イルシオン
平井昂太
【第一章】無気力王女
(ベッドってどうしてこんなに気持ちいいんだろう……)
豪奢な内装の部屋の中。天蓋付きのベッドでだらだらと惰眠を貪る少女が一人。
少女はこの国の王女・セシリア。姫とも称される立場だが、そのわりに容姿にも立ち居振る舞いにも気品があるとはいえず、どちらかといえば貧相な印象だ。
今も既に昼間だというのに、ベッドから出ようともしていない。
セシリアにとっては、これが日常だった。
王女という立場故に生活を脅かされることもないため、思う存分だらけきった暮らしを満喫している。
今日も一日中寝て過ごそうと考えていたのだが――。
やや乱暴に扉が開かれる音がしたかと思うと、人の気配がすぐそばまできていた。
「おい。起きろ。国王がお呼びだ」
呼びかけに対し、掛け布団から顔を半分だけ出してその声の主を見る。
精悍な顔つきをしたその青年は、王家に仕える聖騎士・リカルドだ。
王女らしからぬ雰囲気のセシリアとは対照的に、騎士の名にふさわしい高貴かつ力強い風格を持っている。
ただし、王家に仕えているというのに王女のセシリアに対して敬語を使っておらず、あまり敬意を持ってはいないようだ。
「わたしでしたら留守にしているとお伝えください」
「誰がそれを信用する? ここ数年お前がまともに外に出ていたことがあったか?」
リカルドの言う通り、常に部屋で寝ているセシリアが留守にしているということはありえない。
蔑むような、怒りを込めたような、鋭い視線に耐えられず、セシリアは頭から布団にもぐってしまった。
「いいから起きろ!」
リカルドはその布団を強引に引きはがす。
普通ならば大変不敬な行いとして処罰されそうなものだが、セシリアがこの体たらくなので、誰もリカルドを咎めたりはしない。
「ああっ、返してください! 凍えて死んでしまいます!」
涙目になりながら懇願するセシリアだが、女の涙でほだされるようなリカルドではなかった。
「こんな暖かい部屋の中で凍え死ぬ訳があるか。さっさと着替えて陛下の元へ行くぞ。それとも俺に斬られて死にたいか」
リカルドは腰に差したロングソードに手をかける。
聖騎士が使う剣だけあって神聖な力を帯びているので、セシリアの性根を叩き直すには適しているかもしれない。
とはいえ、セシリアも斬られて痛い思いをするのは嫌なので、しぶしぶベッドから身を起こす。
(まあ、お父様に会うだけならいいか……)
城の外にまで出かけろと言われたら断固拒否するところだが。
「……?」
着替えろと言ったにも関わらず、リカルドは腕組みをしながらこちらを見たまま、部屋から出る様子がない。
「あの……、これからわたしは着替えるのでは……?」
「俺が出ていったら、お前はまたベッドに戻るだろう。ここで見張らせてもらう」
どうやら本気のようだ。
セシリアももう十六歳になるので、さすがに異性に着替えを見られるのは恥ずかしいのだが、それでもこれ以上リカルドと揉めて、無駄に労力を使うことの方が嫌だったので、そのまま着替えることにした。
「心配しなくとも、お前のような小娘の裸を見たところで変な気は起こさん」
「それはまあ承知してます……」
自分に色気がないことは分かっている。
とかくやる気がなく、動くことが嫌いなセシリアとしては、面倒なことになるぐらいなら羞恥心を捨てる方がマシだった。
なるべく近くにある服を取って着替えることに。
さすがのリカルドも、寝間着を脱いでいる最中は視線を逸らしていたので、思ったほど恥ずかしくなかった。
なんだかんだで着替え終わったセシリアは、リカルドの後について玉座の間に向かう。
玉座の間に着くと、王は待ちくたびれたという様子で娘であるセシリアを見た。
「セシリアよ……。そなた、一体どれほどの間部屋に籠っていたと思っている?」
「かれこれ四、五年ぐらいになるかと」
王の質問に特に悪びれるでもなく答えるセシリア。
「何がかれこれだ」
後ろにいるリカルドから軽くこづかれた。
「今日、そなたを呼んだのは他でもない。いい加減そなたのなまけ癖をなんとかせねばならんと思い一つの仕事を与えることにした」
『仕事』という言葉を聞いてセシリアは、怯えた小動物のように肩を震わせた。
動くこと全般が嫌いなセシリアだが、彼女が殊更嫌うのが仕事と勉強だ。
「嫌です! やりたくありません!」
「まだ何も内容を聞いてないだろうが……」
先ほどまでの口調とはうって変わってきっぱりと断るセシリアを見て呆れるリカルド。
