中編 子供のこと

 京の大徳寺。

 父の雲之介の葬儀にしては出来すぎた、雲の一つない晴天だった。

 まるでいなくなってしまった父さまを表しているようだ。


 丹波国の大名であり、将軍秀吉公の懐刀である父さまの葬儀には、大勢の武家や公家、そして商家が詰めかけた。父さまの実家――そう言うには確執がありすぎる――山科家や京の豪商である角倉了以、そして堺の茶人の千宗易殿や雨竜家の茶頭である山上宗二殿も来ている。


 皆、沈痛な表情を浮かべている。特に商人たちの顔は暗い。父さまの商業政策でさぞかし懐が潤ったと聞いている――いや、それよりも父さまの人柄、人徳がそうさせているのだろう。

 あるいは毒のように強く、蜜のように甘い優しさに冒されたのかもしれない。


「おお。雨竜殿。久しぶりですな」


 そう声をかけてきたのは、黒田官兵衛孝高の息子であり、俺の無二の親友である黒田長政だった。つぶらな瞳で眉が濃く、軍師というよりは猛将と評すべき容貌をしていた。

 彼が人質として長浜城にいた頃からの付き合いだった。昔、父さまと竹中半兵衛さまの策によって死を偽装されたときは、どうしようもないくらい悲しかった。


「父上の代わりに焼香をしに来たんだ」

「それはありがたい。父さまも喜んでいると思う」


 父親と違って裏表のない性格をしている長政。実直な人柄は接していて心地良かった。

 そんな彼が声を落として「父上のことだが」と耳打ちしてきた。


「隠居なさるらしい。家の実権と兵権を私に譲ると」

「そうか。とうとうお前も大名になるのか。良かったな」


 手放しに喜ぶと長政は曇った顔で「あまりよろしくない」と小声で言う。


「父上……何か企んでいるようだ」

「あの天才軍師がか? 一体なにを?」

「それは分からん。父上のお考えになられることは途方もない。だが、何か企んでいることは分かる」


 長政は困った顔で「もしものときは頼む」と言う。


「父上を捕らえたり裁いたりしたくはない。もし反乱を起こしたら刺し違えてでも止める。そのときは家臣や家族を頼む」

「おいおい。物騒だな。それに簡単に命を捨てるなよ」


 俺は長政の胸に拳を置いて笑った。


「お前のことは竹中殿と父さまが命を賭して守ったんだ。無駄死にしてみろ。あの世で二人に説教させられるぞ」

「ふうむ。そうなったら得意の歌を聞いてもらって――」

「やめろ。二回殺す気か?」


 長政は歌と馬術がかなり下手だ。どうも拍子や音程が合わない。

 だが自分では歌が上手いと思い込んでいる。厄介だった。


「まあ私の歌声は魂すら浄化してしまうからな。仕方ない」

「…………」


 浄化というより蒸発させてしまうだろと言いたかったが、話が長くなるのでやめておいた。


 長政が家臣――確か母里殿と栗山殿だ――に伴なられて焼香へ行った後、再び俺は声をかけられた。


「兄さま。こたびは大変ですね」


 腹違いの妹、雹である。父さまとはるさんによく似ている。つまりは美少女だった。

 俺は「お前、どうしてここに?」と不思議そうに訊ねた。


「お手伝いしに来ました。場が混乱しないように、席を案内しております」

「そうか。偉いな、雹」


 雹の頭を撫でると「子供扱いしないでください」と冷たく言われた。


「これでも大人になったんですよ」

「あははは。悪かったよ」

「そういえば、なつさんと雷次郎は?」


 俺の妻と息子の名を口にしながらきょろきょろと見渡す雹。


「二人は席を外している。雷次郎が粗相をしてしまってな」

「おしめを変えているんですね。赤ん坊は手が掛かります」


 少女のくせに大人びいたことを言うものだから、俺は思わず吹き出して言ってしまった。


「あはは。お前だって俺におしめを変えられたんだぞ?」

「……はあ?」


 一瞬、何を言っているのかと疑った顔をしたが、次第に顔を赤くしていく雹。


「そ、そのようなことを、口に出さないでください!」

「赤ん坊のときのお前は、夜泣きが酷くてなあ」

「それ以上言うと、怒りますよ!」


 もう怒っているじゃないかと言おうとして「兄さま」とまたも声をかけられた。

 そこにはもう一人の妹、かすみがいた。


「ああ、かすみか。お前も手伝ってくれているんだな」

「当たり前よ。父さまの葬儀だもん」


 そう言って「雹。もうおやめなさい」と先ほどから俺を叩く雹をたしなめる。


「だって! 兄さまが!」

「悪かったって。ごめんごめん」

「ちゃんと謝ってください!」


 雹をいなしながら「それで、何かあるのか?」とかすみに訊ねた。

 かすみは長い黒髪を耳にかけた。


「徳川信康さまが兄さまに会いたいと」

「信康殿が? 分かった。どこにいらっしゃる?」


 かすみは「寺の裏で待っているわ」と答えた。

 俺は二人と別れて、言われた場所に向かった。


 裏手の大きな木に背を預けて、数名の家臣を控えさせている信康殿に「お久しぶりですね」と声をかけた。

 小太りな駿遠三の大名、徳川信康殿は父さまに命を救われ、父さまの命を救った、何とも雨竜家に奇縁を持つお方である。彼がいなかったら大返しで父さまは死んでいただろう。


「おお。雨竜秀晴殿。久しぶりだな」


 それから周りの家臣に「その方ら、席を外せ」と命ずる。

