第二章

「我が名はキュアノスプリュネル。本日より私がお前の持つ力を鍛える」

 自動人形オートマータはそう名乗った後、いきなり蹴りを見舞ってきた。槌矛に等しい一撃を食らい少女が吹っ飛ぶ。

「どうした、その程度では倒れぬはずだぞ、早く立て」

 普通の人間であるならば既に絶命しているであろう一撃を与えておいて、自動人形はそんな風に言う。

「⋯⋯」

 そして少女は期待通り立ち上がってきた。

 それを見ると自動人形は床をへこませながら軽く跳躍し、少女との間合いを一瞬で詰めた。鉄の拳が振るわれ少女が再び吹き飛ぶ。

「⋯⋯」

 蹲る少女の下へ自動人形が再度近付く。

 今度は少女の方が飛び掛かる勢いで間合いを詰めると自動人形の腹へと全力で拳を打ち込んだ。細胞が破れ血が滲む。何本か指も折れた。

「どうしたのだ、なぜ火の力を使わん?」

 胴の部品が少し軋んだがこの程度では自動人形は落ちない。

「同胞を何体も再生不能なまでに焼き付くした火をなぜ使わん?」

 火の力を使えば自動人形の堅牢な装甲とはいえ燃えてなくなるのは証明されている。だから自分まで燃やされないようにと、いつでも回避出来るように間合いを微妙に変えているのだが、相手に力の発動の意志がなければ意味がない。

「まさか、お前の中には火の力が宿っていないのかリュウナ!?」

「⋯⋯」

 少女――リュウナ・ムラサメは、相手の腹に拳を当てたままでそれには答えない。しかし

「⋯⋯あなたはわたしがもつ力をきたえるといった。だから、きたえて」

 それだけ言うと血塗れの拳を離し、構えを取る。

「そうだな。約束は守らねばな」

 自動人形は少し間合いを離すと、再度少女を吹き飛ばした。


「⋯⋯」

 リュウナは自室のベッドの上に、制服を着替えもせずに転がっていた。

 天井を見つめながら、キュアから始めて手痛い訓練を受けた幼少時を思い出していた。

 前日にはまず姉が訓練を受けていた。それが終わったとき、キュアの右肩から先が焼け落ちていた。右腕を新しいものに換装した翌日、リュウナに番が回ってきた。

 そして、妹の体の中には火の力がないことが証明された。

 始まりのあの日。姉が機械神の一機を壊したあの日。

 リュウナは側にある待機所からそれを見ていた。一号機の顔から炎が吹き出し次の瞬間には頭部の殆どが砕け散った。

 姉はこの時に記憶を失ったというがリュウナにもそれ以前の記憶がない。姉との違いを本能的に感じて自らを守るように記憶を封じてしまった。そんな風に考える。

 だからリュウナも姉にある火の力が自分には無いと知ったのは、キュアに始めて殴られたあの時。自動人形も当の本人もあの瞬間に知ったのだ。

 リュウナの処遇は非常に難しいものとなった。リュウガが使えなくなった時の代わりとして育成する筈だったものが、その肝心な能力が無いとなると扱いが変わってくる。

 キュアは意思を持ちし自動人形だが、自動人形そのものには人のような感情はない。必要ないと判断すればあまりにも簡単に処分する。だからリュウナもそのように処理される処であったが「今後成長するに連れて力が発言するかも知れぬ」というキュアの効率を優先した言葉により留め置かれた。

 彼女は姉と同等の要素がなにも無いわけではない。火の力が使えないというだけで、その受け皿となる化け物じみた肉体組織は同じ。火の力という枷のない彼女は、一般的な人間に混じれば姉を越える凄まじい力を持った超人に他ならない。

 本人が願った訓練はその後も続けられ、今では機械使徒最強の機体を任される操士にまでなっている――が

「⋯⋯」

 先ほど見た姉の腕を思い出す。

 真っ赤に染まった腕を見る度にリュウナの中に蠢く何かが、その力を強くする。右手が奇妙に熱く痛い。

 今日あったこと。

 形だけの任命式などどうでもよく、それよりも姉が龍焔炉を動かしたという行為の方に、負の感情が揺れ動いているらしい。

「⋯⋯」


 時間は本日の午前へ戻る。

 愛機であるプルフラスの操作室で待機していると、遠くの方から光の明滅が見えた。「式終了・回収求む」。姉の任命式を終えた副長が回収に来てくれと呼び寄せている。

 リュウナは機体を前進させると波を掻き分け十三号機が変じた空母最上甲板に近付いた。衝突寸前まで機体を寄せると副長がこちらに駆けてくる。そのまま飛び乗り操作室に入ってきた。

