王宮を出て行ったあとどう行動するかを考えようとして——ライザがコホンと咳払い。


「奈倉様、実は一つお伝えしておかなければならないことがございます」

「……なんでしょうか」

「奈倉様は、以前私が勇者の中に『裏切り者』が居る、と言ったのを覚えていますか?」

「……はい」


 唐突の言葉に千司は警戒心をマックスまで引き上げる。

 『偽装』で平静を装いつつ、しかしいつでも王宮を脱出できるように準備。仮にライザと戦闘になった場合勝ち目は万に一つもない。


 そんな千司をよそに、ライザは瞑目。

 大きく深呼吸するとゆっくり目を開けて——告げた。


「この度、海端新色様を『裏切り者』の疑いで拘束いたしました」

「……はい?」


 告げられた内容に、千司の脳内は疑問符で埋め尽くされるのだった。


(え? どういうこと?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る