第15話 問いかけ
慌てて少年のもとに駆け寄った私は狼の言葉通りの死の淵にあるユーリさんの怪我を確認しました。
一目見て分かります、腹部を大きく裂かれて内臓が露出している……致命傷でした。
動揺を抑えるように私は目を閉じて呼吸しました。
けれど思いとは裏腹に私の中では疑問が次々と湧いて、行き場もなく溢れかえっていました。
ユーリさんは最後に「これが一番マシだった」と言っていました。だからこの結果はユーリさんが自ら選択した結果なのでしょう。でも何でですか?
ユーリさんは私を糸で縛りました。私が庇おうとしたことにユーリさんは何故か気がついていたのです。それは何故ですか?
気づいていたのに私を助ける選択をしたのですか? 自分が死ぬと分かった上ですか?
私を自由に泳がせれば身代わりにできたかも知れないのに?
どうしてですか?
私は……
「私は……私は……ただ……」
私は王城を追放された人間でした。
初対面で遠慮なく腕を爆破しようとした人間でした。
料理に胃袋を掴まれた人間でした。
うんざりしたような顔で頭を叩かれる人間でした。
それでも一向に懲りることのない人間でした。
ただ、それだけの人間でした、それなのに。
どうして私を助けたのですか?
私にはユーリさんの身体が冷え切ってしまう未来しか見えない。先見の姫君だなど口が裂けても言えません。
そんな私は何で、ユーリさんが傷ついたことにこんなにも取り乱しているのですか?
なのに何で、こんなにも、震えるほどに胸が熱くなるのを感じているのですか?
私はきっと、疑問のすべてに答えを求めていました。けれどこの場でどれだけユーリさんに問いかけても答えが返ってこないこともまた分かっていました。
放っておけばユーリさんはそのまま死んでしまう。だから私は胸の内で氾濫する疑問を『怪我が治った後で全部聞く』と自分に言い聞かせて無理やり押しとどめ、けがの具合を検分し始めました。
「……はは、あはは」
数秒と経たずに笑い声をあげた私は狂っていたわけではありません。数多の爆破とその後始末としての治療行為を繰り返し、周囲から狂っていると言われ続けた私だからこそ分かることがありました。
皮膚や筋肉には大きな欠損があるものの、内臓は無事でした。出血の勢いも傷の大きさから考えればむしろ少ない方です。
これなら一命をとりとめる可能性がある、そう気づくと同時に私は叫んでいました。
「清潔な布と水、あと糸と針を……彼はまだ助かります、だから早く!」
◆
私は村から駆け付けた馬車の上でユーリさんへの治療を開始しました。
強化魔法で生命維持機能を補助しつつ持続回復魔法を付与、治癒魔法の使用時に傷口や体組織が変な癒着を起こさずに素早く閉じるよう、内臓をあるべき場所に収めてから目立った裂傷を大まかに縫い合わせます。
初歩的な浄化魔法で毒や呪詛を無効化したのちに、私はそうそう連発できない上位治癒魔法、
一流の治癒魔法使いであれば、切断された部位を復元させることも可能な魔法です。私が爆破した指も宮廷魔導士の使うこの魔法に治してもらいました。
もっとも魔法の際に乏しい私の扱うそれはそこまでの効果を発揮するものではありません。
ですが研究対象の動物や魔物を爆破させては回復させる行為を繰り返した副産物として、予め物理的に修復後の姿に近い条件を整えてやることで効果をよりよく発揮できるという事実を私は発見していました。
傷口や切断された部位を縫い合わせることで治癒魔法の効果が上昇し、治療の所要時間も短縮されるのです。
ほどなく無事に傷はふさがり、ユーリさんの呼吸が安定し始めました。それでも失った血液を作り出し、身体の機能が完全に回復するまでには数日以上は掛かると私は見込んでいました。
クラッドさんは治療に必要な物資を確保するために村中を駆けずり回っていましたが、私の治療が首尾よく運んだことを見届けるなり黙ってどこかへと行ってしまいました。
村に着いた後ユーリさんが自宅に運ばれるのを見届けてすぐ、私はぷつりと糸が切れたかのように意識を失いました。それは私にとって初めての経験でした。
◆
私が目覚めたのは次の日の朝でした。
鳥の鳴き声で眠りから覚めて、ゆっくりと身を起こした私を見る、周囲の目が変わっていました。
グレゴールさんと数名の騎士が私を取り囲んでいました。一様に険しい表情をしています。