「よし、出してくれリュウナ」

 副長が背後からリュウナに声をかける。指示を受けた彼女は無言のまま機体を出す。

「リュウナ、せっかく近くまで来たのに姉さんには顔を見せないで良いのか?」

 後方を映し出す映像盤を見ながら副長は言う。広大な甲板に一人残ったリュウガはこちらの方を見送るようにずっと見ている。

「任務の方が重要ですから」

 リュウナは揺れを最小限に押さえる歩行操作をしながら簡潔に答えた。

「そうか」

 副長もその役職からムラサメ姉妹の特殊な出自は深く知る。だからこれ以上干渉しないのが最良と簡単に流した。

「とりあえず三号機の所まで行ってくれ、次の遠征に備えて調整しなければならん」

「了解」

 進路を副長が座乗する機体のある場所へと修正する。

「⋯⋯」

 リュウナは機体に装備された感覚機や映像盤に映る情報から、十三号機が変じた空母艦橋の裏には、姉が育成している訓練生たちが飛び出す時機を今か今かと伺っているのが分かっていた。

 未成熟の訓練生をひとつ大きくするために、姉は半ば命懸けで、両腕を失う危険と隣り合わせになりながらその力を使う。あれから時が経ち、リュウガは自分に持たされた力を、後進を育成するために使っているのである。

 妹であるリュウナには宿っていないその力を。

「⋯⋯」

 リュウナは沈黙を続けながら目的地へと機体を進ませる。

「副長」

 しばらく機体を進ませるとリュウナの方から話し掛けてきた。事務的な声。

「なんだ」

「本日は副長付きの任務から少し離れることになっています」

「ああ、その予定だったな」

 本日の予定表にはリュウナは途中で抜けることになっている。行き先は未記入。しかし副長には彼女がどこへ行くのか察しがついていた。

「副長を目的地で降ろしたら、そのまま向かいたいのですが」

「それで構わん」

 副長付きの仕事とはいっても常に副長の側にいる訳でもない。それに彼女は機械使徒操士としては最高位の腕を持つ者。一操士として行動することも多いわけだ――が

「また、行くのか、適性試験を受けに?」

「⋯⋯」

 副長が思わず洩らしたその言葉にリュウナは答えなかった。


 副長を降ろした後、自機も整備用工作艦に置いてきたリュウナは黒龍師団の中心となる施設へと向かう。全ての始まりの場所である機械神の格納施設。リュウナはそこに向かっていた。

 中に入るとそこは建築物内部とは思えないほどの広大な空間。ここは鐘塔よりも背が高く戦艦よりも重いものを収めておく場所。これだけの広い容積だと建材が歪んで自壊してしまうと不安になるが、建てたのは自動人形であるので倒壊の心配はあるまい。

 しばらく進むと姉が壊したあの機体が見えてくる。機械神一号機・アスタロト。破壊された頭部も修復され外見上は元に戻っているが、未だに調整中であり主任となる操士も未就任。

 そして本日用があるのはこの機ではない。向かい合って対面にいる機体に用がある。

 リュウナは格納施設の壁に接地された昇降機に乗ると、その機体の頭部近くへと上る。

「⋯⋯」

 暫しの時間が経過した後、リュウナはとある操作室の中にいた。普段乗っている機械使徒の操作室よりも複雑且つ洗練された内部。ここは機械神二号機・リヴァイアサンの主操作室。

 本機は、分割を基本としたために設計が華奢になってしまった前機・アスタロトの反省を踏まえて、機体各部を繋げたまま移動・秘匿を行うべく、可変機能を特化させた機。

 設計自体は機体全体に複雑な可変機能を設けるのではなく、上半身と下半身に大きく分け、下半身の方へ多くの変形機構を盛り込んでいる。しかも重要部位である動力炉と流体金属の尾部をひとまとめにしてこれも分離できるようにしていると言う徹底ぶり。

