第33話 ~雷音~


 快晴は自分がひどく場違いな場所にいる気がした。

 「まずはお茶でも一杯」と言われて通された食堂は、家族用ということでこぢんまりとはしているものの、天井にはシャンデリア、床には巨大な絨毯じゅうたんという典雅ぶりである。

 テーブルクロスも驚くほど滑らかな手触りだが、これは天鵞絨ビロードか否か……


(間違えてお茶こぼしたらやべぇな……)


 噂の執事が運んできた、凄く高級そうなティーカップを持つ手が震える。

 と、そのとき────


「あーッと」


 美麻が盛大にカップを取り落としてテーブルの上に池をつくった。


(ええー! 主任ー!)


 まさか、さっそく家主がやらかすとは思わず、快晴は唖然とした。自分のカップを落とさなかったのは奇跡に近い。


「やー、いつもマグだもんで。お客様が来たからって、馴れないことするもんじゃないですね」


「大丈夫なんです? このクロス、高そうですけど……」


「はい、大丈夫ですよ。カラットファイバー製ですから」


「カラットファイバー?」


「カラッと乾くからカラットファイバー。水分を含むと発熱する新開発の繊維なので、吸水性抜群かつ速乾。おまけに色素も分解しちゃうのでシミもつかず。来月から一般販売が開始される予定なんですよ。まぁ、ちょっとお高いのは事実なんですけどね」


 美麻が説明している間にも、クロスがぐんぐん茶を吸い取っていた。

 名前はともかく、快晴は素直に感動した。


「すごっ。え、ひょっとして、これも仁博士の発明品ですか?」


 アーバロンに触れすぎたせいか、新発明と聞けば仁博士を連想してしまう体質になっていた。


「ハズレ。これは私の発明です」


「え、森さんの?」


「このクロスも、製造工場から開発者への試供品ってやつですね」


 ふふん、と鼻息荒くドヤ顔になる美麻。

 いまだに見た目に騙されそうになるが、仁博士の跡を継いでアーバロンの整備を一人で担っていた一番弟子というだけのことはある。


 と、ツカツカと執事が部屋に入ってきて、その美麻の目の前に、替えの茶が入ったマグカップをドンッと置いていった。

 鬼道戦鬼曼荼羅ガンダラのプリントマグだ。これはしっかり職場から持ち帰ったらしい。


「これこれ。子どもの頃から貴族みたいな優雅な生活って苦手でしてねー」


 香り高い茶をズリズリ音を立ててすすりながら、美麻は身の上話を始めた。

 両親は貿易商で資産家。仁博士の多岐にわたる研究や発明に早くから出資していたことと、博士の一人娘が美麻と同い年だったことが縁になって、家族ぐるみの付き合いとなったらしい。

 森氏と仁博士の間には未来に対する共通のビジョンがあったらしく、それがのちに、対怪機構日本支部への参画へと繋がったようだ。

 美麻自身は家業よりも仁博士の先進的な研究に心惹かれ、博士が教鞭を執っていた世界最難関の西城さいじょう工科大学へ入学。名実ともに仁博士の弟子となった。

 やがて対怪機構が秘密裏に発足。両親が出資者という立場と、なによりその才覚から技術助手として師に抜擢され、ともに表舞台から身を隠してG10Qを開発したのだった。


「ふぅ」


 茶を飲み干して、美麻はひと息ついた。


「じゃぁ、対怪機構への出資者のなかに、主任のご両親もいるんですね」


「はい。ここだけの話、私が支部を抜け出したのは、両親を説得して快晴さんを復帰させてもらう意図もあったんです。その甲斐あって、いまは二人ともパリ本部に行って、ほかのスポンサーを説得してくれてます」


