Which hunt

不立雷葉

第1話

 街の中心にある広場、隙間無く敷き詰められた石畳の上に火が燃え盛っていた。

 轟々と猛る火は天に向かって真っ直ぐ伸び上がり、黒い煙が空へと昇る。燃えているのは薪と丸太に縛り付けられた人間の体だった。


 それは既に真っ黒に焼けてしまっており、人の形を保ってはいるが性別などはわからなくなってしまっている。それでもまだ内側から脂が染み出し、燃えながら垂れていた。

 生理的な嫌悪感を催す酷い臭いが、広場だけではなく風に乗ってグランタスの街全体に広がっていた。けれども街の住人は誰一人として鼻をしかめることはなかったし、その多くは火刑が行われている広場に集まり喝采を揚げている。


「これで街は救われる!」

「罪は浄化された!」

「恵みよ! 神よ恵みよ!」


 これらの言葉を上げながら人々は狂喜し、焼けて崩れてゆく人体を眺めていた。中には喜びのあまり踊りだすものさえいて、夕暮れの太陽はそれらの石畳の上に長く引き伸ばす。


「街に災いをもたらした魔女は炎により浄化されました! 我等を苦しめ悩ませた呪いは消え去った! 神は悪しき魔女を見つけ出し、打ち倒した我々を祝福することでしょう! 大いなる神よ、我等に大地の恵みをもたらしたまえ!」


 燃え盛る火を背中に、この儀式を執り行っている司祭が杖を掲げる。目は大きく見開かれ、爛々と輝いていた。この場にいる者のほとんどがそうだった、人を殺した罪悪に悩むものはいない。誰も殺した等と思っていない。

 悪しき魔女を打ち倒した、街は呪いから救われたのだ。再び神の祝福がグランタスにもたらされるのだと、誰もが信じて疑わない。司祭に先導された群集は人肉を焼く炎に向けて両手を組み、遥か天上におわす神に向けて祈りの文句を捧げるのだ。


 これらの光景を街に住む一人の少年であるアラムは冷めた目で眺めていた。彼等のように狂気に取り付かれること無く、家屋の石壁に背を預け取り残された気分を味わっていた。

 アラム少年は、いやアラム少年だけではない。グランタスの住民全員は火刑に処された魔女が誰かを知っていた。


 魔女の名前はシュリー・デュヴァルという齢五〇になろうとしていた未亡人であり、街一番の金持ちでもある。

 アラム少年の家はデュヴァル家に近いこともあり、デュヴァル夫人とは話すことも多かった。魔女とされ火刑に処されてしまった夫人だが、アラム少年からみて彼女はとてもそのようには見えなかった。むしろその逆である。


 一〇代後半でデュヴァル家に嫁いできた夫人は夫婦仲は良かったのだが、子宝に恵まれることは無く夫人が三〇になろうかというところで主人に先立たれてしまった。三〇ならばまだ子供も産めるだろう、ということでデュヴァル夫人には縁談が持ちかけられたのだが彼女は全て断った。

 というのもデュヴァル家には跡継ぎがいなかったが、夫人は夫の家を守ると決意していたらしく余所の家に嫁ぎなおすこともしなかったし、かといって新たな夫を家に迎えることもしなかった。


 ただ家は残さなければならない、ということでデュヴァル夫人はいずれ養子を迎え入れるつもりで街の聡明な子供の中から誰かを跡継ぎに指名するつもりでいた。この跡継ぎ候補の中にはアラム少年もいたのである。


 そういうこともあって、アラム少年はデュヴァル夫人に可愛がってもらったと思っているし、アラム少年の親もデュヴァル夫人には色々と良くされていた。だからアラム少年はデュヴァル夫人が街に災いを齎した魔女だ、とは到底思えなかった。

 街には悪い病が流行り、作物は不作で漁に出ても魚が取れないということが続いている。これらは魔女の呪いによるもの、ということにされているがアラム少年には信じられない話だった。


