ゆきうさぎ
海月
ゆきうさぎ
とん、という足音と一緒に歩く。それに応えるように、ぴょこんとうさぎの耳みたいな髪の毛が跳ねた。その姿がアスファルトの地面に薄く写る。傾きかけた夕焼けが、わたしの髪を明るく色づけている。
ぱち、という音がしたような気がして上を見ると、灯されたばかりの光があった。光を確かめてから視線をもとに戻そうとしたが、何気なく目にとらえた遊び場に、誰かいるのに気がついた。もしかして泣いている?
枯れかけた薄い草色の上に、三角座りをして俯く姿はなんだか見たことがあるような気がする。
ためらいながらも近づいてみた。あれは、紺野さんだ。夜みたいな、さらりとした髪が肩の辺りで揺れているのが羨ましくて、いつも眺めていたからすぐにわかった。
泣いているせいかもともと小柄なのに、さらに小さく、頼りなく見える。
「紺野……さん?」
戸惑いつつも、おそるおそる声をかけてみた。その声に反応して紺野さんは顔を上げた。
上目がちにわたしをみてくる瞳の周りが、少し腫れて、濡れている。
いつもは白いほっぺたも泣いているせいか、冷たい夜風のせいか、薄紅の色水を一滴たらしたかのように淡い色がじんわりと広がっていた。
「なに?」
困惑ぎみの表情で見つめられる。
「いや、泣いているようにみえたから」
紺野さんは可愛らしい鼻をすんっと鳴らしたあと、赤い目を軽く擦った。
「べつに泣いてなんて……」
うそつき。
子供みたいに声を上げまいと涙をこぼしていたのに。こらえようとする声を我慢して漏れた嗚咽が響いていたのに。
紺野さんって意外に強がりなんだ。
四年も同じ学校に通っていたけど何も知らなかった。
紺野さんといえば、静かな子というイメージしかない。昼休みには窓から校庭を眺めているような。おとなしいクラスメイト。わたしとはぜんぜんちがう。
うさぎのポシェットからハンカチを取り出して、紺野さんに差し出す。
「なに?」
「拭きなよ」
しばらくためらったあと、紺野さんは素直にわたしの言葉に従った。
「ありがと」
返されたハンカチはしっとりと濡れていて温かい。
それをしまいながら、いまさらながら思った。どうして紺野さんは一人泣いていたのだろう、と。
そのことを口にしようとしたとき、ちょうど紺野さんがゆっくりと唇に指をあてた。
「わたしがここで泣いていたことは、秘密ね」
そのまま立ち上がってスカートについてしまった小さな葉っぱを両手ではらうと、どこかへ行ってしまった。
「やっぱり、泣いていたんじゃん」
わたしのもやりとした疑問はそのままになってしまった。
夢だったのだろうか。昨日、紺野さんが泣いていたのは。
今日もいつもと変わらず、教室の中からにぎやかな校庭を見つめるその姿を見るとそう思う。
それにしても、みんなが遊んでいるのを眺めるのは、そんなに楽しいものなのだろうか。わたしにはわからない。
そんなことを思いながら、紺野さんを見ていると、向こうの方から呼ばれた。
「朱莉! ドッヂボールしよう」
「うん」
わたしは紺野さんを見ていたことがみんなにバレてしまうと、なんとなく恥ずかしい気がして急いで校庭へと向かった。
結局、その日は学校で紺野さんと話すことはできなかった。だけど、どうしても紺野さんともう一度話してみたくて友達の誘いを断って、昨日の空き地へと向かった。
そこに紺野さんがいるという確信はないけど、かすかな希望をもって。
しばらくして見えてきたそこには人影があった。ぼんやりとして、誰がいるかわからないのが、もどかしくて少し歩を速める。
あ、紺野さんだ。
今日はまだ家に帰っていないのか、チョコレート色のランドセルを背負っている。
妙にそわそわしているからだれか待っているのかもしれない。それなら、話しかけないほうがいいのかな。でも、いまさら通り過ぎるのってなんか不自然かも。
そんな考えの中をぐるぐると巡る。
そこから抜け出すのにはそんなに時間がかからなかった。
わたしの存在に気がづいた紺野さんが声をかけてくれたから。
「よかった。小日向さんが来てくれるかもって待っていたの」
昨日のとはちがう、涼やかな声。でも、なんだか違和感がある。なんでだろう?