「嫌でもやってもらう。これはもう決めたことだ」
王の言葉を聞き、セシリアの血の気が引いていく。
一体どんな仕事をさせられるのか。
(なるべく簡単なことがいいな。リハビリ的な感じで一日一分程度で終わるような……。なんだかんだいってお父様は優しいし、そんなに無茶なことは……)
たった数秒を妙に長く感じていると、とうとう王から仕事の内容を言い渡された。
「そなたには、これから邪神の眷属を討伐する旅に出てもらう」
「は……?」
一瞬耳を疑った。数年間屋外に出てもいない自分に旅をしろと。しかも邪神絡みの敵と戦えと。
「さ、さすがに冗談ですよね……? わたしにそんな大役が務まる訳が……」
「できるかどうかの話ではない。それぐらいしなければならないと言っているのだ。かつて邪神を封印した異世界の勇者・キサラギ殿が元いた世界での話だが、そちらでは役に立たない王家を排除するために革命が起こり、女王は殺害されたらしい。そなたも今のままの生活を続けていたら税を納めている民の怒りが爆発するかもしれん」
女王が殺害――。セシリアの脳内に処刑台の映像が映し出され、その顔が青ざめていく。
勇者・キサラギとは、以前邪神によって世界が滅亡の危機にさらされた時、王宮に仕える召喚士が魔法で呼び寄せた強者である。
キサラギは邪神と対等以上に戦えるほどの実力を備えていたらしい。
「邪神そのものはキサラギ殿が倒してくださったが、最近その配下であった魔人や魔物の動きが活発化しておる。もしかしたら、復活の時が近いのかもしれん。そうなる前に邪神の眷属を倒して回り、復活を阻止するのだ」
数年前この世界を脅かした邪神の存在は知っている。神とまで呼ばれる存在を完全に殺すことは難しい。復活というのもありえない話ではない。
「世界が復活を恐れるような邪神とわたしなんかがどうやって戦えばいいんですか」
万に一つの勝ち目もない。
民の反乱で殺される可能性も確かにあるが、邪神の眷属と戦ったら、その方がより確実に死ぬだろう。
「もちろん、そなた一人でやれとはいわん。そこにいる聖騎士・リカルドと行動を共にしてもらう。他にも旅先で仲間を見つければ戦力の増強はできるだろう」
「騎士団を総動員して討伐にあたるというのではダメなんですか……?」
リカルドの腕は確かだろうが、彼一人より他の騎士団員も動いた方が良いのではないかと考えたが――。
「騎士団だけでことにあたったのでは意味がない。王家の人間がこの世界の役に立つ必要がある。そなたが心配でない訳ではない。民とそなたの両方を守るためなのだ」
王の目からは、以前と変わらぬ優しさが感じられる。乱心した訳ではない。娘のことを思って心を鬼にしているのだ。
王の気持ちが頭では分かっていても、身体が動くことを拒否して硬直していた。
リカルドは、自力で動くことすらできなくなったセシリアの手を引っ張って城の外に連れ出す。
こうしてセシリアは数年ぶりに直接太陽光を浴びることになった。
天国と地獄。その中間に位置する現世と呼ばれる空間には、いくつもの世界が点在している。その中の一つ・魔界。そこがセシリアたちが暮らしている世界だ。
魔界には、動物と魔物、二種類の生物が存在している。
そして、動物の中でも人間は、その魂から魔力と呼ばれるエネルギーを生み出すことができる。
一方、魔物は魔力を糧に生きる存在でありながら、自ら魔力を生み出すことができない。それ故、魔物たちは人間を喰らって生きているのだ。
魔物の中にも知能の高い者がおり、それらは魔人とも呼ばれ人の姿をしている。
邪神は、さらに上位の存在であり強大な力を持つ反面大量の人間を喰らう必要があり、配下の魔物たちから供物として人間の魂を捧げられている。
しかし、邪神の眷属とされている者たちは、その他の魔物と違い、人間すべてを喰らい尽くそうとしていた。
人間の生み出す魔力がなくなれば、自らも生きることができなくなるにも関わらず、なぜそのような行動を取るのかは分からない。
いずれにせよ分かっているのは、人間が生き続けるためには邪神の眷属を倒さなければならないということだ。
城下町。この国の首都だけあって活気に溢れていて、それ自体は結構なことなのだが。
「暑いです。人混み嫌いです。何もしたくないです」
セシリアは、旅に出る前から既に弱音を吐いている。ここ数年城の関係者以外とは会っていなかったため、一般の住民の中に入っていくのは気が滅入るようだ。
