第23話 青春喜劇
魔法学園に帰ってきてから数日が経過した。
今日も今日とてリニュとの早朝訓練を終えた千司は、すっかり同じベッドで寝起きすることが日常と化したせつなと文香の二人を連れて食堂へ。
本日のメニューはレストー近海で取れた魚の刺身。
刺身の隣には醤油とわさびも。
皿に並ぶ白身魚に目を奪われていると、隣でせつなが感嘆の息を零した。
「まさか異世界でお刺身が食べられるなんて……はむ」
「ほんとほんと……醤油も、そのまんま醤油だし……最っ高!」
次いで舌鼓を打つ文香。
千司も堪えきれないと箸を伸ばし、食す。
食感はかんぱちに近いだろうか。
脂が乗っていて大変美味しい。
「さすがに美味すぎる……ありがとな辻本」
刺身を飲み込んだ千司は真正面に座る辻本に感謝を述べた。海が近いということで刺身を食べられるのではと考えたのは千司であったが、あいにく醤油の作り方を知らなかった。
大豆を発酵させて何がする、というのは知っていたが、その程度。その時、辻本が「拙者に任せるでござる!」と手を挙げたのだ。
「まぁ、いずれ異世界に召喚された時のためにあらゆる知識は頭に入っているでござる故。……マヨネーズやプリンも作れるでござるよ」
「最高だよ、辻本」
「ふふん、もっと褒めるでござ――」
「あっ、千司これ美味しいよ。はい、あーん♡」
「千司くん、こっちの貝のお刺身も美味しいよ! あーん」
「二人同時は……」
「私から食べてくれるよね?」
「私だよね? 私を……食べてくれるよね、千司くん」
「喧嘩するなって」
取り合うように抱きついてくる二人に千司は苦笑。どうしようもないのでせつなの方から味わい、次に半泣きの文香の差し出した貝を味わう。
「えへへ、私が一番」
「……いいもん、千司くんに見捨てられないだけで、私は生きていけるもん」
「たかが食べる順番で大袈裟な」
二人を抱き寄せ慰める千司。
その正面で、辻本は手にしていた箸をへし折り電波の届かないスマホで何かを検索していた。
「『人殺し バレない 死体遺棄 やり方』……くそう、なんで異世界は電波が繋がっていないでござる!?」
「物騒だなぁ」
「節操なしの奈倉殿には言われたくないでござる!」
血涙を流しそうな勢いで毒づく辻本に、千司は苦笑を浮かべるのであった。
§
「そう言えば千司は『知らない子』の噂って知ってる?」
「知らない子?」
朝食を終えて教室へと向かう道すがら、せつながそんな話題を持ち出してきた。それに対して頭に疑問符を浮かべたのは千司と辻本の二人。
文香は事前に聞いていたのか目を閉じて、抱きつくように千司の左腕に手を回すと、そのまま両耳を塞ぐ。
「わ、わぁぁあああっ……」
「……えっと?」
「昨日話したの。私たち寮で同じ部屋だから」
(気まずそう~)
「で、天音さん怖い話が苦手みたいで」
「怖い噂なのか」
こくこくと首肯したせつなは徐に文香に近付き、耳を塞いでいた手を退けると力任せにそれを維持しながら噂を語り出した。
「『知らない子』って言うのは名前の通り、『知らない子』が立ってたっていう話」
「なんっで、聞かせようとするの……っ!」
半泣きでせつなを睨む文香であるが、当の本人はどこ吹く風。
彼女はそのまま淡々と続ける。
「何でも廊下とか教室とか、人通りの多いところで話をしていたりすると何とはなしに話しかけてくるんだって。ごく自然に話に交じるから誰かの知り合いかな~ってみんな思うみたいなんだけど、解散した後にふと、今の誰だっけ? って聞くと、全員『知らない子』って答えるから——『知らない子』」
「思ったよりちゃんとホラーだった」
「雪代殿の淡々とした声色がより恐怖を掻き立てるでござる……」
「いびぃぃいいいっ、怪談嫌なのになんで聞かせるのぉ!!」
「嫌がらせ」
「最っ低! 千司くん、助けて……雪代さんが虐めてくるよぉ……」
ひしっ、と抱き着いてくる彼女をよしよしと慰めながらせつなを見ると、文香の肩を持ったことでおろおろと真っ青な顔で挙動不審になっていた。
(はぁ~くっそかわいいなぁ~)
そんな呑気な事を考えながら、せつなのケアも忘れない。ちょいちょいと手招きすると僅かに口角を挙げて文香の反対側に収まった。
辻本が再度発狂したのは言うまでもない。
§