「わたしを待っていたの?」
「そうよ」
当たり前だと言わんばかりの微笑み。学校では見たことのないやさしい表情だ。
「昨日のお礼にクッキー焼いてきたの。小日向さん、クッキー嫌い?」
「ううん。だぁいすき」
「よかった」
紺野さんがかわいくラッピングした包みを差し出す。
「ありがとう」
わたしはなんにもしていないのに、いい子だな、と思わず笑みがこぼれた。
やや透けている袋を覗き込む。あ、うさぎ。うさぎの形だ。
「ハンカチも、ポシェットもうさぎだったから。小日向さんうさぎすきなの?」
あ、わかった。違和感の正体。頷いてから伝える。
「あのね、朱莉って呼んでくれないかな? 小日向さんって呼ばれるのはヘンな感じがするから」
「いいの?」
「なんで?」
わたしが頼んでいるのにその反応。紺野さんっておもしろい。
「じゃあ、わたしのことも柊花と」
「わかった」
柊花か。
紺野さん、じゃなくて柊花にぴったりな名前。響きが綺麗で、まるで雪の結晶みたい。
「そういえば、柊花はなんでここにいたの? 学校で渡せばよかったんじゃ……」
「だって、朱莉は人気者だもの。話しかけられなかったの。いつも窓から遊んでいるのを見ているだけだけど、今はおしゃべりしているなんて、夢みたい!」
そうだったんだ。柊花も仲間に入りたかったんだね。
「実はいつも不思議だったの。柊花、ずっと外を見ていたから、何があるんだろうって」
「え? そうだったの? わたしちっとも気づかなかったわ。朱莉もわたしのこと気になっていたのね」
その言い方だとわたしが柊花のことすきみたいな感じだ。いや、すきだけど、そういう「すき」ではなくて……。
「明日は学校で遊ぼうよ」
「いいの?」
「もちろん!」
沈みかけた太陽がチャイムの音とともに「また明日」の合図を知らせた。
ひゅるるると風が吹く。かさりと音をたてて木の葉が舞った。寒さに身を震わせながら、急ぎ足で向かうのはあの空き地だ。
「柊花」
「速かったのね」
「柊花こそ」
「わたしのほうが家、近いから」
柊花が手に息を吹きかける。その温もりは空中で白い玉となって浮いていく。
わたしと柊花はあっという間に仲良くなって、毎日のように一緒にいる。宿題をしたり、おしゃべりしたり。
でも、本当の特別は秘密。ここはみんなに教えてあげない。
柊花といるとなんでもないことが、きらきらとした宝石みたいなものにかわる。それが、とてつもなくうれしくて、柊花もそうだったらいいなと思う。
「はい」
胸元で揺れるミルクティー色のマフラーでかばうようにしていた包みを渡した。
「なあに?」
「いいから開けてみなよ」
「うん」
中に入っていたのはココア色のメロンパンが二つ。
「わぁ、おいしそう」
「でしょ? お母さんが作ってくれたの」
ちょっと自慢気な口調なのが自分でもわかる。
「すごいね。うちのママ、そういうのはさっぱりで」
「ほら、うちパン屋だから」
わたしが柊花にほめられているわけでもないのに、なんだか誇らしくなった。
「もしかして駅前の?」
「そうだよ」
「わたし、よくおつかいで行くよ」
「ホント? ありがとう」
柊花が来てくれていたなんて。今度からもっとお手伝いしよう。もしかしたら、柊花と会えるかもしれないし。
なんかだか単純みたいだけど、こればっかり仕方がない。
「温かいうちに食べちゃおうよ」
「うん」
柊花の声がいつもより弾んでいるのがわかる。
かわいいなぁ。女の子だな。甘いものがすきなんて。まあ、わたしもすきだけどね。
「はむ」
メロンパンにかぶりつく。表面についた砂糖の甘みが舌先でざらりと広がる。
「おいしい」
となりから聞こえてくる幸せそうな声がわたしに伝染した。
「おいしいね」
幸せだな。このまま時間が止まってしまえばどんなにいいだろう。そんなことを考えるなんて、わたしはおかしいのかな。
ほかの友達にはそんなこと思わない。楽しくっても、ずっと一緒にいたいなんて願ったりしない。ヘンだけど、なんだかやさしい気持ちになる。
「ん? なにかあった?」
無邪気な問いかけにごまかすように、言葉を重ねる。
「ほっぺたについてる」
「ええ?」
わたしの言葉ひとつであたふたしている柊花。守ってあげたいとさえ思う。今は側にいることができても、この先は?
