第47話 冗談
奏介に抱きしめられ、耳元で「愛してる」と言われた後、何も言えないまま、激しく暴れまわる自分の鼓動を感じていた。
窓から差し込む赤い光に包まれ、言葉を発することもできず、ただただ黙ったままで抱きしめられていると、奏介の鼓動も激しさを増し、心拍数が上がっている事が伝わってくる。
『…奏介、すごいドキドキしてる』
奏介の鼓動を聞きながら、どうしていいのかわからずにいると、家のインターホンが鳴り響いた。
インターホンが鳴り響いても、奏介は体を離すことはなく、より近づくように力を込め、抱きしめるだけ。
力いっぱい強く抱きしめられ、思わず「痛」っと言葉が漏れると、奏介は少しだけ力を緩め、耳元で「ごめん」と囁いてきた。
しつこいくらいに鳴り響くインターホンに嫌気がさし、「…出ないの?」と聞くと、奏介はため息をつきながら体を離し、ゆっくりと立ち上がった。
玄関の方からドアが開く音が聞こえると同時に、「今日は残念だったね」という少し嬉しそうな春香の声が聞こえ、奏介はため息交じりに言い切っていた。
「もう二度と来るなって言ったよな?」
「負けて悔しいんでしょ? 達樹君に負けるたびに、悔しいって言ってたもんね」
「負けて悔しくないボクサーなんていねぇよ」
「だから慰めてあげるって」
最初から負けは決まっていたような口調で、嬉しそうに話す春香の言葉にイラっと来てしまった。
奏介と春香はその後も言い合いを続けていたんだけど、会話を聞いてるたびにイライラし、ゆっくりと立ち上がった。
玄関に向かうと、春香は私の顔を見るなり固まり、奏介は「帰るのか?」と聞いてきた。
「うん。 『負けて悔しいときはミットにぶつけろ。 そうすればもっと強くなる』ってのが、奏介が憧れてる中田英雄の教え。 本物の子供じゃないと知らないことだけど、そのおかげで、ヨシ兄はベルト取ったし、口先だけの冗談ではないよ。 腐った偽物に慰めて貰うよりはマシでしょ」
はっきりとそう言い切ると、奏介は「俺も行く」と言い、部屋の奥へ。
春香を睨みながら「あんたは私になれない」と言い切ると、春香は目を潤ませ、涙をこぼしていた。
黙ったまま靴を履いていると、準備を終えた奏介が出てきたんだけど、奏介は春香の涙を見るなり「また泣いてるし…」と、うんざりした口調で呟いていた。
「『涙の代わりに汗を流せ』っていうのも中田英雄の教えだよ。 涙を流した分だけパンチが飛んでくるのが中田英雄だけどね」
そう言いながら立ち上がると、奏介は目を輝かせながら「他にはなんかある?」と聞いてきた。
「『乗り物は甘えだから走れ』 『言葉で伝わらなかったら、体で表現しろ』 あとは忘れた」
そう言いながら笑いかけると、奏介は私の腕を引っ張り、強く抱きしめた。
「…伝わる? 千歳を愛してるって」
耳元でそう囁かれ、固まったまま動けないでいると、奏介はゆっくりと体を離し、愛おしそうな目で見つめながら、私の髪を撫でてくる。
すると、春香の駆け出す足音が聞こえ、奏介はゆっくりと腕を離した。
「行こうぜ」
そう言いながら平然と靴を履く奏介を見ながら、ゆっくりと外に出て走り始めた。
『え? 追い払うためにあんなこと言ったの? ラインのスタンプみたいに、ただの冗談で言った? じゃああの目は何? やばい… 何考えてるのか全然わかんない…』
何事もなかったかのように、普段通りに隣を走る奏介の存在を感じながら、考えれば考えるほどわからなくなり、自然と走るスピードを速めていた。
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