三人と別れた千司は一人、三組の教室へ。
いつも通りギゼルやリゼリアに挨拶をして自席へ赴くと、隣の席の松原がにぱっ、とした笑みを浮かた。すっかりおなじみの光景である。
「おはよう、千ちゃんっ!」
「おう、おはよ」
「はん、今日も今日とて雪代、天音コンビからの松原かよ。俺たちは魔王倒すために異世界に呼ばれたってのに、お前は次々女を攻略しやがる。これじゃあどっちが魔王か分かったもんじゃねえな」
「ちょ、ちょっと渡辺くん! もう……ご、ごめんね奈倉くん、松原さん。渡辺くんに悪気はないんだよ?」
いちゃいちゃする千司と松原に対し、悪態を吐く渡辺とフォローを入れる不破という光景もまた、すっかりおなじみの光景と化していた。
「流石にそれは無理があるだろう。悪気しか感じないが」
「そうだ不破。俺は悪気120%で奈倉に悪態を吐いている」
「ま、まさかの100%越え!? 余計にダメだよ!」
「そうだな。最低だよな。不破、渡辺なんて放っておいてお前もこっちに来るんだ」
松原を左手で抱き寄せ、空いた右手に不破を誘うと困惑したように彼女は苦笑を浮かべた。それを見て吠えたのは渡辺。セットされた前髪が崩れるのも気にせず唾を飛ばす。
「てめぇ、マジでぶっ殺すぞ!?」
「ちょ、ちょっと奈倉くんの冗談だから落ち着いて……」
「千ちゃんを殺すならその前に七瀬が渡辺ぶっ殺す」
「えぇ!? 松原さんも何言ってるの!? 収集つかなくなるからやめてぇ!」
「くそっ、くそっ! いつもいつも女に守られやがって……っ! お、俺だって……不破、お前のことは俺が、ま、守ってやるからな」
若干照れながらも言い切る渡辺に、当の不破本人は呆れたようにため息。
「……はぁ、いったいどこからそんな話に……というかもう二人とも仲いいんじゃないかな?」
「俺は一方的に殺意を向けられているだけなんだが」
「奈倉と仲良くとか絶対できねぇ!」
正反対の意見を口にする千司と渡辺に、不破は再度苦笑。
仲裁に疲れたのか、ふしゅーと机に突っ伏して嘆く。
「うぅ……誰か、篠宮くん助けてぇ~」
「……」
その言葉に閉口する渡辺。
「ほら、不破が助けを求めてるぞ? 守ってやるんじゃなかったのか?」
「う、うう、うるせぇ!」
「キミたち二人に困ってるんだよぉ~」
突っ伏したまま手足をばたばた揺らして抗議する不破に対して、いつの間にか千司の左腕から抜け出し自分の席に着いていた松原は、机の上に次の授業の教科書を準備しながら空気を読まない笑みを浮かべた。
「千ちゃん、次の授業の宿題やってきた~?」
「……あぁ」
松原の笑顔に毒気を抜かれた千司と渡辺は落ち着きを取り戻し、机の上に教科書、ノート、筆記用具という順番で並べ――。
「チッ、真似すんじゃねえよ奈倉」
「なんで見てるんだよ。……やっぱりお前ってこっち系?」
「こ、こっち系ってなんだ!? てかやっぱりってどういう意味だよ! 俺が好きなのは
と、そこまで言いかけ渡辺は制止。
その視線は机に突っ伏していた不破千尋へ。
彼女も気付いたのか突っ伏したまま渡辺を見つめ、小首を傾げる。
「ど、どうしたの?」
「『ふ』……なんだ? 続きを言えよ」
本当に何も分かっていないような態度で語る彼女と煽る千司。
渡辺は歯噛みして、ぷるぷると震えながら言葉を続けた。
「ふ、ふ……ふくよかな女性がタイプだ」
「デブ専かよ」
「わ、渡辺くんってそうなんだ。……いい人見つかるといいね!」
「ぐうっ……」
不破の言葉がトドメとなり、渡辺は悔しそうにその場に力尽きるのだった。
「千ちゃん、宿題の問三の答え分かった~?」
「あぁ、それはだな——」
相も変わらず空気を読まない松原に、千司は戸惑いながらも『
(だる)
§
その日の放課後。
大賀健斗は一人で教室を後にした。他の生徒は全員帰った後なのか周囲には誰もおらず、窓の外から差し込む夕景が自身の胸中の寂寥感を掻き立てる。
「……クソッ」
腹が立つ。何に対してなのか。
そんなものは明白。すべてだ。
無能なクラスメイトに、どういう訳か自分に近付こうともしない魔法学園の生徒。特に腹が立つのが、格下で何もできないくせに粋がっている下級勇者——奈倉千司。
だというのに、どういう訳か彼の周りには女子が寄っていく。
(いいよなぁ、運がいいだけの人間はッ!)