いつか、ほかの男のひとが柊花のとなりに座るのかな。それはなんかいやだな。
部屋から一歩出た瞬間、廊下の寒さに震えた。お布団の中にもどりたくなるのを堪えて、
「おはよー」
と眠い目を擦りつつ階段をおりる。
重たいまぶたは外の世界を拒んでいるかのように、開きたがらない。しかし、いつまでも、そうしているわけにもいかない。
「あら、おはよう。朝ごはんできてるわよ」
「うん。いただきます」
軽く手を合わせてお母さんお手製のトーストを手に取る。向かいの席ではお父さんが新聞を読みながら苦そうなコーヒーを飲んでいた。
「近頃はばかばかしいニュースばかりだな」
お父さんのつぶやきにお弁当のおかずを詰めていたお母さんが反応した。
「なにかあったの?」
「とある作家の本が映画化するんだそうだ」
「いいことじゃない」
確かにいいことのような気がする。全然、ばかばかしくなんかないじゃないか。
「まだつづきがあってな。その本の内容が、少年愛がテーマらしい。それで、映画の製作者側が少年のどちらかを少女にしたいと言ったが、作者は認めなかったんだと」
「あら、ほんとう。ばかみたいね」
二人の会話は何気ないものだったが、わたしは胸の奥底がどきんとざわめいた。
わたしだってわかっているのだ。女の子が女の子をすきでいることが、おかしいということくらい。小学生でもわかってしまう。
でも、すきなのだ。わたしが女の子しかすきになれないのではなくて、たまたま、すきになったのが柊花というだけ。
「そんなの当人同士の勝手よね」
お母さんの言葉に耳を疑った。てっきり、作家のほうが非難されると思っていたのに。
「どうして、そう思うの? 男の子が男の子のことすきってヘンじゃない?」
おそるおそる会話に参加してみる。
「だって、女と男はちがう生き物だって考え方もあるのよ。ちがう生き物同士で恋愛してもいいなら、同じ生き物どうしでもいいんじゃない?」
その言葉はすとんとわたしの中に入ってきて、やがてわたしに染み込んできた。
「そっか。そうだよね」
お母さんの耳にも届いていないだろうつぶやきは、朝のあわただしい空気にまぎれていった。
玄関の扉を開くと、そこには白銀の世界というやつがあった。どうりで寒かったはずだ。
「いってきます」
いつもの通学路にはすでにいくつかの雪玉がころがっていた。
お砂糖みたいな雪が光を受けてまぶしかった。それを踏むたびにしゃくりと音が鳴る。その音を思う存分味わった先には、
「柊花!」
そう、すきな人がいる。
もしもね、この想いが柊花に通じたら、それは溶けちゃうくらいうれしいだろうし、世界のすべてが愛おしくなるんだろうね。
でもね、それは限りなくむずかしいってわかっているから。だからね、わたしはいつか柊花のとなりにだれがきてもいいようにがんばるから。
ずっと柊花の「女の人のなかで一番」でいさせて。それから、どうか空いているもう片方のとなりにわたしをおいてね。
ゆきうさぎ 海月 @jellyfish27
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