 機械神としての存在を秘匿しての行動時は、尾部を外した下半身が機械神とは別の巨大機械として振舞い、此方も機械神とは分からぬよう変形した上半身を隠蔽するよう運用する。それに尾部が連なる。基本的には三機に分離しての行動となるが、尾部は上半身・下半身どちらとも単独で合体可能なので状況により使い分ける。分離した尾部は小型駆逐艦(もしくは装甲飛行船)として随伴する。

 両腕の分離機能は機体設計の基準の一つであるのでもちろん残されているが、分かれての積極的運用は考えられておらず、あくまで緊急用に留まっている。

 実験的要素を多く含んだ設計思想はやはり初期型の機体所以であり、建造から数千年を経て黒龍師団の所持機となった現在も、一号機と同じく操士を得られぬまま格納施設の片隅でひっそりと佇んでいる。

「⋯⋯」

 リュウナは主のいない座席に座り静かに反応を待つ。

 これが機械神操士となるための適性試験の全容。

 機械神を動かす者は機械神が選ぶ。

 操士としての素質があるものは、機体が何らかの反応を起こす。その素質というものが先天的なものか後天的なものかも分かっておらず、自動人形も詳しくは説明してくれない。自動人形にとっても機体の常態維持は最優先でも、操士の選別はそれには含まれない。機械神が動こうが動くまいがそれは常態の維持には関係ないことで、矛盾しているようだが自動人形とはそのようなものであるのだから仕方ない。

 リュウナも幼少の頃から「例え保護者であろうとも自動人形を信用してはならない」と、その保護者である自動人形から教えられてきたので、矛盾も分かっているつもりだ。

「⋯⋯」

 何も反応を示さない計器群を見ながらリュウナは思う。

 姉との違い。

 火の力の有無の他にも、機械神の操り手としての適性に差がついていると他の者からは思われている、が。

「十三号機自体が誰でも乗れるようになっているのでは?」という疑問をリュウナは持っている。

 龍焔炉という予備の部品を内包した機体。しかもその役目は正規の機体の交換部品の輸送である。その目的で運用されるのであれば、実は誰が乗っても動くのでは? 機械使徒のように訓練次第では誰でも動かせるようになるのでは?

 リュウガが一号機を用いた適性試験に成功したかどうかは不明のままなのだ。その後に十三号機を乗りこなしているのだから操士としての素質はあるのだろうと思われているが、十三号機自体が正規から外れる余剰であり、その「適性」というものが通用するのか疑問なのである。

 リュウガが他の機械神に乗って動かせれば答えはすぐに出るだろうが、一号機を破壊した過去があるので彼女が他機に乗ることはないであろうし、十三号機自体も他の者が乗ることもあるまい。席に着いた瞬間燃やされてはかなわない。

 だからリュウナの中では姉との違いは火の力の有無だけ。姉との差――姉を越えるものとして、彼女は正規の機械神を操れる正操士としての適性試験を受ける。だが。

「⋯⋯今日もやっぱり動かないのね」

 リュウナはそう洩らすと席を立ち外部に繋がる出入扉ハッチへと向かった。


 昇降機を降りて外に出ると、代わってそれを使おうとする者とすれ違った。今日はまだ適性試験が行われるらしい。以前は一号機・アスタロトが試験の専用機として扱われていたが、リュウガが壊して以降、二号機・リヴァイアサンが主に使用されている。「機械神を破壊した女」の爪痕はこんな処にも残っており、リュウナも複雑な気分になってくる。

 この格納施設は機械神を格納しておく為、千年程前に意思を持ちし自動人形が中心となって作った場所。

 一応機械神の定数12機分の格納場所はあるのだが、空所も多い。機械神の管理運用を統括する黒龍師団も、全ての機を掌握している訳ではないのだ。

 黒龍師団ではその任務として、未だに発見されぬ残りの機体の探索は行ってはいるが、自動人形自体はそれにはあまり積極的ではない。実は五号機の所在は分かっているのだが、他国において信仰の対象として崇められる存在となっており、引き渡しを願うことができない現状もある。

 機械神があるのならば中には自動人形が乗っている筈であり、その場で常態維持を行っている。自動人形の最優先事項は続けられているのであり、無理に回収する必要もない。またも矛盾するような行為だが、繰り返しになるが自動人形とはそのようなものであるので仕方ない。黒龍師団を運営するのは生物の人間、黒龍師団を創設した自動人形は機械。物事の捉え方が違ってくるのは当然と言えば当然だ。

