第14話 姫様を縛って笑う村人
私たちは狼煙の上がっていた方角へと向かいました。
五分少々の間街道を走り、西の方へと少しだけ分け入っていくと目的地にたどり着きました。
ユーリさんは見ただけで足が震えてしまいそうな巨躯の狼と対峙していました。
その狼は全身を痛めつけられていました。もふもふした毛並みのあちこちがが血で固まっています。
一方でユーリさんもまた少なくない傷を負っていて、しかも毛髪の半分以上が白髪に変わっていました。
「……まったく、イヤになるほど強いなこの狼」
「それは我の台詞だ。人間一人にここまで手こずらされるなど……太陽が沈んでしまうではないか」
「なら急げよ、今から追っかければ間に合うかもしれないだろ」
「ふっ。その言葉には乗らぬ。小僧よ、天地開闢より我らに伝わるありがたい言葉を教えてやろう」
「……何だよ?」
「明日から本気出す」
「それダメな奴の台詞だろ。聞き覚えあるぞ」
「スコりんをダメって言うなー!」
「うっせえバカ! つーか和むからマジやめろ!」
狼の背の上では女の子が子供っぽい口げんかのような台詞を吐いていて、ユーリさんがカリカリした様子で怒鳴り返していました。
暗くて女の子の顔はよく見えませんでしたが、それでも頭の上にぴょこんと立った獣耳のようなものと腰あたりからピンと逆立たせた尻尾は見て取れました。
それに膨大な量の魔力が女の子と巨大な狼の周りに渦巻いている様子を眼鏡が映し出していました。ただの人間には到底宿すことのできない、種としての根本的な力量差を感じさせる獰猛な奔流です。
直接魔力を感知できるクラッドさんたちの方がきっと目の前の脅威を強く実感しているのでしょう、かすれた声で呟きました。
「……純血種……あと、
「そのようですね……すごく、もふもふしていますし」
「……いや、まあいいけどよ」
もふもふはさておき、クラッドさんが女の子を純血種と呼び、脅威と看做したのには理由がありました。
それは獣人を取り巻く根深い差別意識に端を発するものです。
この世界には獣人と呼ばれる存在が大きく二つ存在します。
一つは300年以上前に世界が作られた時点から獣人として存在している、純血種と呼ばれる希少な存在。
もう一つは人と動物、あるいは魔獣が交雑した結果発生した、混血種と呼ばれるありふれた存在。
この二つの存在は見た目上はほとんど変わりません。ですが別の面で決定的な違いがありました。
それは純血種の獣人は魔獣と意思疎通が可能であり、また成長するにつれて自身も強大な魔力と身体能力を有するようになるということです。
最終的には人とは隔絶した力を有することになる純血種の獣人は、本来人間社会とほとんど関りを持たず、世界のどこかで小規模な集落を形成し静かに生活しています。
しかし、珍しい生き物を蒐集する貴族やその手足となる盗賊団などの手により、その子供が連れ去られ奴隷市場に流れることがあるのでした。
見た目上は区別のつかないこの二つの存在は、幼少の頃より他の種族から奴隷に等しい扱いを受けます。
汚らわしい魔獣の血を引く者、人でなし、喋る道具、そういう扱いです。
混血種のほとんどはその扱いから抜け出せないまま一生を送りますが、それでも殺されることはありません。奴隷は便利な存在だからです。
しかし純血種は成長するにつれて自らの力を覚醒させます。そしてその頃には自らを虐げてきた人間たちへの敵意は拭い去ることのできない水準で深まっているのです。
純血種の獣人はやがて主人を殺し、人間社会を離れます。そんな彼らの行きつく先は決まっていました。
その身に宿した強大な力を受け入れることのできる場所は世界で一つしかありません。
魔王軍です。
そう言った経緯から、『純血の獣人』は人間に目撃された時点で魔王軍の一大戦力であると断定される対象でした。
状況から考えれば、猪たちもグリフォンもこの巨大な狼も全てあの女の子の配下だったのでしょう。
とりわけ
その存在は、たった一人の少女が振るうにしても、たった一人の村人が応じるにしても、度を越えた暴力と言えました。
ただ、この場面で焦りを覚えていたのは神狼種の方でした。
「……主よ、夜が来れば我の力が落ちる。今日はここで退くべきだ」
「ダメ! ブレ坊たちの仇、取らなきゃ! グリ太郎たちもまだ……」
「そうだ団長さん、グリフォンが五体村に行ったと思うけどどうなった?」
ユーリさんの問いにグレゴールさんが反応するより先に、クラッドさんが口を挟みました。
「とどめは全部俺が頂いた。手柄は総取りだ」
「マジかよ、すげえな……ラスボスは?」
「姫様と避難してたっけな、今もガキん家の結界ん中だ。ま、姫様はこっちに来ちまったが」
「……そっか、それもすげえな」
ユーリさんは私と目を合わせませんでした。扱いに困ったように顔を背けています。
「ふざけるなクラッド! あれは騎士団全員の奮闘の成果であろうが!」
「あぁん!? とどめを刺したのは俺だろ! なら俺の手柄だ、旦那たちにゃ譲らねえ!」
