後天性頭髪硬直症(通称:スネ夫ヘアー症候群)

後天性頭髪硬直症(通称:スネ夫ヘアー症候群)

 私の前髪が尖りはじめたのは八月だった。

 一昨年までは原因不明の奇病、または現象と思われていたが、今では世界的な流行り病になっていた。

 前髪が硬直し、やがて髪全体を巻き込んで自分の前方に向かって鋭利に尖る。そういう病気だ。

 ジェルのようなもので固めていると思われることも多いが、実際は髪の毛一本一本がまとまって硬化している。硬化した髪の毛は一般的に“棘”と呼ばれ、棘は先端に向かうほど細くなり、だいたい三叉か四叉に分かれる。ほどくことも、梳くこともできない。

 動物性タンパク質の摂取量と、頭皮の筋肉発達に関係があるらしいのだが、特定の原因はいまだ解明されていない。それが後天性頭髪硬直症、通称“スネ夫ヘアー症候群”だ。スネ夫ヘアーを治すことはほぼあきらめていた。たとえ治療法が見つかったとしても、何年も先のことだ。


 私は帽子をかぶっていた。最初の頃はそれで人の目が欺けると思っていた。スネ夫ヘアーは必ず前髪からはじまる。そのことを知らない人はいなかった。朝のゴミ捨て、通勤の電車、会社までの道のり、二十一時の帰り道...云々。

 ジャケットと膝丈スカートというオフィスカジュアルを着用しながら帽子をかぶっていれば、道行く人の考えることはひとつだ。「あの帽子の下はスネ夫ヘアーに変わりかけているんだろう、ひょっとしたら“二級”まで来ているかもしれない」


 「みんなが私を見ている」遠くに住む母親に電話で打ち明けた。「職場の人たちもみんな、おかしいって思いはじめてる」「誰も気にしてないわよ」と母は行った。嘘だと思った。

 実際、私は職場に行くことが困難になっていった。正確に言えば“業務を正確に遂行する能力がなくなり、それによるプレッシャーの重圧に耐えられなくなって行けなくなった”と言った方が正しい。

 スネ夫ヘアーは、自分の視界の前方に、髪が尖る。伸び続ける髪が庇のように視界を覆い、私はその年の冬には会社のパソコンの画面を見ることが困難になった。髪が前方に尖っているのでは、人と物理的な距離を近づけることさえできない。棘で相手に怪我をさせ裁判沙汰になるというケースが世界で相次いでいた。私は人と接することが恐ろしくなった。


 慈悲深い上司が、私のデスクにパーテーションを組んで、業務内容をスマートフォンでできるものに切り替えていく、という提案をしてくれた。しかしできることに限界があった。私は何もできない。何も任せてもらえない自分に腹が立ったし、悲しかった。

 「もう、これまでの業務は厳しいと思うんだ。雇用形態を切り替えて、やり直さないか?」上司からそう言われ、私は会社を去った。これまでやってきた仕事、実力を何もなかったことのようにされ、プライドが許さなかった。


 私は地元に戻り、そこの病院でスネ夫ヘアーの診断書を作ってもらった。そして地域の福祉課へ行った。私は“三級”となり、福祉の世話になることとなった。働けないのだから、仕方がないと思う。

 等級はスネ夫ヘアーの長さによって決定される。生え際(アンダー)と、棘の先端(トップ)を測定し、そのアンダーとトップの差が等級の振り分け基準のひとつとなるのだった。そのほかにはスネ夫ヘアー自体の角度などの基準がある。


 私は実家で、何もしない毎日を過ごした。私の実家がある地域はスネ夫ヘアーによる助成金が降りやすい、とあとから調べてわかった。スネ夫ヘアーの認定は各都道府県で行われる。認定されにくい地域とされやすい地域の差が生まれているのだった。認定され助成金を受給し、必要最低限の買い物は両親に任せ、私はひとり部屋にこもって過ごした。


 「あれはどうなんだろうな」と部屋のドアの向こうで父親が問いかけてきた。

「なにが?」私は答えた。私は聞く気がなかった。

「“頭髪硬直症”の人がグループで話し合ったりしてる会があるらしい」と父は言った。当事者以外、そしてデリカシーのある者は“頭髪硬直症”という呼び方を使うものだ。

 私は肩をこわばらせた。顔が赤くなるのがわかった。ドア越しの会話で良かったと思った。私は声が震えるのを抑え、うーんとか、聞いているような聞いていないような、どっちとも取れる曖昧な相槌を打った。