 アラム少年は世界というものに興味を持っており、行商人が街にやってくると他の街の話をいつも聞くようにしている。行商人によれば、病が流行っているのはこの街だけのことではなく国全体の話であり、不作も不漁も同様にグランタスだけの話ではないのだ。

 だから魔女の仕業ではない、という根拠にはならないのだがアラム少年には引っかかってどうしようもない。


 街で教師をしているマヌエラ女史から聞かされたことがあるのだ、自然には周期があると。人間にとって悪い時期と良い時期が繰り返される、それが自然の理であって悪い時期が来た時はただ耐え忍ぶしかない、と。

 だからアラム少年は流行り病も、不作不漁も悪い時期が来ているだけであって魔女による呪いなどではないと思ってしまうのだ。


 そんな少年にとって、今この広場は恐ろしい場所である。もしかすると善良な人間に、ありもしない罪を被せ、虐殺し喜んでいるのかもしれない。そして誰もそんな疑問を抱かず、シュリー夫人を魔女だと信じて炎で焼いたのだ。

 街の人々が恐ろしい、父も母も群集に混じって神に祈りを捧げているのが見えた。一〇歩も歩けば輪の中に入れるが、酷く遠く感じられた。頭では輪の中に入り祈るのが良いことは分かっていても、とてもではないが出来そうにない。


 逆に離れたかった。家に帰りベッドの上で身を丸めたかった。けどもしここを離れたら、周りからどんな風に思われるのだろうか。魔女の仲間だと思われてしまうかもしれない、それが怖かった。疑われないためには、自分も祈りを捧げないといけない。けどそれも怖くて動けなかった。

 こうして立ち竦むしかないアラム少年に一人の女性が声を掛ける。マヌエラ女史だった。


「どうしたのアラム? 一人でぽつんと悲しそうに……そんな顔をする必要はないのですよ、司祭様も仰ったではないですか。街を呪っていた魔女はもういないのです、これからは神が私たちに恵みを与えてくださるでしょう。ですから喜べばよいのですよ」


 マヌエラ女史は柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 喜べばよいと言われても、アラム少年はとてもではないが喜べずに俯いた。怖くて怖くてどうしようもなかったが、マヌエラ女史を信じて首を横に振る。


 そして恐る恐る顔を上げてみたが、マヌエラ女史の表情には怒りも失望も無かった。ただ柔らかく微笑んだままアラム少年を見つめている。それだけなのだが、アラム少年は耐え切れずにまた俯いた。

 そんなアラム少年をマヌエラ女史は抱きしめた。彼女の胸はちょうど少年の頭の高さと同じで、胸の膨らみが少年の頭を包み込む。母のものではないが暖かく包み込まれると、アラム少年は少し落ち着いて息を吐き出すことが出来た。


「恐ろしい光景ですものね、どれだけ喜ばしいことであっても人の形が焼かれていることに変わりはないのです。あなたのような少年なら恐怖が勝って当然のこと、ですけど安心して良いのですよ」


 抱きしめられたままアラム少年はまたも首を横に振った。


「先生……違うのです、違うのです。シュリーおばさんが魔女でないとは言いません。ですが、本当に街を襲う災いが呪いによるものなのかが疑問なのです。病気も、作物が実らないこともこの街だけの話ではありません。先生が教えてくれたように、人間にとって良くない自然の周期が来ているだけとしか僕には思えないのです」


 零すような小さい言葉だったが、これを聞いたマヌエラ女史は慌てて周囲を見渡した。幸いなことに広場の群集は燃え盛る炎と司祭の言葉に夢中になっており、二人に気付いていなかった。

 マヌエラ女史はほっと息を吐き出すと少年の頭を抱え、胸に押し付けるようにして抱きしめる。


「本当に賢い子ですね、けれどそれを誰にも言ってはいけませんよ。良いですか、何であろうとデュヴァル夫人は魔女だったのです。例え違ったとしても、デュヴァル夫人は魔女なのです。魔女だから火刑に処せられたのです」