クラッドさんは口角泡を飛ばしながらグレゴールさんと口論し始めました。欲がすごいです。
「……グリ太郎たちみんな……うそ……」
「だから最初に言ったろ? アイツらがやられたらまた泣くのかって。キリがないだろ、もう止めようぜこんな戦い……」
「……スコりん、本気出して」
「いや、我は明日から……」
「一度だけでいいから。それで、全部終わらせて」
「……本当にいいのだな、主よ」
「うん」
「……仕方あるまい。人間どもに大した恨みはないが、主の命だ。ここで死んでもらうとしよう」
狼が私たちに向き直り、続けて周囲に霧を発生させました。
その霧は同じく狼によって生み出された揺らめく炎に照らされ、様々な形を映し出します。
そして、狼の声が響きました。
「我が謳うは端緒の口跡、
言葉を切った狼が高らかに吠えると、無数の思念が私の頭の中に渦巻き始めました。その全ては私に冷たく語り掛けます。立ち込める霧の中にその姿かたちをほのめかしながら。
役立たず。出来損ない。魔力も感知できない無能。爆発メガネ。まことか、それはめでたい。時間が惜しいのです。遺書はダメですよ……
無数の幻が言わんとすることは一つでした。
『お前なんかが何故ここにいる』
私の動揺を的確に誘う言葉が、耳障りな残響を伴って私を襲います。
無理やり思考を流し込まれるこの感覚を私は知っていました。複数の共振を一度に感受する時と同じ感覚なのです。
そしてもう一つ、私には知っていることがありました。それは――
「皆さん……共振を」
――共振には回避策が存在するのです。
共振には一つの制約があります。自ら共振を発動させ思考を伝達させている間は他者の共振を感受することができなくなるのです。
その為騎士団は誰かが共振を発した後、どうぞという言葉を最後に付け足すのです。これでこちらの話は終わり、以降はあなたの共振を感知できますよと相手に知らせるために。
そしてこの特性は裏を返すと、相手の共振を感知した時にこちらから共振し返すことで相手の共振を無効化できることを意味しました。
騎士団の面々は各々の共振で魔力を垂れ流しにしながら剣を構え、狼に対峙します。
けれどこの場に共振を扱えない人物が二人いました。
「……何で、いなくなったの、パパ、ママ、どこ……」
獣人の女の子が虚空を見つめ、血の気の失せた表情で呟いていました。おそらく狼が行使したのは対象に幻覚を見せるとともに能力を弱体化させる魔法なのでしょう。彼女の魔力が弱まっていました。
「……痛いな、クソ……っ! でもこれが一番……効くんだよな……」
ユーリさんは左手に縫い針を握って太ももに突き刺し、ぐりぐりと抉っていました。
痛みで幻覚を打ち消しているのでしょうか。常軌を逸したやり方ですが、ユーリさんもまたフライパンを構え直します。
「……おい、ちょっと待つのだ。これでは我、主だけを苦しめているみたいではないか!」
「うっせえ犬コロ! 俺もちょー痛いんだ、さっさとやめろ!」
ユーリさんが怒鳴りながらフライパンを振るいますが、狼は一足で数メートルの距離を後ずさりその一撃を回避しました。
「……そうだな。ならばさっさと一撃見舞って帰るとしよう」
そう言うと狼は歯をむき出しにして唸り声を上げました。全身の筋肉が引き絞られた弓のように力を蓄えています。心なしかその巨体が一回り大きくなったかのようにも見えます。
その目に映すのはユーリさんの姿だけ、次に渾身の一撃がユーリさんに襲い掛かることは明白でした。
私はユーリさんに駆け寄ろうとしました。身代わりになるのは最初から死ぬように予定された私の方が万人にとって都合がいいのです。
ラスボスさんとの約束を半分果たせなくなってしまいますが、致し方ありません。
けれど次の瞬間、狼が地を蹴る音と合わせるようにユーリさんの髪が全て白髪に変わり、同時に眼鏡が映し出していたユーリさんの魔力がすべて消えました。
そして私の身体をミスリルの糸が縛り、ユーリさんが困ったように笑うと――
「これが一番マシだった」
――私の目が映したのは、その手に紅蓮の火炎を纏った巨大な狼の一撃をまともに食らい、そのまま視界から消えていくユーリさんの姿でした。
「……ふむ、仕留め損ねたか……だが長くは持つまい」
狼は言うなり、わずかに姿勢を崩しました。先ほど振り下ろした前足がいびつな線を描いて折れています。
「……我と相打ちを狙うとは不遜。だがその度胸に免じてとどめは刺すまい。残り物たちよ、そこな小僧と別れを済ませるがいい。さらばだ」
遥か彼方に弾き飛ばされたユーリさんの姿を物惜し気に見つめた後、踵を返した狼は獣人の少女を背に載せて去って行きます。
その後ろ姿の周囲には水で出来た杭が無数に浮かんでいて、行く手を邪魔した瞬間に全て刺し貫くのだと暗黙のうちに語っていました。
茫然とその姿を見送る私が我に返ったのは、遠くでユーリさんが仰向きに倒れた音を聞いてからのことです。
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