 遠くの方に見える格納施設の最奥には、十三号機用の格納場所がある。この格納施設が作られたと同時に運び込まれ、一人の少女を手に入れるまで動くことは無かった正規から外れる機。

 それが今では成長したその少女と共に外を飛び回っている。機械神と呼ばれる機械の中では一番動き、活躍しているのではないだろうか。


 機械神格納施設を後にしたリュウナは再びプルフラスの操作室にいた。

 用事ーー機械神操士適性試験を不可で終わらせてきたリュウナは副長の下へと戻った。

「今日は急ぎの任務もないから、あとは愛機の面倒でも見ていろ」

 そのように言われ放り出されてしまった。副長はフィーネ台地と呼ばれる土地へ送る調査団の調整に忙しく、手持ち無沙汰の機械使徒操士に周りでウロウロされても困るのだろう。

 というわけでリュウナはプルフラスを駆り、近海の遊弋任務に出ていた。下半身を水面下に静め海上を進む。

 周辺では黒龍師団に所属する艦艇や機械使徒が色々と作業を行っている。一万フィート程もある作業用艀の周囲で様々な形の大型人型機械が動いている。

 黒龍師団の本拠地近海に、島ほどもある大きさの作業用艀が半没状態で数百年以上放置されている。黒龍師団の主要施設を建設するときに、海上に半固定して運用する支援施設として用意され、機械神の一時保管場所等に使われていた。そして作業が進み、本拠地内に機械神格納施設という最重要拠点が完成した後はその役目を終え、海上の橋頭堡、海堡の一つとして管理されていた。管理とはいっても殆ど放置状態だったのだが、黒龍師団が稼働を始めれば機械神の未入手機の探索や、支援兵器の機械使徒の開発建造に忙殺されるようになるため、規模が大きいだけの移動施設の取扱い優先度が低くなってしまうのは仕方ないだろう。

 それを仮設の集積所等に利用して周囲では様々な形の大型人型機械が動いているが、その全てが機械使徒だ。機械神が関係者以外の目に触れることは殆どない。一般人の中には機械神なんていうものは存在せず、それはおとぎ話に出てくる伝説であると思っている者も多い。十三号機も空母の姿でいることが多いので、あれが機械神の一機であることに気付いている者も少ない。

 機械神と機械使徒の相違点の一つは、中に自動人形が常駐する有無。機械神と同型の胸部と副腕、副脚をとりあえず人型に組み上げ、頭部などの足りない部品を追加して出来るだけ簡素に仕上げたのが機械使徒と呼ばれるもの。

 戦闘攻撃力だけは機械神に匹敵し、普段は戦闘行為に投入されることのない機械神の代わりに戦うのが主目的。その意味では「機械神の常態維持」を最優先とする考えに則ったものの一つで、機械神を傷付けたくないから代わりに傷付いても構わないものを自動人形が作った、ということになる。いかにも機械仕掛けの彼女達らしい考えに基づく機械兵器。

 しかし機械神そのものも人間には手に余るシロモノであるのは確かなので、性能は劣るが多少は扱いやすいものを提供してくれたのだから、喜ばしいことなのかも知れない。

 機械使徒は内部に自動人形がいないのが前提であるので、修理や整備は外部に任せなければならないが機械神の構造の中心となる機能は省かれているので、ただ機体を動かすだけで破損することはなく、単機での長期行動も可能である。

 しかし支援設備自体は十分なものが必要であり工作艦クラスの艦艇が機械使徒一機に対して最低一隻以上が用意されており、支援要員も多い。長期行動が可能といっても平時には入念な整備・調整は必要であり、自動人形無しで機械神級の大型機械を取り扱うとは艦艇、それも戦艦クラスの取り扱いと同義、ということになる。

 その中でリュウナの駆るプルフラスは四番目に作られた。ここまでに三機を作ってきた技術蓄積により「もっと攻撃力の高いものを」と、機械神の胸部部品を腰部へと使い上半身は丸ごと新造という、かなり過激な設計により建造されたのが本機である。

 とりあえず完成はしたのだが、あまりにも設計が高級過ぎて誰も乗りこなせず、永らく研究用の機体として放置されていた。しかし機械神胸部部品を腰部に使用する設計自体は使い勝手が良く、後続の機体にも取り入れられている。もちろん人が乗りこなせる程に性能は落とされているが。