「お前、さっき凍え死ぬとか言っていなかったか?」
邪神の眷属と戦うことは、リカルドにとっても重責であると思われるが、彼は余裕があるようだった。彼の表情には、笑みもないが、不安も見受けられない。
「誰もお前が最初から強敵を倒すことまで期待していない。まずは小物を狩ることから始めればいい」
彼にしては、優しさのある物言いだったが、それでもセシリアは反発する。
「小物でもめんどくさいです。働きたくないです」
リカルドは、似たような言葉を繰り返すセシリアを鋭くにらみつけながら問う。
「誰に向かって口を利いている? 偶然王家に生まれただけのお前と、実力で騎士になった俺、どちらの立場が上か分かっているのか?」
「ひっ……」
その眼光にセシリアはすっかり射すくめられてしまった。
「そ、それは、もちろんリカルド様です。はい」
「なら行くぞ」
歩き出したリカルドを、嫌々ながら追いかけるセシリアだが、何から始めれば良いのか分かっていない。
「あの……、どこへ向かうのでしょうか……?」
あまり遠くには行きたくない。というか、歩きたくない。
「冒険者ギルドだ。これからお前には冒険者という身分で旅をしてもらう」
冒険者というのは意外だったが、王女としてではないことは、セシリアにとって朗報だった。
王女という身分のおかげで今まで引きこもり生活を送れていた訳だが、セシリアとしては王女として人に見られることは苦手である。
「ギルドでは何をするのでしょう? 冒険者になるのと、そのまま旅をするのでは何か違うんですか?」
「お前は本当に何も知らないな」
リカルドが指摘する通り、セシリアは世間のことを何も知らない。城内に籠っていたのだから当然だが。
「ギルドマスターから、ジョブエンチャントを受ける」
「ジョブエンチャント?」
やはり知らない言葉だ。
ジョブというからには職業に関するもののような気がするが、冒険者になる儀式だろうか。そんな風に考えていると、リカルドはすぐに答えを教えてくれた。
「ジョブエンチャントは、実際の職業とは関係なく、魂に特定の分野に特化した性質『ソウルジョブ』を付与する能力だ。これがあるとないとでは、戦闘能力が全く違ってくる」
リカルドの話では、ジョブエンチャントの能力を行使できる者は非常に限られており、ギルドマスターや騎士団長ぐらいなものだそうだ。
ちなみに、リカルドは騎士団長から『ホーリーナイト』のソウルジョブを与えられているとのこと。
話しているうちにギルドに到着。比較的近くにあって助かった。
扉を開いて中に入ると、そこは一種の酒場のような雰囲気だった。実際酒を飲んで騒いでいる者もいる。
セシリアの苦手なタイプの場所だ。
「いらっしゃいませ。これはこれはリカルド様、本日はどのようなご用件で?」
カウンターの先にいる男性はリカルドのことを知っているようだ。
あるいは、騎士団の中でも実力者であるリカルドは、町の一般住民の間でも有名人なのかもしれない。
「この少女をジョブに就かせたい」
「働きたくないです」
セシリアの発言は無視して話を進めるリカルド。
「一応冒険者志望なのだが、見ての通り貧弱で実戦経験は皆無だ。なるべく初級者向けのものを紹介してやってくれ」
「初級者向けじゃなくて楽なのがいいです」
引き続き無視。
「承知いたしました。奥の部屋へどうぞ」
奥に通されると、そこは上下左右全体に石畳を張り詰めたような部屋だった。
床の中央には魔法陣と思しき紋様。
紋様の傍らには、壮年の男性の姿がある。彼がギルドマスターか。
「君だな。新たに冒険者になりたいというのは」
「は、はい……」
正直冒険者になるというのも気乗りがしないのだが、王女という身分を伏せてくれているのはありがたかった。
城内どころか、ほとんど自室に籠りきりだったため、セシリアの姿を知っている者は少ない。名前はさして珍しいものではないので、たまたま同じ名前なのだと思われているのだろう。
「では、この本に書かれているジョブの中から自分に適していると思うものを選びたまえ」
そう言ってギルドマスターは、初級ジョブの一覧が載った一冊の本を手渡してくる。
そこに書かれているジョブはというと。
『戦士』・『黒魔術士』・『白魔術士』・『闘士』・『狩人』
戦士と闘士は何が違うのか疑問に思ったが、説明書きを読んでみると、戦士は主に剣で闘士は格闘術で戦うということのようだ。
黒魔術士は攻撃魔法を得意とするジョブ。白魔術士は回復魔法を得意とするジョブ。
