砂のシアトリカ
木山糸見
第1話
広大な室内だった。室内であるにも関わらず床には、砂漠のように砂が敷かれ、どこからともなく吹く風に、たたずむ者の髪が強くはためく。
壁と天井はガラスのような透明な材質で造られ、円筒を被せたように砂漠を閉じこめている。砂嵐の中で目を細めれば、砂漠には似つかわしくない外の吹雪と、白く染まった木々が遥か彼方に広がっている。雪山の中、丸く切り取られた砂漠には太い四本の柱が屹立し、この一風変わった建造物を支えている。
内部に吹く風が凪ぐ一時に開ける視界は、まるで砂時計の中に入り、内部の砂の上に立ったかのような風景となる。
自然界が見せる、有機的でありながら規則的な砂の風紋。一時として留まることなく動いるはずの砂粒が作り上げる、菱形を敷き詰めたような定状的な文様が見渡す限りの床面に広がっている。
地球上に約四十億年前に現れた、無人岩質溶岩から形成された原初の大陸。数億年という悠久のサイクルにてそれらが衝突を繰り返し形成された安定地塊、すなわち現在の大陸。アルキメデスの原理に従い、地球内部に沈み込むことなく永久に地表を漂いつづける岩塊から、大気や水の循環によりわずかづつ削り出された太古の岩石のなれの果ての砂。その大量の砂粒が、莫大な予算をかけて輸送され、この砂時計のような部屋に敷かれている。
部屋には調度の類は無い。ソファなどあったところで砂塵にまみれて快適に過ごすことなど不可能であったろう。その殺風景で虚無的な空間に唯一ある造形物と言えば、中央に佇む白亜の石像のみである。
時を司る神クロノスをかたどったその石像の足下に、死体が横たわっていた。
腹部にナイフが突き立った女性の遺体。弛緩した四肢は頭をクロノスへ向け、上半身を大理石の台座に置き下半身は周囲の砂へ投げ出されている。動かぬ体躯に纏った服と長い黒髪が不規則に流れ来る風に揺れ、彼女の生前の美しさを偲ばせていた。周囲の砂は足跡などの乱れは一切無い。被害者自身の足跡も、いるならば彼女を刺殺した人物のものも。完全なる砂の流れに浮かぶ死体は、その美貌と相まって美という概念そのものを顕界させたようで、死という事象が持つ不吉や不気味といった言葉とは切り離された、一級の芸術品であった。砂のざらつく香りと共に漂う血なまぐさい匂いですら、背徳的な美しさを添えている。
この部屋へ通じる入り口は室内へ向けて開き放たれた、くすんだ鉄製の扉のみである。そこから死体のある台座の手前数メートルまでは、駆けつけた者達の足跡が続いている。
その場には六人の男女がいた。異様な空間に横たわる死体を囲む彼らの表情は暗く沈み、誰もが口を閉ざしている。
メイド服に身を包んだ少女が肩をふるわせてうつむき、それを心配そうに使用人然とした男が見つめている。
彼らに並び、金髪碧眼の女が遺体とクロノスに向け祈りを捧げていた。彼女の両脇には、高級なスーツをはちきれそうに着込んだ男と、中肉中背の男性が顔を蒼白にして佇んでいる。
そして一人離れ、死体を目の当たりにしても無表情を貫く青年。
それぞれが死者への追悼と次の被害者となる恐怖におびえる中、青年だけは心乱した様子がない。目の前の状況よりも思考すべきことがあるかのように、眉一つ動かすことなく視線を床ーいや、砂で覆われた床はもはや大地という方が相応しいであろうーに投げている。
彼の頭脳は人生の全てを懸けて求める真理に向けられている。偉大な先人たちもたどり着くことの出来なかった、森羅万象を束ねる一つの方程式。それに魅せられて後、生活の全てを思索にあて続けてきた。それでもなお、届くか分からぬ栄光に世俗の事変などに気を割く時間は無いと。
しかし、今回ばかりは一滴の雑念が混じる。
目の前にある周囲に足跡のない死体。その不可思議さに彩られた幻想的な、ある種の宗教画のように神聖な美しさが思考を引きつける。そして何より、どうしてこんな面倒に巻き込まれることとなったのか。
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