 そして放置されていたプルフラスもリュウナという化け物じみた身体能力を持つ操士を得ることによりようやく実戦配備されることとなる。

「⋯⋯」

 リュウナが海上の周回を続けていると遠くの海が橙色になってきた。夜間作業から外れる者は帰投準備に入っている。

 そして夕陽が沈もうとする海の向こう、オレンジの空に黒い点が見えた。それは始め一つしか見えなかったが二つ三つと増え、最終的には十七に増えた。

 それは日が没する前になんとか根拠地に帰り着こうとする編隊に違いないが、航空機にしては速度が遅い。輸送機並みである。輸送機の群れだとしたらあれだけの大編隊、事前通達があるはず。

「⋯⋯」

 リュウナには帰投中の編隊の正体は黒い点が見えた時から分かっていた。それが航空機編隊などではなく空中艦隊規模のものであることも。

 リュウナはプルフラスを動かすと手近な島陰に隠した。疲れて帰ってくる彼女たちの進路を邪魔したくないのと、今日は姉とはあまり会いたくない気持ちだからだ、機体越しでも。

 プルフラスが隠れた小島の向こうを浮遊城塞のような物体が進んでいく。航空機とは言い難い小型要塞のようなものを十何機も従えて。

 あの空を飛ぶ十三号機を見て「機械神なんて伝説上のもの」と思っている者はどう見るのだろう。黒龍師団が用意した新兵器くらいにしか、やはり考えないのだろうか。

「⋯⋯」

 リュウナはダンタリオン分離機を引き連れて帰投する十三号機を見送ると、プルフラスを島陰から出して支援要員が待つ整備用工作艦へと機体を向けた。


 愛機の整備が切りの良いところで終わるまで付き合っていたリュウナが帰宅した時は、夜も更けていた。

「ただいま」

「おかえりなさいリュウナ」

 自宅のドアを開けると、姿見で火傷の様子を見ている姉と出くわした。

「⋯⋯」

 今日はあまり顔を会わせたくない相手の一番見たくない姿を見てしまった。

 リュウナは一緒にいたキュアにもただいまを告げると、そのまま自室に入り着替えもせず、ベッドの上に体を沈めた。


 数日後。

「カイン操士、定期連絡です」

「遠方まで御労苦だね」

 機械神六号機内に設けられた仮設調査室に顔を出したリュウナは、この機の主に迎えられた。

 本日は副長の代理として、遠方に設けられた調査基地に出向いている。

 副長はとある事象の調査を世界各地で行っている。しかし調査対象に指定する場所は危険な地域が多く、黒龍師団の保有機械の中でも劣悪な環境下において支障の出ない頑健なものでなければ安心して作業は進められない。そしてそれに該当するのは必然的に機械神になる。活火山帯であるこの地にはその中でも六号機が選ばれた。この機は変形して静止している分には仮設の砦か陸上戦艦にしか見えないので、周辺地域に無用な緊張を与えることもないだろうと選出されている。

 この機械神六号機・ツェルノヴォーグは機械神の中でも特に防御力を重視して建造された機である。

 元々機械神には主脚の他に腰側面に副脚が備えられているが、本機はそれを昇華させてもう一対の脚、二対の脚部を持たせた多脚型の構造をしている。

 機械神級の大型人型兵器は横転させられた際の復旧が難しく、敵対者も定石として転倒を狙って仕掛けてくる。それを逆説的に捉え、最初から転倒しにくい数の脚で支えていれば良いという考えで建造されたのが本機である。