 女史の言葉は蚊の鳴くような声だったが、耳をそばだてていたアラム少年には一言一句ハッキリと聞き取ることが出来た。


「どうしてですか? その言い方ですと先生もシュリーおばさんが魔女ではない、と言っているように思えます」


 アラム少年はマヌエラ女史の腕から自ら離れ、真っ直ぐに彼女の顔を見上げた。様々な学問を教えてくれ、どんな質問にも答えてくれる彼女なら答えてくれると信じてのことだ。

 けれどもマヌエラ女史は答えない、小さく首を横に振るだけである。これにアラム少年は憤慨を覚えた。


 少年は不確かな事が嫌いだった、今は科学の時代だと信じて疑わない。少年をこのようにしたのはマヌエラ女史であり、その彼女が確かなことを口にしないことが腹立たしかったったのである。


「いいえ、あなたも大きくなればわかることです。今私に言ったような事はもう二度と言ってはなりませんよ、私も聞かなかった。お父さんやお母さんにも決して、口が裂けても言ってはなりません」


 アラム少年は頷いたがこれっぽちも納得はしていない。

 大人になれば分かる、これは大人が何かを誤魔化したい隠したい時に使う常套句だと知っている。本当は問い詰めたいけれども、問い詰めたところで答えてなどくれないことも知っていた。だからこの場は、分かった振りをして諦めただけだった。


「良い子ですね。さぁ、明日からはきっと良い日がやってきます。今日よりも、昨日よりもこれまでよりも良い日が来ます。家に帰ったらお夕飯を食べて、ぐっすりとお眠りなさい。また教室で会いましょうね」


 女史は少年の頭を一撫ですると背を向けて群集の中へと紛れてゆく。

 その向こう側ではまだ煌々と燃え上がっていたが火の手は落ち着き始めていた。磔台はほとんど炭になっており、縛り付けられているシュリー夫人の肉体も同様である。完全に焼けて真っ黒に焦げてしまった人体は、輪郭でそうとわかるだけで遠目では焼け焦げた木と見分けが付かない。


 火の手が落ち着いたからだろうか、大いに盛り上がっていた群集は平静を取り戻し始めていた。焼けた魔女に侮蔑の言葉を吐くもの、神に改めて祈りを捧げるもの。人によって違うが、皆何かしらの言葉を残して家路に着く。

 アラム少年の父母は神に祈りをささげなおしてから彼に元へとやってきた、父も母も満足そうな表情を浮かべてどこか誇らしげである。グランタスの住民として、呪われた魔女を清めたことが誇らしいのだろうか。


 母は手を繋ごうとして少年の手を握る。日々の仕事で罅割れてしまっているけども温かな手、いつもと変わらぬ温もりがアラム少年にはどこか恐ろしい。

 そのせいだろうか、アラム少年は手を握る母から逃れようとしてしまう。けれど母は子の手を離さない、決して話すまいとして少年が痛みを覚えるほどにその手を強く握った。突然だったものだからアラムは顔をしかめながらも、恐る恐ると母を見上げる。


「大丈夫よ、街を呪った魔女はいなくなったの。明日からは今日よりも、昨日よりも良い日々が始まるのよ。安心なさい、魔女に打ち勝った私達を神はきっと祝福してくれる」


 愛する我が子を安心させようと母は笑みを浮かべる。見慣れた、心を落ち着かせてくれるはずのその表情だがアラム少年には仮面のように見えた。心臓の鼓動が大きくなるが、相手は母親だ。

 確かな恐怖を覚えてはいても、母にそれを悟られまいとしてアラム少年は頷き返す。そしてそのまま顔を見られないようにと俯いたまま手を引かれ、家路へとついた。

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