第3話 我慢比べと大爆発
※ユーリ視点
現実の時間で五分ほどたった。
現実の、と言う但し書きがつくのは自分の体感時間と現実の時間経過が大きくかけ離れているからだ。
体感ではおよそ10時間ほど経っている。その間に俺は100回近く死にかけていた。
大木を容易に穿つ角で腹を貫かれ、猪の放った炎に全身を焼かれ、指先から徐々に宝石に変えられ、見えない風の刃に五臓六腑を切り裂かれ、といった様々な危機に俺は直面した。
例えば最初の死。猪の角に貫かれて死にかける。
これはダメだと思う度、俺の意識は過去に遡る。
自分の体力も集中力も周囲の場面も過去に立ち戻り、けれど死にかけた記憶と消費した魔力だけは引き継いで、再び時が流れだす。
角を回避するために俺は時機を測り、敵が間合いに入るより早くフライパンを全力で振り下ろす。
フライパンが上手いこと敵の頭を打ち抜く寸前で前方へ高く飛ぶ準備のために姿勢を少しだけ落とし、脚に力を溜める。
手に衝撃が返ってきた瞬間に俺が飛び上がると、猪は俺の股の下スレスレを一直線に駆け抜けていく。
同じ調子で俺は自らの死と引き換えに最善の動作を少しずつ探る。
飛んでくる炎をフライパンで受け流して周辺に燃え移らせ、宝石化させる魔法が発動する前に縫い針を猪の目に投げつけて予備動作を中断させ、見えないはずの刃を立ち込める煙によって可視化して回避した。
「……死ぬかと思った。マジで」
そんな命がけの試行錯誤を絶え間なく続けて、やっと五分後にたどり着く。そして俺は今もまた死にそうになっている。
「……あれだけやったのに何で死なないの?」
四体の猪たちは動きが鈍り始める程度の手傷を負っている一方、敵の攻撃をほぼ完全に回避していた俺は着ている服にさえ傷一つ付いていない。
というか服を粗末に扱うわけにはいかない。
俺が100回殺されかけた事実を知る由もないイアルの口調は平坦で表情も硬いままだったけれど、その尻尾をまっすぐに伸ばし毛を逆立たせていた。
内心すんごくぷんすかしているのが分かる。
「死にたくないからだろ、普通に考えろバーカ!」
「……バカって言った?」
何度も死を経験して神経をすり減らした俺が子供じみた悪態をつくと、イアルは甲高い遠吠えを上げた。
その声に応じるように四体の猪が俺から10メートルほどの距離をおいて四方に散る。
理不尽なまでに凶悪な四体の獣を暴れさせた結果、周囲20メートルほどは更地同然になっていた。
その中央付近に俺がいる。
イアルは更地の端にまで瞬く間に移動して、状況を漏らさず把握するように鋭い視線を周囲に向けていた。
イアルは獣たちを自在に使役するだけでなく、行動を指揮することができるのだと俺は過去の戦いから推測していた。そしてその指示を出す方法が遠吠えだとも睨んでいた。
「絶対許さない! バカって言った方がバカって皆言ってた!」
「うっせえバカ、さっさとかかってこい!」
怒りに任せて怒鳴りちらすイアルの言葉と精神年齢を合わせて言葉を返す。
けれど腹の内ではこれからあと百回は死ぬんだろうなと嘆息しながら、俺は猪たちの行動を観察していた。
ただ暴れるだけの獣とは違い、明確な意図と目的をもって連携する獣では対処の難易度は格段に上がる。
互いを化かし合う駆け引きや型にはめる戦術の比重が増える。
四体の猪は俺から等距離を取って左回りに走りつつ、牽制程度の炎や水、石礫や
その全てをフライパンで捌きながら、大技を仕掛けるタイミングを窺っているんだなと俺は悟った。移動の自由を奪うように攻撃を仕掛ける猪たちの姿に強い警戒感を抱いたからだ。
俺は決して魔法の才能に恵まれているわけではなく、魔力の流れやら質やら気配やらを明確に察知することができない。
いわゆる魔力に鈍感な人間はそれらの情報を漠然とした不安や警戒心、あるいは勘という形で認識するのだとラスボスは言っていた。
四体は俺を確実に仕留められる大技を放つタイミングを探っている、ならばそれをこちらが有利を確保できる形で用意してやろうと考えた俺はその後、こちらへ飛んできた適当な石礫をあえてフライパンの芯を外して捌き、殺しきれない衝撃を利用して上体を泳がせた。
俺の思惑は叶った。イアルが短く
「これで終わり!」
これで狙い通りに猪たちが攻撃を仕掛けるタイミングを固定できた。
この瞬間を起点にして、続く攻撃を捌ききれれば俺の勝ち。けがを負い魔力を使い切った猪を確実に料理していくだけ。
逆に捌き切れなければ俺の負け。なす術もなく俺は殺される。
俺の能力には時間制限がある。現実の時間と体感時間の差がおおよそ30時間を超えると、それ以上意識を過去に戻すことができなくなる。