 数名の家臣はそれに従ってその場を後にした。

 信康殿は「このたびは残念でしたな」とお悔やみを申し上げてくれた。


「雲之介殿には世話になった。私の命を救い、雑賀衆に入る手引きをしてくれた。感謝しても足らぬ」

「父さまもその言葉を聞けて、青葉の陰で喜んでいると思います」

「九州攻めでは世話になった。親子二代続けて世話になるとは思わなかった」


 九州の大名、島津家を討伐する際に助け合ったことを言っているのだろう。

 俺は「気にしないでください」と笑った。


「徳川家の戦術は凄まじかった。味方で良かったと感じ入りましたよ。勉強にもなった」

「平八郎に習うといい。あれは徳川家最強の武人だ」


 平八郎とは俺の家臣、本多忠勝のことだ。おそらく島清興と同等かそれ以上の武人だろう。父さまが最後に引き入れた家臣でもある。


「それで、ご用とは一体なんでしょうか?」


 本題を切り出すと「実は父上のことだ」と長政と同じことを信康殿は言った。


「駿河国の駿府城で隠居しているのだが、何やら関東の雄、北条家とこそこそ密談しているらしい」

「……それは本当ですか?」


 個人的に信康殿の父君、徳川家康殿は将軍秀吉公に匹敵する英傑だと思っている。

 隠居した身であるが、挙兵したら一国を奪うどころの話ではないだろう。


「ああ。困っている。いっそのこと父を……いや、息子としてそれはできぬが……」

「…………」

「すまぬ。葬儀の場で言うことではなかったな」


 内容が内容なだけになんと反応すれば良いのか分からない。

 俺は正直に「父君とお話になってみてはいかがか?」と助言した。


「今更、なにを話せば良い? 父上を隠居させ、家督を奪ったのはこの私だ」

「それでも話せるときに話しておかねば、後悔しますよ」


 今の俺が言うと、説得力が強すぎるのかもしれない。

 しかしそのくらいのほうが分かってくれるだろう。


「父親を粛清したり追放したりして、家を存続できた者はいません。武田家が良い見本です」

「……そうだな。父上に真意を確かめてみる」


 信康殿はにこりと笑って俺に礼を言った。


「ありがとうな。それとこんな大変なときに相談などしてすまなかった」

「いえ。お気になさらず」


 頭を下げると信康殿はどこか懐かしそうな顔をして言う。


「父君に似ているな」

「……そうですか?」

「ああ。なんとなくだが、そう感じた」


 父さまに似ている。そう言われて感じたのは重圧でも歓喜でもなく。

 少しだけの満足感だった。

 それが何だか、心地良かった。


 参列者も少なくなった夕刻。

 その間隙を縫うように訪れたのは、俺の主君だった。


「秀晴! 息災か?」


 大声で呼ぶ声で、俺は次期将軍であらせられる、秀吉公の息子、豊臣秀勝さまが来たことを知った。

 ざわめく参列者を余所に、俺は急いで喪服姿の秀勝さまの前に跪いた。


「ご足労いただき、まことにありがたき幸せ。亡き父もさぞかし喜んでいるでしょう」

「うむ。さっそく焼香をさせてもらおうか」


 てっきり秀吉公が来ると思ったが、名代で秀勝さまが来るとは思わなかった。

 作法に則って焼香を済ませた秀勝さまを奥の間に通す。

 父さまのように茶を点てられないので、俺は山上殿に頼んだ。


「うむ。結構なお手前だ。流石雨竜家の茶頭だな」

「ありがたきお言葉、感謝いたします」


 山上殿がお辞儀をしてその場を後にすると、秀勝さまはしばらく沈黙した。

 俺はよほど大事な話があるのだろうと思い、同じく黙って待った。


「……父上が荒れている」


 ようやく口にしたのは、秀吉公のことだった。


「雨竜さんが亡くなってからというもの、浴びるように深酒をしている」

「……お身体に障りますね」

「ああ。今は北条家を討伐し、一挙にみちのくも従わせなければならない局面だというのに……」


 困りきった顔の秀勝さま。

 しかし次の瞬間、とんでもないことを言い出した。


「父上は、唐入りを考えている」

「……なんですって!?」


 唐入り、つまり大陸へ攻め入るということ。

 俺は思わず豊国指南書の『海外』の項目が浮かんだ。


「浅井長政殿から頂いた豊国指南書には、他国の領土は望むなと書かれている」

「ええ。そのとおりです」

「もし望めば、国が破綻すると」


 秀勝さまは俺に向かって「一緒に父上を説得してくれないか?」と真剣な眼差しで言った。


「俺がいたところで、お考えが変わるとは思えませんが……」

「頼む。私一人では説得などできぬ。このとおりだ」


 このとき、秀勝さまは主君にあるまじき行ないをした。

 臣下の俺に頭を下げたのだ。


「お、おやめください! そのようなことを!」

「では、受けてくれるか?」


 俺はしばし悩んで「……できるかどうか分かりませんが、やってみましょう」と了承した。


「そうか。では葬儀が終わったら大坂城へ来てくれ。いや、一緒に参ろう」

「かしこまりました」


 父さまの主君である秀吉公の説得。

 今までの務めの中で、最も大変なものだった。

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