至宝

水白 建人

第1話

 その男、レジナルドは充実していた。

 しがない漁師でありながらひとまわり年下のれんなメイを妻に迎え、毎日が幸福の絶頂期。彼自身にはなんら不足などない。

 ただ、悩みどころはある。

 レジナルドが住むブリテン南部のうらざとには漁師とこうぐらいしか仕事がなく、とみを得るのが難しいのだ。

「せめてもう少し。もう少しだけかせげたら……」

 このようにつぶやきつつ、あみりくへ引き上げるのがくせになっているほどに。

「なあレジー、知ってっか?」

 同じく網を引っ張る漁師仲間が口を開く。

「ブリテンの海でオランダ商船が嵐にやられたらしい。ちょうど一か月前だってよ」

「別にめずらしい話じゃないだろ」

「まあ聞けよ。その商船はなんと金銀財宝を積んでやがったのさ」

「えっ」

『金銀財宝』の一語にレジナルドの手が止まる。

「いくらなんだ? 何百ギニー?」

「さあな」

 漁師仲間はまんぜんと天を仰ぐ。

「もっとも、ここいらの漁師を次々と宝探しに繰り出しちまうぐらいだ。二、三十年は遊んで暮らせる程度にゃ積んでたんじゃねえの?」

「おお……!」

 無学なレジナルドに確たる暗算などできない。

 ただし、二、三十年は遊んで暮らせると聞かされればかわざんようもたやすかった。

(それだけあれば、メイにもっといい暮らしをさせてやれるな)

「ぷっくく、お前はほんとわかりやすいなあ」

「笑わないでくれよ。俺は真剣なんだぞ」

「資金もねえ、たくわえもねえ、人手もひまもありゃしねえ」

「うっ……!?」

「おまけにふねはぼろくて小せえときた。こんなオレらに宝探しなんざできるもんか」

「――そう! 宝とは神のちょうあいを受けためる者にのみ手が届く」

 しょせん小漁師には財宝など得られない。

 そんな意見に調子を合わせんとする、歯が浮くような台詞がレジナルドを振り向かす。

「それが叶うのが私だよ。わかるね? レジナルド」

 浜に似合わぬビロードの上衣ダブレットを身につけ、べたつく潮風よりもうっとうしくからもうとするダレンの姿がそこにあった。

 しがない漁師にとってある意味で天敵とも呼べる男、それがダレンだ。

 彼は内陸部の街に住むごうおんぞうであり、この浦里にはご大層にも馬車をって毎日のように通っている。ひと目ぼれしたメイを我が物とするためだというのだから、夫であるレジナルドはあきれるほかなかった。

「……なんの用だ」

 けいかい心をあらわにするレジナルド。

 対してダレンは「ちゅうこくだよ」と不敵に笑う。

「私のやとったゆうしゅうな航海士が『南島付近にちんぼつしたオランダ商船あり』と結論づけた。我が資産と合わせれば一家族が一生遊んで暮らせる金額となろう。かたくななメイとて心を入れ替えずにはいられまいよ」

(南島付近だって……!?)

 はからずも財宝のありかを知ってしまったしがない漁師に、こうふんを抑えるすべなどない。

 気づけば彼は仕事中であることすら忘れ、たぐり寄せていた網を手放し、風となっていた。

「愛する女を目の前でうばわれるのはつらかろう? だから今、メイに別れを告げられるだけのゆうを与えようというわけだ。わかるね? レジナルド」

「よく舌が回るこって」

「お前になど問うてないわ! 私はそこのいまいましきレジナルドに――」

「へっ、あいつならだんがぺらぺらしゃべってるうちに行っちまったぜ?」

「レ・ジ・ナ・ル・ドぉぉ……!」

 しがない漁師ごときに無視されたと知り、富豪の御曹司はたまらずだんを踏んだ。

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