龍の生まれる国 第二部 平原の龍

るるる

第二部 平原の龍

序章

夕暮れ時だっただろうか。


日が落ちて、月が登り始めた時だったかもしれない。表通りからはまだまだ街の喧騒が聞え、馬車の走る石畳のガラガラとしたうるさい響きが聞こえる頃に、裏通りにある古ぼけた宿屋に、二人の客が訪れた。一人は上品な物腰のおっとりした美しい青年で、黒い髪に濃紺の目が好奇心に輝いていて、とても浮世離れして見えた。青年は、長身の黒髪の男と共に、訪れた。真っ先に、宿屋の入口に、そこは、食堂の入口でもあったのだが、押戸をカランと押して入り、カウンターの端で帳簿仕事をしていた一本の太い三つ編み女に、

「ごきげんよう」

と場違いなあいさつをした。


カウンターの女は、カナリと言って、裏通りにわざわざ来る胡散臭い客を相手にしても一歩も引かない気風の良さがあった。まだまだ嫁に行くものか、と言っていたのだが、そもそも、嫁に欲しいと言う話はあるのだろうか、と思う程、豪胆で儚さやたおやかさは微塵もなかった。太い大きな手で、どんっとカウンターを叩くと、後ろ暗い器の小さな男ならびくりと身をすくませて口ごもってしまうほどだ。そのカナリが、場違いな言葉にはっと顔を上げて、にこりと穏やかに微笑む青年の顔を見た途端に、かぁっと顔が蒸気した。真っ赤になった顔は、うぶな少女のようにも見えた。


食堂のカウンターは奥まで続き、入口の窓近くには二つのテーブルがあった。食事をする客の姿があって、通りから奥へ長く伸びた建物のようで、壁沿いに小さなテーブルと椅子が並び、カウンターにはスツールにぽつりぽつりと飲む客がいる。馬車も通らない裏通りに面した、開き戸のくすんだガラスに、ひび割れがあるのか板が張ってあったり、カウンターに並ぶスツールが斜めになったりした店の割には、食事をしている男たちは静かで、穏やかだった。

「カナリが照れてら」

と言ったのは、入口脇で、鳥の焼いたものをつまみながら、手酌でカードを眺めている男だった。年のころは三十前後だろうか。なじみの男らしく、カナリがすかさず、

「ガンゼさん。照れてなんかいなよ!」

と言い返していた。カウンターに座った男達もその声で気づいたのか、カナリを振り返り、入口を覆うような大きな影に口を閉じた。

「部屋を二つ。朝夕の食事付きで二泊を」

入口を塞いでいると思ったのは、男が背が高かったからで、マントのようにも見えた上着が、外の月明かりを覆い隠していたからだった。壁にかかったランプから離れているせいか、カウンターからは顔は見えない。暗がり立つ姿は、そのまま、暗がりに溶け込みそうな重い空気をまとっているように見えた。しかし、その前に立つ青年が、にこにこと、カナリに、

「一つは良い部屋を。我が主の為に」

と言うのを聞いくと、客たちはまるで何も聞こえていなかったかのように顔を戻した。グラスを手にしていた男はグラスに視線を戻し、連れ合いと来てひそひそと商談でもしていた男たちは、再び声を潜めて話はじめた。場末の宿に、場違いな客と来れば、その身に何かがあるはずだ。そう思ったところで、関わり合いにならないようにと、視線を外したようだった。

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