 安定した下半身に身合うように、両腕も巨大なものが設えられ、戦闘時には盾代わりに振り回す。

 一応前後の脚を合わせ野太い二脚状にし、擬似的に人型となることも可能であるが、低空を飛んでの突進くらいにしか用途がないとされる。

 他には脚部を一対ずつ前方と背後に展開し両腕を後ろに回し、機体前後に細長い陸上戦艦の形態へ変形することが可能であり、今もこの形で調査基地としての任務に就いている。

「調査資料はこの中に。副長に届けて」

「了解」

 六号機正操士のカインは資料の入った書簡を渡すと、リュウナは簡潔な返事と共に受け取ろうとするが、急に右手に力が入らなくなり指の間からそれが抜けた。

「!」

 リュウナは咄嗟に身を低くすると、床に落ちる直前に左手の方で掴んだ。

「すみません大切な資料を」

 そして大事に抱え直す。

「別に落ちてないからそれは良いけど、どうしたんだい旅疲れかい?」

「⋯⋯」

 カインは気遣うように言うが、リュウナは恥ずかしい姿を見せてしまったのを恥じているのか無言。

「まあその中身、言葉で話す分には良いと思うのでキミには今から説明するけど」

 場の空気を変えるカインの切り出しにリュウナは再び無言で応える。

「この火山地帯には千年前の水災の痕跡はないね」

 副長が世界各地に派遣している調査団は千年前に起きたとされる事象、全ての大陸を水没させたという水災の跡を探している。

 千年前の水災。それがその時代にただ一度起こっただけであるならば過剰な心配をする必要もないのだが、二千年前にも三千年前にも同じ時期に水災が起こったと、主要な歴史書には表記されているのである。

 この世界がそのような繰り返しを行う機構があるならば、どこかにその痕跡がある筈。しかし世界中どこを探してもそのようなものは見られない。見られないから世界中の人々も半信半疑のまま暮らし、一部の救世組織の者たち以外は水没のための準備などしていない。

「知っているよね歴史書に書かれた大まかなあらすじ」

「――天から降ってきた災いが、世界を水の底に沈めた」

 カインの問いにリュウナは必要最小限の解答。殆どの歴史書に書き添えられているこの一文が、更に探索を難しくしている。

 歴史書を信じるならば、北半球や南半球の中心になる極寒部にある氷の大地と同じくらいの大きさの氷塊でも降ってきたのか? と考える。しかしそんなものが降ってきたならば世界のどこかに衝突痕クレーターがある筈であり、その後に陽光で溶解した氷の行き先も無いので世界は水没したままである筈。

 しかし大地から水は引き、地面のどこにも衝突の痕跡はなく、人々は水面ではなく地表で生活している。

「まあ水が引くまではこの辺一帯がお湯、というか温泉みたいにはなっていたと思うけど、水災が起こった原因と関係があるかといえば、無いね」

 副長もこの場所の溶岩は世界が水没している時も噴き出し続けていたのは間違いないとし、なにか手掛かりが見付かればと機械神まで派遣したのだが、徒労に終わったようだ。事実としては水を被った火山が一時的に海底火山となっていただけだった。

 世界が水の底に沈んで水が引くまでの間、人々は水上に都市を作り生きながらえ、何とか文明を守り通した。水災から百年後、ようやく大地は元に戻り人々は復興のために動きだし、現在までに至る。歴史書にももちろん書かれ、多くのおとぎ話にもなっている人間の復興史。

「ここには何もない。何もないから僕も早く帰りたい」

「⋯⋯」

 この封蝋がされた書簡には、今喋った内容が非常に難しく書いてあるのだろう、帰投願いも含めて。


 リュウナはプルフラスを駆り調査基地という名の機械神六号機の下を後にした。住民の居なさそうな土地の空を静かに飛ぶ。

 六号機が周囲に正体を知られぬよう隠密に行動しているのに憚れる行為だが、もっとも安全且つ高速に移動できる飛行機械が、黒龍師団が保有する物の中では機械使徒であるので仕方ない。

 渡された書簡を持って帰れば六号機には程なくして帰還指示が出るだろう。リュウナにしてもこの土地には何も手掛かりは無いのは分かった。

 いや、世界のどこかに手掛かりなどあるのだろうか?

 世界のどこかにまた痕跡らしきものを発見し、機械神を派遣し、副長の代わりに自分が定期連絡に往復する。そんな日常がずっと続くのだろうか?

「⋯⋯それが果たして、良いことなのか悪いことなのか⋯⋯」

 リュウナは右面の計器類の上を見る。そこには小箱が蓋が開いた状態で置いてあって、中にはカインからの書簡が入れてある。それを受け取ったとき、手の力が抜けた。

「⋯⋯」

 右手を見てみる。

 急に痛くなったり、急に力が入らなくなったりするのをリュウナの右手は続けている。

 強い身体能力を持つこの体の反動なのだろうか、姉の両腕が真っ赤に染まる様に。

 そしてその変調が収まると、石でも砕けるのではないかという位の剛力が出せる時がある。実際にやったら拳大の石を握り潰したこともある。しかしいつでもそれが出来る訳でもない。

 これが姉を越える力なのか? だが石を砕くくらいなら、リュウガならば火の力を直撃させるだけで簡単に砕ける。

「⋯⋯」

 リュウナは小箱を閉じると帰還を急いだ。

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