 「グループの案内をパソコンで調べて印刷したから、置いておく。おやすみ」ドアの隙間から一枚のA4用紙が挟み込まれ、やがて父が去っていく足音が聞こえた。私はその紙を見てたまらなくなり、涙を流してベッドに潜り込んだ。と言っても、顔を枕に押し付けて声を殺すことなんてできない。棘がベッドに突き刺さり、顔だけ宙に浮いてしまう。首がつらい。仰向けのまま、私は布団を顔に押し付けて泣いた。そして眠った。

 私は眠る時に壁側を向く癖がある。眠っているあいだに壁に棘が突き刺さり、首を固定される不快感で目が覚める。スネ夫ヘアーになってからというものの、満足に眠れた試しがない。壁は傷だらけだった。

 

 最後に人と愛し合ったのはいつだったか。私はある男の薄い胸板と、男性のわりには滑らかな肌の質感を思い出した。私は夢の中でおどける彼を笑いながらぶち、そして胸に顔を押し当てた。スネ夫ヘアーが彼の心臓に突き刺さった。彼は血を流し意識を失い、やがて死んでしまった。私は泣き喚いた。

 起きた時に彼は隣にはおらず、私は天井に伸びる自分のスネ夫ヘアーの先端を上目遣いで見つめた。人肌が恋しかった。


「ヤマモトです」男がいう。

「ハロー、ヤマモトー」

総勢二十名、全員が“ヤマモト”に挨拶をした。その統一性のとれた声量に一瞬驚いた。ヤマモトが続ける。

「在宅で内職を始めたと前回言いましたが、今週はあまり仕事ができませんでした。以上です」

ヤマモトが、総勢二十名が織りなす円の中心に向かって喋った。それ以上は喋りたくない、というように切り上げた。ヤマモトはスネ夫ヘアーの角度が上向きについており、表情が比較的伺いやすかった。 

 二十名のスネ夫ヘアーが円を囲んでいた。真上から見たら、漫画のベタフラッシュのようだろうなと私は思った。「サンキュー、ヤマモトー」

 続いてヤマモトの隣の男が声を出す。

「デンジロウです」

「ハロー、デンジロー」合唱が響く。 

「今日は喋りたくない気分です」

デンジロウと名乗る男がそう言い、そして無言になる。

無言。無言。無言に次ぐ無言。

「...サンキューデンジロー」

「サンキューデンジロウ」

「サンキューデンジロー」

二十のスネ夫ヘアーが、デンジロウに向けてまばらに感謝を述べた。


 私はあれから、Acquired Hair Rigidity Syndrome Anonymous、通称“AHRSA”のミーティングに参加しはじめた。

 市内のとある町の公民館の一室が貸し切られて行われるミーティングだ。月に二回、第一木曜と第三木曜の十八時から行われ、そこでスネ夫ヘアーの当事者たちがお互いの心境、近況、境遇を分かち合い、交流を深めるという集まりだった。

 そこで私はメンバーに顔を(といっても顔はあまり見えないから“存在”か)おぼえてもらい、数人とは世間話をするまでになっていた。私の人生には交流や会話が必要だと、わかっていた。それがたとえ傷の舐め合いであろうとも。


 「ミドリさん、最近よく顔を出してくれますね」

ミドリとは私のことだ。このミーティングではそう名乗っている。本名に擦りもしない、はじめに自己紹介を求められた時にとっさに思いついた“呼ばれ方”だった。私を呼び止めた“グー”という男は、スネ夫ヘアー二級であり、助成金で生活していると本人の口から聞いた。グーはたまにこうやって話しかけてくることがあった。「よく顔を出してくれてる」とは、一体誰目線の話なのだろう。グーは主催ではなかったはずだが。

「そうですね、人と喋ることは好きなんですよ、もともと」

私は笑顔を作って答えた。表情がよく見えていないとはいえ、声色や雰囲気で感じの良さを伝えられるだろうか。

 ミーティングが終わって、公民館の貸し出し時間が余るとこうやって世間話をすることもできる。“一般人”と比べてスネ夫ヘアー当事者は物理的距離、心理的距離共に弁えている。ミーティングに参加して以来、そう思えることが多かった。

 「グーさんはいつからこのミーティングにいらしてるんでしたっけ?」

「僕は半年くらい通ってますよ、でもヤマモトさんとかとは、それ以前から付き合いがあって」

グーとヤマモトとのあいだに長い親交があることは意外だった。以前ヤマモトがトゲのある言い方でグーに突っかかっているのを聞いていたことがあった。

「そうだったんですね、意外です」私は正直にグーの発言の感想を述べた。

 「ミドリさんって、いつからスネ夫ヘアーなんでしたっけ」グーが聞いた。グーがスネ夫ヘアーを揺らした。異様にオドオドした態度であるような気がして、それが私には引っ掛かった。