「……あの、私は……あの後……」
「……ずっと意識を失っておいででした。魔力を使い果たしたのです」
魔力の枯渇は多くの人間が一度も体験しないまま生涯を終える事象であり、何より忌避すべきことでした。
体内の魔力は生命維持にも密接に関係する要素だからです。
思考と魔力は等価です。魔力をすべて失うということは、何かを認識しものを思うことが不可能になることと同義でした。そして自らを認識できなくなった人間の身体は、時に生命活動を止めます。
また、たとえ命を失わずに済んだとしても、魔力の全喪失は人の思考機能を恒久的に奪うこともあります。
戦場で、あるいは研究室で、魔力を暴発させてしまった魔法使いが廃人になり果てた。そう言った話も聞いたことがありました。
意識を失うだけで済んだ私はきっと奇跡を掴んだのです。
「鏡をご覧ください」
促されるように手鏡を覗き込んだ私の髪は、八割ほどが白髪に変わっていました。まるでユーリさんのようです。
「戦場にでもいない限り目にすることはないですが、魔力を喪失すると本人の魔力適性に応じて特定部位の変質が起こります。強化魔法を使う者は全身の衰弱が一般的ですが、治癒魔法の場合は髪色が変わります」
「それでこの髪に……ユーリさんの髪の色が変わるのもきっと……」
「……姫様が意識を失った直後はほぼ全てが白髪でした。眠っている間に一部が元に戻り始めましたが、この調子では完全回復までにあと一週間ほどかかるでしょう」
「……そうですか。ユーリさんは?」
「命に別状はありません。ラスボス氏はじきに目覚めるだろうと言っておりましたが……」
私は今すぐにでもユーリさんの容体を確認したい衝動にかられました。ですがグレゴールさんの言う通り、身体が重くてうまく動かせませんでした。
「……姫様は強化魔法の適性もお持ちです。体力も減っておいででしょう。今しばらくはゆっくりと身体をお休めください」
その後、グレゴールさんは私が無茶をしたことについて窘めることもなく、他の騎士団員と共に天幕の外へと出ていきました。
戦場に向かった時点で諦めがついていたのかもしれません。説教を受けることになると考えていた私にとっては意外な態度でしたが、好都合でもありました。
私はそれから天幕の中のベッドで安静にしながら、様々な要素について考えを巡らせていました。
うまく表現できないのですが、必要な構成要素がすべて揃ったという直感が働いたのです。
魔法の才能がないと告げられた私が指を吹っ飛ばしたあの瞬間のように。
あの日父上たちの話を最後まで聞いて城を追放されたのだと気づいた時のように。
あとは点と点を線でつなぐだけで何かしらの絵が浮かび上がるのだという確信が私にはありました。
けれど深く考えようとするたびに、まるでその邪魔をするかのように私の中で別の考えが浮かんできます。
何故ユーリさんは私を助けたのか。私はその思考に囚われるのでした。
こんなにも人の考えを知ろうとしたのは私にとって初めてのことで、だからその問いを頭の隅に追いやる方法が上手く見つけられずに私はごろごろと寝返りを打ちました。
そうして半日の間唸った後、ようやく考えがまとまりました。
「……遡行の少年……そういう事ですか……」
身体を動かせるようになった私は服を着替えました。騎士団の方々の目を避けて天幕を抜け出した私が向かったのはユーリさんの、そしてラスボスさんの家でした。
◆
ユーリさんとラスボスさんの家を訪ねた私はユーリさんの私室にちらりと目を向けた後、ラスボスさんに尋ねました。。
「……ユーリさんの容体は?」
ラスボスさんは『はんもっく』をゆらゆらと揺らしていました。
「問題なかろう。先ほどは『燻製のチップが足りない……』とか寝言をほざいておったのでの、じき目覚めるじゃろ……てお主、その髪どうしたのじゃ? ユーリとお揃いなのか!?」
「いえ、これは魔力が枯渇しただけです」
「そ、そうか……で、お主の用は何かの?」
「ラスボスさんに答えを伝えに来ました」
「……いやいや、昨日の今日じゃぞ? ちと早すぎじゃあ……」
「ただ、先に一つだけ聞きたいことがあります」
「何じゃ?」
「ユーリさんはこれまで何回死んで来たのですか?」
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