残り20時間分の死を対価として生き残る手段を見つけ出し、この攻勢を切り抜けられなければ、死ぬ。
その事実を
「まだだっての……こっからが我慢比べだコラァ!」
◆
結果だけを言うのなら、勝負はそれからほどなくして、互いに予想外の形で決着した。
四体の猪がほぼ同時に大技を放った。
それを回避する方法とタイミングを探るために十数回死にかけた後、俺は真上に飛び上がることで回避することができるのではないかと仮説を立てた。
水属性と火属性の猪は決まった地点に水なり炎なりを出現させる。土属性の猪は同様に決まった地点に周囲数メートルの土を利用して俺の姿を押し固めるように凝集させる。風属性の猪は俺を中心とした竜巻を発生させ徐々にその径を狭めていく。
下手によけても蠢く地面に足を取られてそのまま圧殺される。水や炎は俺の立っている場所に発生するから、高く飛び上がれば直撃を避けられる。火や水の余波はフライパンで凌げるだろうし、上手くいけばその衝撃を利用して竜巻に身を預け、そのままどこかへと吹き飛ばされることでこの場所からも離脱出来る。
着地のことはまた後で考えることにして、俺は一足飛びに上空へ跳び上がる。
そこからの出来事はまるで時の流れが遅くなったかのようにはっきりと目でとらえることができた。
最初に俺を溺死させるような大量の水が俺の立っていた場所に現れる。それを土くれが包み込みながら引き締まるように小さくなっていき、瞬く間に巨大な岩へとその姿を変えた。俺の立っていた空間から炎が吹き上がるのと竜巻が周囲を覆うのはその直後のはずだった。
けれど俺を襲ったのは身を焼き尽くす炎熱と言うよりは、全身を上空へ打ち上げるかのような熱を帯びた衝撃だった。
瞬く間に俺の身体はきりもみ状に回転しつつ高度を上げ、森の木々を見下ろす位置に達してもなお上昇を続けていく。
意識が飛びそうになるので、俺は緊急避難をすることにした。
自分が飛ばされていく方向に手を伸ばして
……ん? あれちょっと待って、これまさか……?
大事な事なので俺はもう一度確認した。大切に扱ってきたお気に入りの上着が破れていた。一大事である。
俺は大きくため息をついた。
……もうここで直すか、ちょっと休憩……
10時間死に続けていい加減休息を挟みたかった俺は破れた上着を脱いで、おもむろにちくちくと縫い合わせ始める。
楽しかった。心が躍っている。夢中になれるのがいい。痛いのとか血なまぐさいのとかマジ勘弁してほしい。
俺は誰の侵入も許さない亜空間にしばしの間引きこもり、心行くまで細かく針を動かし続けた。
そうして十分ほどの時が流れた。
上着の応急処置は済んだけれど、裏からあて布をしないとすぐにまた破れそうだった。亜空間に布切れを収納していなかったことが悔やまれた。
……帰ってから直すか、と考えなおして上着を羽織った俺は、ゆっくりと空間収納の入口へと近づいき外の様子を覗き込んで、息を呑んだ。
眼下に広がっていたのは周囲の木々を根こそぎ薙ぎ倒され、巨大なくぼみを象って地肌を露出させる森の姿だった。あの爆心地にいた自分が今も生きていることが信じられないほどの破壊の爪痕。
不意に俺の目の前を鳥が横切っていく。決まった季節になると現れる渡り鳥で、見上げる分には小さいのだけれど、目の前で見てみると羽を広げた長さは一メートルを軽く超えていた。想像以上にでかい。
背筋が凍り付くほどの高さにどうやら俺はいるらしい。どうやって降りようかと途方に暮れながらしばらく頭を捻った俺は、自分の思い付きを試してみることにした。
空間収納の入口から手を外に伸ばし、二メートルほど下に別の空間の入口を作った後、そこに飛び込んで異空間内部に着地する。そしてまた手を外に出して入り口を作り……という作業を繰り返して、少しずつ降下していけるかどうか。
何事もやってみるものだった。数分後に俺は無事に地上へと戻ることに成功した。
様子を探るために暫く周囲を探索していると、くぼみのすぐ外側の森の中に半死半生の猪たちが転がっていた。
イアルの姿は見えなかった。
無事でいるかどうか気になったけれど、俺よりも体の小さいイアルがどこまで飛ばされたのか見当もつかない俺に探す当てはなかった。
とりあえず俺はいつものように猪たちにとどめを刺した後、その死体を空間収納に放り込んで村に持って帰ることにした。
今晩のおかずにするために。そして無駄に仲間を死なせるこの争いは無駄なことなんだと、いつかイアルに気づいてもらうために。
姫様が村にやって来たのは、その次の日のことだった。
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