狩人は主に弓を使うらしい。
「一番楽なのは……。あっ、白魔術士なら屋内で待機して帰ってきた方を治療するだけで良いのでは?」
「そんな訳があるか。戦闘に加わってその場で治療してもらう」
「えー……」
白魔術士も楽ではないと分かったところで、ふと思う。
「最初から上級ジョブに就かせていただくことはできないのですか?」
より大きく能力を引き上げてもらえれば、同じ仕事をする分には楽になると考えたのだが、ギルドマスターはその希望をあっさり否定する。
「上級ジョブが必ずしも強いとは限らない。本人の実力が高くて初めて本領を発揮する、文字通り上級者向けのジョブだ」
どのジョブも楽ではないと分かった訳だが――。
剣を持って敵を斬るなどというのは性に合わない。弓もうまく扱える自信がない。格闘などは論外だ。
候補として残ったのは、二種類の魔術士だが、攻撃するよりは回復する方が合っているような気がする。魔物とはいえ、中には理性を持っている者もいるので、攻撃して憎しみを向けられるのは怖かった。
消去法でいくと選択肢は一つとなる。
「じゃあ、不本意ながら白魔術士でお願いします」
「分かった」
ギルドマスターはうなずくと、セシリアに魔法陣の中央に立つよう促し、顔の前に手をかざした。
その掌から光が放たれたので、思わず目を瞑ってしまったが、そこから一拍置いて身体の中から今までにはなかった力が湧き上がってくるのを感じた。
(これがソウルジョブの力……)
以前からそれなりには持っていた魔力が強まっていくのが分かる。
光が完全に収まるとギルドマスターが声をかけてきた。
「これでジョブエンチャントは完了だ。この力を活かせるかどうかは君次第だがな」
「たぶん活かせないと思います」
「おい」
リカルドに、鞘に入れたままの剣でつつかれた。
部屋を出る前に、ギルドマスターから一本の杖を渡される。
「これは……?」
「白魔術士用の杖だ。使い手の魔力を増幅させて魔法の効果を高めることができる。無料で配布しているものなので性能は期待しないでもらいたい。金が貯まったら買い替えるといいだろう」
なにはともあれ、これで準備は整ったのだが、この後どうすれば良いのだろうか。
「このギルドでは、町の住民から寄せられた依頼が掲示板に貼り出されている。内容は特定の地域の魔物を排除することや、何らかの物品を入手してくることなどだ。今回俺たちは、最低限の軍資金しか渡されていないから依頼を受けて報酬をもらいつつ戦闘経験を積むのが望ましいが、まずはお前がまともに動けるかどうかを見せてもらう」
結局今日は依頼を受けるのではなく、そのまま町の外に出て適当に見つけた弱い魔物を狩ることとなった。
町の外に出ると、そこはだだっ広い平原だった。
「こんなところを歩き回るかと思うと気が滅入ります……」
「お前は、せめてそれを口に出さないようにできないのか」
リカルドから冷ややかな目で見られつつ、辺りを見渡してみる。
平原にはそれぞれ姿の異なる魔物が点在していた。個々の魔力は大して強くないようで、ジョブエンチャントを受ける前のセシリアより下だと思われる。
「どれが一番弱いんですか?」
「まあ、あのスライム状の魔物だろうな。魔力の総量も少なく、動きも鈍く、攻撃能力も大したことはない。まずはあれを攻撃してみろ」
リカルドは視線で、セシリアが魔物に近づくよう促すが。
「え? 攻撃はリカルド様が行うのでは?」
白魔術士の役割は回復魔法で仲間の傷を治すことだと書かれていた。それに今のセシリアは攻撃魔法を覚えていない。
「俺が戦ったら、お前が何もする暇もなく終わるだろうが。何の経験もないお前が魔力を高めて戦闘に慣れるためにこうして出てきているのだ」
確かに騎士団指折りの実力者が町を出てすぐの場所にいる雑魚と戦ったら傷を負うことなく戦いが終わってしまうだろう。それではセシリアの経験にはならない。
「では、どのようにすれば?」
「ギルドマスターからもらった杖があるだろう。それで直接殴りかかれ」
「えー……」
近接戦闘をしたくないから白魔術士を選んだというのに、結局殴りにいかなければならないという。
仕方がないので、のろのろと魔物のいる方へと歩き出す。
「何をしている、さっさと行け!」
「は、はい……!」
リカルドに怒鳴られ、足を少しだけ早める。
スライム状の魔物は、探知能力も低いらしく、杖で殴れそうな距離まで近づいても反応しなかった。
「これを殴ればいいんですか?」
