第61話 新学期

奏介に一瞬だけキスした後、慌ててジムに駆け込み、さっきのことを思い出さないようにトレーニングに励んでいた。


サンドバックを蹴りながら『なんでキスした?』と思うと、居ても立ってもいられなくなり、無我夢中で蹴り続ける。


トレーナーの吉野さんはそれを見て「カズに負けて、気合入れなおしたみたいだな」と、感心したような声を上げる。


『そうじゃないんだけど…』


なんてことは言えず、がむしゃらに蹴り続けていた。



トレーニングを終えた後、桜ちゃんに誘われ、夕食を食べにファミレスへ。


桜ちゃんと話しながら食べていると、桜ちゃんはいきなり「奏介君となんかあったんでしょ? お姉さんに話してみ?」と、いたずらっぽい笑顔で切り出してきた。


「なんにもない」と言い切ったんだけど、桜ちゃんは「えー? ほんとにぃ? 部屋から戻った後、異常に気合入ってたじゃん。 なんかあったんじゃないのぉ?」と、探るような目で見ながら言って来るばかり。


「絶対になんもない!!」


「あらあら。 ムキになっちゃって。 千歳もお年頃ねぇ~」


からかうような口調で言って来る桜ちゃんを前に、何も言い返せないでいた。



食事をとった後、自宅に帰ると、奏介の靴がない。


『あれ? ロードワーク行ったのかな?』


リビングでテレビを見ている父さんに「奏介は?」と聞くと、「ああ。 帰ったよ。 明日から新学期だろ? 『居ろ』って言ったんだけど、『これ以上迷惑かけられないから』って出てったよ」と、平然と答えていた。


『帰っちゃったんだ…』


そう思いながら軽くシャワーを浴び、自室のベッドで横になると、スマホが点滅していることに気が付いた。


スマホを見ると、奏介からラインで【いろいろサンキュ】とのメッセージ。


それを見た途端、胸の奥がキュンっと締め付けられ、息がつまり、返事をできないままでいた。



翌朝。


朝のロードワークに行ったんだけど、聞こえるのは父さんの声ばかり。


少し寂しい気持ちを抱えて走り切り、自宅の庭に着くと、父さんはストップウォッチを見ながら「44分22秒… 疲れだろうな。 しばらく朝のトレーニングを週4にしろ。 休むことも大事だ」と、ため息交じりに言い切っていた。


筋トレをした後、おじいちゃんの家に向かって走り、食事とシャワーを済ませた後、制服を身に纏い、学校に向かって歩き始める。


背後から奏介が駆け寄ってくる足音が聞こえないまま、学校に着いてしまい、寂しい気持ちのまま、教室に入っていた。


退屈な始業式を終え、教室に向かう途中、早苗が「調子どう?」と切り出してきた。


話しながら教室に向かって歩いていると、薫君が駆け寄り「中田さん! 明日から部活再開していいって、谷垣先生が言ってたよ!」と、元気に声をかけてくる。


「わかった」とだけ言った後、早苗と話しながら教室に向かっていた。



退屈な1日を終え、おじいちゃんの家に向かって歩いている最中、背後から駆け寄ってくる足音も、隣にぴったりと寄り添う気配もなく、ただただ一人で歩いているだけ。


寂しさを抱えながら歩いていると、おじいちゃんの家に着いてしまい、力なく「ただいま~」と言いながら中に入っていた。

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