「そうだったんですか……」


 こんな自分のために動いてくれている人達がいる。そう思うと、快晴は目頭が熱くなった。

 しかし自分が戻ったところでアーバロンがあれでは、はたして意味があるのだろうか。


「さて、前置きが少し長かったですが、本題に入りましょうか」


 そう言うと、美麻が立ち上がった。


「本題?」


「忘れたんです? 快晴さんに逢って欲しい人がいるって言ったじゃないですか」


 そういえばそうだった。

 この家に圧倒されて、すっかり頭から飛んでいた。


「で、その人はどなた? ご両親ですか?」


 快晴も美麻に続いて立ち上がろうとする。


「あ、座ったままでいいですよ。ちょっと揺れますから」


「……揺れる?」


「ちなみに、その人というのはうちの親じゃありません」


 ふかふかした絨毯の上を音もなく歩きながら、美麻は部屋の隅にあるガラスケースの扉を開けた。

 なかには中世騎士を模したフィギュアがざっと十数体は並んでいる。白い騎士団と黒い騎士団が闘っているようだ。

 美麻はそこから何人かを抜き出して、取り除いたフィギュアを別の木製キャビネットにしまい込んだ。

 ケース内で拮抗していた戦況は、白騎士ひとり対、黒騎士七人という圧倒的黒優勢へと変わった。


 ──かこん。


 その瞬間、快晴は部屋のどこかで大きな何かが動いたような音を聞いた。

 途端、部屋全体が小さく震え出した。


「え、なに? なんです?」


「この部屋は家族用で、普段はお客さんは通さないんです。この仕掛けを見せるのも、快晴さんが初めてです」


 仕掛け部屋──アニメや映画の屋敷でよく見るやつだ。さっきのケース内の騎士が、そのスイッチだったのだろう。と快晴は合点した。

 なら、どこかで隠し扉が開いているのだろうか。

 と思いきや、天井や壁の装飾が上へ昇り始めた。

 逆だ。この部屋の床が下がっているのだ。

 座っていろと言われたが、結局、快晴は驚きと興奮のあまり立ち上がっていた。


 やがて壁全体が銀灰色に変わり、食卓の上座側の一面には、巨大なモニターが現れた。

 頭上ではシャッターが閉じられるように新たな天井が形成され、そこに照明が灯ると同時に、壁のそこかしこから小さなモニターの群れとコンソール達がいっせいに飛び出した。

 これでは日本支部に劣らぬ秘密基地だ。さすが金持ち、技術持ち。やることがデカい。


「核シェルターですかここは?」


「違いますけど、一応、耐えられるようにはなっています」


「何も違わない気がしますがッ!?」


 なんとか冗談は言えたものの、正直なところ、いち個人の家にこんな仕掛けがあるとは思わず、圧倒されていた。

 ──ここは何のための部屋なのか。

 ──ここに、誰がいるというのか。


 その謎の答えは、直後、大きな驚きとともに解明された。


「貴志快晴さんをお連れしました。仁博士」


 快晴は全身が耳になったかのように感じた。

 仁博士──その名が毛穴という毛穴から体内に入り込んできた気がした。

 消息を訊ねてもはぐらかされ続けた天才科学者、美麻の師、そしてアーバロンの生みの親。

 その仁博士が、ここにいるというのか。


「はじめまして、貴志快晴くん」


 抑揚よくように乏しい声が室内に響いた。スピーカーだというのが反射的にわかる。

 通信? この部屋にいるわけではないのか。

 思わず部屋のなかを見渡す快晴。


「メインモニターを見てくれ。私はここにいる」


 言われたとおり、壁一面を埋め尽くす大画面を見る。

 すると、そこに男の上半身が映し出された。壮年で、白衣を着た、いかにも科学者然とした佇まい。

 今度こそ快晴は「あっ」と声を上げた。

 写真で見たことのある、仁博士その人だったのだ。


「きみのことは、いつも美麻から聞いていた。G10Q……いや、アーバロンのパートナーとして、彼女をよく支えてくれていることを、心から感謝するよ。ありがとう」


「いえ、こちらこそ本物の仁博士に逢えて……光栄です」


 緊張のあまり、声が上擦ってしまう。


「本物か。果たして、私が本物と言えるかどうか」


「どういうことです?」


「モニターに近づいて、私の姿をよく見てくれ」


 言われるがままに快晴は歩み寄った。


「──え?」


 そして息を呑んだ。

 映像のなかの仁博士は、生身ではなかった。

 遠くからは判りにくいが、それは精巧に作られたコンピューターグラフィックスだった。


「このような姿でまみえる無礼を許して欲しい」


「え、まさか……3Dアバター?」


「……まぁ、それに近いと言える。だが私の場合、これは分身アバターではなく、実体ボディだと言わざるを得ない」


 ゾッ、と快晴は体じゅうの毛が逆立つのを感じた。


「じゃぁ、これは通信じゃなくて……」


「正真正銘、私はここにいる。この部屋に埋め込まれた──いや、この部屋が埋まっている巨大な機械とコンピューター。それが私なのだ」

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