「そうだ。当然杖に魔力を込めてな」
リカルドは、自分たち人間がその魔力を高めていく方法を説明する。
人間は魔物と違い、他者を喰らって力を増すということはない。かといって、歳を重ねることだけが成長する方法という訳でもない。
魔力を使用して、同じく魔力を持つ存在に何らかの干渉をすると、力がフィードバックされて、本人の魔力を徐々に高めることにつながる。
このフィードバックされる力は、俗に『経験値』と呼ばれ、強大な存在に対して大きく干渉するほど多くの経験値を得られる。
攻撃ならば深い傷を負わせたとき、特に対象を絶命させたときには多量の経験値を得られ、回復魔法ならば深い傷を治したときに多くの経験値を得られるということだ。
それを聞いたセシリアは、一つの疑問を浮かべる。
「それなら、やはりわたしは待機していて、傷を負って帰ってきたリカルド様を治療するだけでいいのでは?」
「そういう訳にはいかん。回復魔法の場合は、傷口に敵の魔力が残っているうちに治療を行わなければ経験値を得られない。つまり、戦いの場に随行していなければ成長にはつながらないということだ」
一通りの説明を受けて、ようやく覚悟を決めた――というよりあきらめた――セシリアは、手にした杖でスライム状の魔物を殴りつけた。
「えいっ」
すると魔物は、身体がベコっとへこんだが、まだ死んでいないらしく、反撃とばかりに粘液を飛ばしてきた。
「ひいっ」
情けない悲鳴を上げるセシリア。間違っても『きゃあ』などと女の子らしい悲鳴を上げたりはしない。
粘液の一部が腕にかかり、その部分が炎症を起こしたように赤くなった。
「痛いです! 助けてくださいリカルド様!」
「お前は何のために回復魔法を覚えた。自分で回復させろ」
「あ、そうでした」
魔物から少し距離を取り、杖に魔力を込めて炎症を起こした腕にかざす。
杖の先端から淡い光が放たれ、腕を包んだかと思うと、その腕は何事もなかったかのように綺麗になった。
「わ、すごいですね、回復魔法」
セシリアが若干感動していると、リカルドはその程度は当たり前だとばかりに淡々と告げる。
「それと同じ要領で杖に魔力を込めて魔物を殴り続けろ。あの手の柔らかい敵は単なる打撃では死なないぞ。魔力を敵の体内に注ぎ込むようにイメージして攻撃するんだ」
再び魔物に近づいたセシリアは、先ほどのように反撃されてはたまらないので、なるべく隙を作らないように連続で殴り続けた。
「えい、えい」
敵は雑魚の中の雑魚なのだが、十回ぐらい攻撃してようやく倒した。
すると、魔物から杖を通して自分自身へと力が流れ込んでくるのを感じる。
(これが経験値……)
元がだらけきった生活をしていて最低レベルの能力だったこともあり、今の一戦だけでも少し魔力が強まったようだ。
リカルドは少し満足げな表情で次の指示を出す。
「よし。その調子でこの周辺の魔物を全滅させろ」
「え? 今日の仕事はこれで終わりでは?」
満足げな表情は長く続かなかった。
「馬鹿か。そんなペースで活動していたら邪神の復活に間に合う訳がないだろう。いいから働け」
「働きたくないです!」
「なんでその言葉だけは力強く言えるんだ」
呆れ果てたリカルドは剣を抜き、その刃をセシリアの首に添えた。
「お前がこのまま働かないというなら、邪神なり反乱軍なり誰かしらに殺されることになる。ならばいっそ、ここで俺が一思いに殺してやろうか」
冗談を言っている風ではないリカルドの言動にセシリアは震え上がる。
「わ、分かりました……。もうちょっとだけやります」
この期に及んで『もうちょっとだけ』などと言えるセシリアの労働アレルギーは相当なものだ。
結局、セシリアが、『もう終わりにしたい』『休みたい』『帰りたい』などと言う度にリカルドが剣を抜いて、日が暮れるまでに周辺の魔物をあらかた片付けることができた。
回復魔法はそれなりに多くの魔力を消費するため、後半は回復に割く魔力がなくなってしまい、今のセシリアはボロボロだ。
「一生分働いた気がします……」
「ずいぶん短命だな」
『働きたくない』という口癖こそ直らないものの、リカルドがその都度叱咤すれば、意外と戦えるようで、リカルドも今日の戦果には満足しているようだった。
リカルドはこのような日が続けばいいと、セシリアはもう二度とごめんだと、それぞれの思いを抱きながら冒険初日は終わった。
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