「私は去年の八月に前髪が固まり始めました。まだ全然、ペーペーですよ」私はなおも見えない笑顔を作り続けた。


 そっか、とかうんとか、相槌を打ち、時間が許すまでグーの会話を拾い続けた。グーは喋る時に身体がユラユラと揺れた。心許ないのだろうな、となんとなく察し、反面その態度を表せる無神経さに少し苛立ち、自分を侮辱されたようにも感じていた。

 「ミドリさんって三級ですよね、これからどうするんですか?」グーが質問をした。私は一瞬なにを聞かれているのか分からず、混乱した。

「どうって、なにを?」

「恋人とか結婚とか、生活とか」

「今は考えていないです」私は正直に答えた。第一こんな頭じゃ、結婚なんて無理だろうと思っていた。セックスもできないのだから。

 「僕は結婚とかするなら、スネ夫ヘアーの人がいいです」グーが言った。私は驚いた。私はなぜこのグーと自称するスネ夫ヘアーの男にこんなことを言われなければならないのか、状況を整理しようとしていた。

 グーが続けて聞いた。

「ミドリさんは、スネ夫ヘアーとスネ夫ヘアーじゃないひととなら、どっちと付き合いたいですか?」

 グーのその質問に、ただただ圧倒された。私は恋愛対象について、“スネ夫ヘアーの人”と“スネ夫ヘアーじゃない人”の二種類で区別して選定したことがなかったし、その二種類に分けて相手を見るという発想がこれまでになかった。

 その二択があるということ自体に衝撃を受け、不可解さから言葉に詰まった。

 グーの質問を聞いて、一瞬苛立った。あまりにもバカにしている。グー自身を含め、スネ夫ヘアー全員を。だからそんなにオドオドした態度なのだろう。恥を知れ、そう思った。

 「僕はね、同じ気持ちを共有したいんですよ。スネ夫ヘアーの人となら分かり合えると思ってる」私はゾッとした。

「僕は相手がスネ夫ヘアーで思い悩んでいたら話を聞いてあげたい。そして救ってあげたい。これはね、相手のためじゃないんです。僕が気持ちいいからやってる。相手の気持ちが自分のことのようにわかれば、相手だって嬉しいし、僕も嬉しいんです。だから僕はスネ夫ヘアーの人と一生を共のしたいって思っていて。そんな将来を思い浮かべていますね。これは僕が僕のためを思ってやることなんです」

 私はグーがこの話をする意図がやっと掴めた。グーは伺うようにこちらを見ていた。私は彼に軽蔑の感情を持った。そして同時に、自身にも軽蔑の感情を持った。グーは自分自身を理解しているとも思ったし、その理解自体が誤りであるとも思えた。そして自身の浅慮を恥じた。

 「...そこまで将来のことを具体的に考えていらっしゃるグーさんはすごいですね」やっとこれだけ発した。

 私は自身がどんな身におかれようとも選択肢は平等であると思っていたし、グーにもそれを求めた。“こんな頭じゃ恋愛もできない”と自分に思いながら。“一般人”との会話を比較しながら。

 そしてグーが自身を含めた世界を区別し、自身の限界を知った上での現実的な選択肢をもった“賢い”人間なのだろうということにも気付いた。そして私とグー、どちらも間違っており、選択肢を持つものとして、選択の権利を誤っていることにも気がついた。“一般人”との会話だったら、こんなことに気がつかなかっただろう。


 グーの物理的距離が近づいていることにハッとした。私は一歩後退りした。そしてふと、スネ夫ヘアー同士は棘がぶつかるので相手の体を傷つけないことを思い出した。私はグーのスネ夫ヘアーを見て、そしてこう言った。

「今日は色々お話を聞かせてもらってありがとうございます。また再来週お話しさせてください」

 会話を切り上げ、私は公民館の出口へと向かった。

 

 その後、私はミーティングには参加しなくなった。ミーティングにいたヤマモトに話を聞き、スマホや視界に入る小型のパソコンでもできる仕事を探した。徐々に収入を上げ、生活を“一般人”に戻して行った。ヤマモトとは同じ個人事業主同士として、仕事の相談や愚痴などで連絡を取り合っている。ヤマモトとは月に二回程度の頻度で会っており、最初の鋭い印象とは違った面を見せるようになっていた。

 グーがどうなったのかは知らない。ヤマモトからも聞いていない。ただある年に、硬化した髪を軟化させ自然な髪質に戻らせる内服薬が発売されたことは世界のスネ夫ヘアーの誰にとっても朗報だったと思う。私は内服薬を飲みながら徐々に生きやすい方法を見つけて行った。髪は完璧には戻らないが、以前より弾力を持ち、少し曲がったりするようになった。

 “一般人”には戻れないし、“スネ夫ヘアー”の友人もヤマモトぐらいしかいないものだが、毎日それなりに楽しくやっているつもりだ。

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