何もできない奈倉より、自身の方が圧倒的に優秀な自信が大賀にはあった。
ステータスは圧倒的で、スキルも凡百の者とは違う。頭も切れる方だと認識している。なのに、誰も彼も奈倉奈倉、千司千司と無能を慕い、無能を頼る。
(あいつは、勇者を死なせるという最も重大なミスを犯した人間だぞ? 何故そんな奴が俺より……ッ!)
自身の周りには誰も来ない。誰も相談してくれない。来てくれたら、自身の力を遺憾なく発揮して、瞬く間に解決して見せるというのに。
苛立ちを抑えきれないとばかりに大賀は廊下の壁に蹴りを入れる。
「……くそ。こうなりゃ今度は学内ランキング一位を殴り飛ばしてやるかぁ?」
現在の大賀のランキングは七位。ムカつくイケメンを殴り飛ばした結果である。決闘の最中も女子生徒の黄色い声援を浴びていた男を殴り倒すのは、それはもう爽快だった。
だというのに、その男よりも優秀なはずの自身には、ついぞそういう視線が向けられることはない。
(結局顔か? ふざけんな、実力のないゴミかすの分際で……ッ)
苛立ちを深めながらも歩いていると、ふと曲がり角で誰かとぶつかる。体格差がかなりあったため大賀はぴくりとも動かなかったが、一方で相手の生徒は勢いよく後ろに尻もちをついていた。
栗色の髪に、庇護欲をそそられる垂れ目。童顔で背は小さく、しかし胸はそこそこに出ている女性とは「いたた」とお尻を擦る。
普段なら無視している大賀であるが、少女を見た瞬間に手汗まみれの手をズボンで拭って差し伸べた。
「わ、悪い。考え事をしていた。……け、怪我はないか?」
「す、すみま——ひっ」
しかし少女は大賀の顔を見るなり小さな悲鳴を上げて尻もちをついた姿勢のまま数歩後退る。
(またかよッ)
日頃の行いがすべてなのであるが、そんなことまで思考を伸ばせない大賀は無言のままに手を引っ込め、この場を立ち去ろうとして——ぎゅ、とその手を掴まれた。
「……そ、その……あ、ありが、とうございます」
「……おう」
ぶっきらぼうに言い放つ大賀に、それまで怯えていたはずの少女は
「その、
「あぁ? それってどういう――」
「……っ、いえ! な、何でもありませんっ」
聞き返した瞬間、少女は慌てたように口をつぐみ、周囲に誰も居ないのを確認してからぺこりと頭を下げ、不安そうな顔のまま廊下を走っていった。
(……いったい、どういうことだ? いや待て、優しい勇者、という事は優しくない勇者がいる……?)
思考を巡らせながらも帰路に着き、校舎から遠ざかっていく大賀を——二階の窓から栗色の髪の少女がジッと見つめていた。その瞳は正確に状況を分析し、口元は喜色に歪んで三日月を描いているのだった。
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