城下-014 龍に馬は必要ない。乗れずとも好い

全ての動きが止まっている。三人を除いて。アルラーレも、そして、見送りに付き添っていたグーンも。奥の店へ続く扉の近くで控えていて、この襲撃に恐怖して扉に背を張り付かせて顔をゆがませている家の者も、全ての動きが止まっている。これをやっているのが、この男なのか、と気が付いた。

「歩けるか?」

と聞いて来たのはアヤノだった。この青年にとっては何の問題もない事らしい。不思議でも無ければ、奇妙でもない。「龍王陛下」と言うこの青年の声が聞こえた気がした。狂気に満ちた目で、頬を蒸気させて語る話は、今、ここに来て、恐ろしく現実的な話になった。しかし、サテンもアヤノも、ランレルの驚きが収まるのを待つつもりは無いようだった。歩けるかと聞きながらも、歩いて当然と言う様子で、アヤノは腕を引っ張り歩き始めた。


見た目はぎょっとする程重症なのだが、噴き出ていた血は盛り上がったまま止まっている。気味の悪い止まりかただ、と思いながらも、ナイフをそっとポケットの中の鞘を出し、丁寧にしまうとポケットへ入れなおす。引っ張られるように歩きながら、盛り上がった血をつついてみた。固い石のようだった。腕を触ると柔らかい。しかし、なぜか血は固い。この違いは何だだろう? と思っている間に玄関に来て、外へ出た。外を見て、ぎょっとして立ち止まる。屋敷の裏玄関は馬車一台が通れるほどの狭い通りだった。正面には隣の建物の石壁が見える。同じように街中の5階まである建物で、2階辺りからアーチ形の窓がある。裏口に面しているせいか開いて入るところを見たことは無いのだが、時折ランプがともっている。通りは大通りから内に入っているせいで、人気が無く、通り抜けには不便な場所のせいか、人通りもない。


先ほどから、そこには雨が降っていた。篠突く雨だった。先ほど止まっていた馬車が、フードをかぶった御者が身をかがめて今まさに馬を出そうと手綱を上げて固まっていた。馬やフードに音を立てて当たっていた雨が、今は動きを止めている。雨が、まるでビーズを宙に投げて散らかした状態で、そのまま止まってしまっていた。辺り一面、空中はビーズの海だ。

「これだから、雨の日は」

と言う、うんざりしたようなサテンの声を聞いた。サテンは玄関から出て、石段を下りながら、雨粒を飛ばすように外していく。通った場所だけ人の形の空間ができて行く。アヤノがランレルを連れて後を追う。サテンは馬車まで来ると、

「ハーレーン商会の懇意にしている、もっとも近い、王都の外の治療所はどこだ?」

と聞いた。ランレルは、サテンを見ていた。治療所と聞いて、なぜ? と思った。目の前の二人は怪我がない。自分の怪我には痛みもない。と、サテンは何を思ったのか、

「そのままでは、怪我は治らん。生涯このまま時を止めておくわけにもいかぬ」

と言ったかと思うと、

「治療所だ。場所はどこだ」

と再び聞いた。

「あ。ロンラレソルに行けば」

とサテンの言葉ではなく、目に気おされて声を絞った。とっさに治療所は思いつかなかった。懇意にしていると言うよりも、ハーレーン商会の支店がある街しか分からない。しかし、そこに行けば医師につなぎをつけてくれる。立ち寄る者がけがをしていたら人を呼ぶ。それができない店舗は無い。

「ロンラレソルか南だな」

とサテンは言うと、馬車を見て、近寄ると手早く馬を馬車から外し始めた。

「アヤ。馬に乗れるか」

と聞くと、途中で、

「いや。いい。龍に馬は必要ない。乗れずとも好い」

と言いなおした。ランレルの横で震えだしたアヤノに、サテンが言った。敬愛する主にできない、と言わなければならない、と思った途端にがたがた震えだしたようだった。そして、サテンがさて、と言うように1頭の馬を見たところで、ランレルがおずおずっと、

「おれ、乗れます。山の入り江の漁師町だったから、移動で乗ってて」

と言うと、サテンは振り返りもせず、もう1頭も馬車から外した。

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