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「ひいあああっ」
「おっ。おっと」
ぶつかってくる。おおきくてちいさな、塊。
「ちょっと。ちょっとちょっと。ちょっとちょっとちょっと」
ちょっとの数が多いなあ。
「なんで。なんでですか?」
「なんでって、何がですか」
「屋上。わたしが歌いはじめたら。屋上からいなくなった。あなたのために。あなたを想ってここに来たのに。いなくなるの。ひどい」
「あ、ああ。そうか。ごめんなさい。離れてると共感しないんですね」
「そういうことじゃなくて。いまわたしの共感受信体質の話はしてません」
「いや。それですよ」
とりあえず、抱きついたままの彼女を、ひきはがす。歌のおねえさんだから。ぱぱらっちされてはいけない。
「俺。あなたを見て。泣きそうだったんです。夢を叶えて。うれしそうにしている、あなたを見て。さすがにそれが共感されるとまずいなと思って」
「あ。え。わたしのために」
「ちゃんと、こうやってデパートの下で待ってたじゃないですか俺」
「あ。え。わたしのために。ごめんなさい。ぜんっぜん気付かなかった」
「いいですよ。俺、あなたが夢を叶えているなんて、今日の今日まで知らなかったですし」
「えっ。うそ」
彼女。びっくりしている。
「さんぜんねんにいちどのいつざいですよ。こくみんてき歌のおねえさんですよ?」
「自分で言うんですか、それ」
「うっそだあ。わたし。あなたのこと考えて、あなたのことを想いながら歌のおねえさんしてたのに」
「それは、まあ、すいませんでした。俺全然テレビみないです」
「じゃあやめます。歌のおねえさん」
「は?」
「あなたに見てもらおうと思ってたのに。みないんだもの。やめますっ」
彼女。むくれている。
「いやいや。せっかくの歌のおねえさんなんですから」
「あはは。冗談です。もともと歌のおねえさんはローテーション制なので、そろそろ引退なんです」
「そうなんですか」
「やさしいこどもとやさしいスタッフさんに囲まれた、やさしい職場でした」
「でも、引退しちゃうんですね」
「はい。どんな歌のおねえさんよりも。あなたのほうが。だいじです。あ、そうだ。これこれ」
彼女。急に、胸ポケットをごそごそしはじめた。
「はい。これ。あげます」
指輪。剥き身。
「え」
「指輪です。左手の薬指ください」
答える前に。
左手を持っていかれる。
「あ。あっ。あれ」
サイズが合わない。
「えええ。そんなあ」
「あはは。貸してください」
指輪。なまあたたかい。彼女の胸の温度。
「指出して」
やっぱり。彼女の左の薬指に、ぴったり。
「自分のサイズで注文したでしょ」
「あ。ああ。そうか。指のサイズ。人によって違うんだああ」
たぶん彼女。本気で、大真面目に、自分の指のサイズを言って指輪買ったに違いない。
「あ。ええと。その」
「このあと。時間ありますか。指輪買いに行きましょう」
「あっごめんなさい。これから都市部に戻って明日の仕事の準備しなくちゃ。引退して諸々の整理が終わるまで2週間ぐらい忙しくなっちゃって」
「じゃあ、2週間後ですね。それじゃあ、また」
「え」
「え?」
「あなたも来るんです。2週間。わたしのそばに。いてください」
なんだと。
「もう離れたくないです。引退理由説明するときに、結婚って言うので。各方面に説明するときにも、あなたがいるとスムーズですし」
「え。うそ。俺も行くんですか」
「はいっ」
彼女。
彼女自身が買った指輪のはめられた、左手。自分の左手に、繋がれる。
「さあ。行きましょうっ」
仕方がないなあ。
行くかあ。
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