第46話 悔しい
誰とも口を聞かないまま、父さんの車で自宅に戻り、軽くシャワーを浴びた後、自室にこもり、グローブとシューズの手入れをしていた。
どうしようもない結果が出てしまったことに、悔しさよりも虚しさのほうが大きく、ボーっと手を動かしているだけ。
『ロードワーク行こ』
ふと思い立ち、トレーニングウェアに身を包んでいると、ドアがノックされたんだけど、開く気配がない。
『奏介かな…』
そう思いながらゆっくりとドアを開けると、桜ちゃんが立っていた。
「これ、奏介君が忘れて行っちゃったんだよね。 英雄さんが、千歳ちゃんに届けさせろって」
桜ちゃんはすごく寂しそうで、悔しそうな笑顔を浮かべ、バンテージを手渡してきた。
「わかった。 ロードワークついでに行ってくるよ」
そう言い切り、奏介の家の場所が書かれた紙を受け取った後、家を飛び出していた。
家の場所を探しながら走っていると、築何十年も経ってそうな、古ぼけたアパートが視界に飛び込む。
『ここ? 狭そうだけど、ここで家族と住んでるの?』
不安になりながらも、建物の横にある鉄製の階段を上り、突き当りの部屋のインターホンを押すと、ゆっくりとドアが開き、中から奏介が顔を出していた。
「忘れ物、届けろって父さんが…」
小声でそう言い、バンテージを手渡すと、奏介は「入れよ」と言いながら、強引に腕を引っ張り、部屋の中へ押し込んでくる。
奏介はドアを閉めると、無理やり部屋の奥に押し込まれたんだけど、そこにはどこからどう見ても家族で暮らしている形跡がなく、テーブルの上には飲みかけの水が置かれているだけ。
不思議に思いながら奏介の隣に座り「一人暮らし?」と聞くと、奏介は「ああ。 そうだよ。 親父は海外出張ばっかりだからほとんど帰ってこないし、母親は小学生になると同時に、男作って出て行ったきり」と言い切っていた。
「ごめん。 変なこと聞いた」
「事実だし。 それより今日の試合、俺の方がごめん」
「奏介が謝ることないじゃん」
「俺も前は広瀬だったしさ…」
「今は関係ないじゃん」
「そうなんだけど… 悔しくないのか?」
『悔しくない』と言えば嘘になる。
けど、私の前に行われていた試合を見る限り、なんとなくこうなることはわかっていたような気がするし、終始優勢に動き、反則をされまくり、理不尽な反則負けした奏介の方が悔しいに決まっている。
それに、試合には負けたけど、勝負には圧勝していたから、悔しがっていいのか、喜んでいいのかもわからず、ただただ黙ることしかできなかった。
しばらく黙っていると、奏介はため息をつき、小声で呟いてきた。
「俺はめちゃめちゃ悔しい。 全戦全敗してた相手に、やっと勝てるって思ったら反則負けだろ? しかも、千歳はKOしたのに、意味わかんない理由で反則負けしたし…」
「奏介はリベンジできるじゃん。 その時に勝ちなよ」
そう言いながら笑いかけると、奏介は突然私を抱きしめ「泣いていいよ?」と切り出してきた。
突き放すことも、抱き着くことも出来ないまま、胸を締め付けられるばかりで、「誰が泣くか」と小声で言うのが精いっぱい。
「泣けって。 こうしてれば泣き顔見られないだろ?」
「だから泣かないって」と言いながらも、居心地がよく、もっとこうしていたいという気持ちが大きくなっていた。
『なんか優しいにおいがする… 柔軟剤かな? すごい落ち着く…』
奏介の首筋に顔を埋め、微かに香る優しい匂いに、胸を締め付けられていると、顔が熱くなっていくのが分かった。
奏介はゆっくりと体を離そうとしたんだけど、慌てて抱き着き「今無理!」と声を上げると、奏介は小さく笑った後に私を強く抱きしめ、耳元で「愛してる。 悔しいけど、めっちゃ愛してる」と囁いてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます