第三話 ドラゴンとのコミュニケーション

 ハクットゥレさんは色々なものを持ってきてくれた。

 まず渡された布は、それで体を拭くらしい。涙で濡れた顔を拭って、汗で冷えた体も拭く。のろのろと手を動かす俺を見て、男の人の姿をしたドラゴンは口元を歪めたけれど、何も言わずに椅子に座った。

 それから、服。柔らかなシャツ。木で出来たボタンを一つずつ止めてゆく。柔らかなズボンを履いて、細長い布はベルトだ。腰に巻いてズボンが落ちないように結ぶ。体はまだ痛むけど、服に守られている気分にはなった。

 最後に、こんもりと深さのある器に盛られた、温かな湯気の立つスープを渡された。そのにおいに、自分が空腹なのだと気付いた。急に空っぽの胃が主張を始めて、溢れてきた唾液を飲み込む。

 柔らかな湯気に優しく頬を撫でられた。スプーンを口に含むと、ほのかに甘いような、じんわりとした味が口の中に広がって、飲み込む時にこくりと喉を鳴らしてしまった。具も何もない、ただほんのりと味のするだけの、ただ温かいだけのスープが、お腹の中に落ちてゆく。

 じんわりとお腹が温まって、ほうっと息を吐き出す。さっきまでの自分は、冷えてこわばった体で、空腹で、余裕がなかったんだと気付いた。だからきっと、泣くほどに取り乱してしまった。

 そこから夢中になってスープをすくっては飲み込んで、気付けば器は空っぽになっていた。ハクットゥレさんが、俺の手から空っぽになった器を取り上げる。

 慌てて「ありがとうイカシ」と言えば、ハクットゥレさんは困ったように眉を寄せて笑った。そして、空になった器を持ってまた部屋を出て行った。

 温まった体で深呼吸をすると、今は人の姿をしているドラゴンを見た。


オーキスエーシュ終わったか?


 問われて、俺は頷く。そのドラゴンは、立ち上がってベッドの脇にやってきて、すぐ脇に置かれていた椅子に座った。

 不機嫌そうな顔も、俺を睨むような目付きも変わらないけど、俺が服を着てスープを飲んで落ち着くまでは黙って待っていてくれた。それにそもそも、俺は無事でここにいる。

 きっと大丈夫なんだ、と思いながら俺は口を開いた。


「やっぱり、なんて呼べば良いのか教えてください。名前じゃなくても良いです。何か言いたくない理由があるんだろうし。でも、呼びかけることができないのは不便です」


 俺の言葉に、そのドラゴンはとても嫌そうな顔をした。それでも俺は、真っ直ぐにその顔を見て「教えてください」と繰り返す。


レキシェードラゴンとリントゥエーフ呼べば良い


 ようやく返ってきた言葉に、俺は眉を寄せる。ドラゴンだからドラゴンレキと呼ぶなんて、まるで人に向かって「人」と呼び掛けるようなものだ。そう思ってから、俺は実際に目の前のこのドラゴンレキに「マウヌ」と呼び掛けられたことを思い出す。

 それならそれで良いか、と溜息をついた。


「わかりました。じゃあ『レキさん』と呼びます」


 小さな声で「好きにすれば良い」と返ってきたので、好きにすることにした。これで、話ができるようになった、と考える。


「それで、フゥウエーお前がレキウレシュラファラに来た理由はなんだ。どうしてあの女サウムエーシュと一緒にいる?

「あの女っていうのは、シルのことですか?」


 レキさんは、俺の質問に嫌そうな顔をして、頷くことはしなかった。


フゥウサウムお前と一緒にいるレキシェードラゴンのことだ


 睨まれたり、嫌な顔をされたりするだけで、ちゃんと会話にはなっていた。レキさんは、ちゃんと会話をするつもりがある、多分だけど。

 言葉の意味がわかる分、ずっと楽かもしれない。全然通じなくて、会話をするのがとても大変だったことなんか、もっといっぱいあった。

 そう気付いたら、ちゃんと落ち着いて話せるような気がしてきた。


「レキウレシュラに来た理由……一緒にいる理由も、シルには聞かなかったんですか?」

シューニティ聞いた


 レキさんはそう言った後に何かを思い出すように斜め上を睨んで、少し言葉を止めて口元を歪めた。そして小さく息を吐いてから言葉を続ける。


「あの女の言うことはわからない」


 シルの言葉はきっとレキさんの聞きたいものではなかったんだろうな、と思った。シルはレキさんになんて答えたんだろうか、と想像してちょっと笑ったら、レキさんに冷たく睨まれてしまった。

 こうやって冷たくされる理由ははっきりとはわからない。けど、レキさんはきっととても長い間あの場所に閉じ込められていた、というのは想像できる。

 こうやって睨まれたり、嫌悪感を表現されたり、それは正直に言えば嫌な気分になるものだけど、俺はもう服も着ているし温かいものを食べて落ち着いたので、取り乱すようなことにならずに済んでいる。

 発音と意味がちぐはぐに聞こえるのも、きっと混乱の原因だ。俺は意識して意味だけを追いかけるようにする。シル相手にはずっと、自然にやっていたことだから、今だってきっとできる。


「あの女は、人は弱いと言っていた。わたしがお前に酷いことをしたら許さない、とも。わたしは人を噛み殺したい気分だけど、同胞の言葉に免じて、お前が死ぬようなことはしない」

「それは……ありがとうございます」


 冗談じゃなく、俺はドラゴンレキには敵わない。レキさんがその気になれば、きっとすぐに死んでしまう。シルだって、きっと本当はそうだ。今まではきっと、シルがそう思わずにいたってだけのことだ。


「わたしがお前を噛み殺そうとしたとき、あの女は人の姿のまま、わたしを止めようとした。どうして元の姿にならなかったと聞いたら『貰った服や綺麗なものが破れてばらばらになるのが嫌だった』と言った。お前に貰ったものだと言って、いろんなものを取り出して、並べて──全部見せられたけど、説明の言葉はちっともわからなかった」


 綺麗なものを見付けたときの、シルの表情を思い出して、俺はまた笑った。きっとシルは興奮のままに、いろんな綺麗なものについて話して聞かせたんだろう。ここまでの旅で見付けたたくさんのものを。

 その姿が、なんだか想像できる気がした。


「人、お前はあの女をどこから攫ってきたんだ。どうしてこんなにあちこち連れ回した。レキウレシュラには何をしにきた」


 何から話せば良いだろうかと、俺は目を閉じて大きく息を吸う。吐き出して、目を開く。

 やっぱり、最初から話さないといけないかもしれない。最初から──そう、シルに会ったときのことから。

 あのときのことを懐かしく思い出しながら、俺は口を開いた。




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