第31話 ~蒼天の霹靂~



 その日の朝も、快晴はいつものように居室のベッドで起き、顔を洗い、制服を着て、髪を整え、鼻毛が出ていないかしっかり確認し──


(今日もあのに逢うぞ!)


 と覚悟を決めて部屋を出た。

 朝食は弁当という形で技術主任室に届けられるようになっているので、食堂をスルーし、格納庫行きのエレベーターに乗る。

 この瞬間がいつも、いちばんドキドキする。

 いざアーバロンと顔を合わせればなんということもなくなるのだが、そこに至るまでは毎朝、緊張しっぱなしである。

 毎日が、初デートを迎える少年の気分だ。


 だがこの日、格納庫への扉が開いた途端、快晴の心地よい緊張感は、ざわつくような緊迫感へと変わった。


「京香さん! 本当にこれでいいと思ってるんですか!?」


 いままで聞いたことのない、森主任の叫び声が響いた。

 アーバロンの足下で、美麻が京香に食ってかかっていた。

 その周囲には、快晴の知らない技術者風の男達が四人ほどいて、ハンガーに備わったアーバロンのチェックモニターをいじっていた。


「それは、私には決められん。本部の決定なのだ」


「だからって、こんなの酷すぎます! 快晴さんにも、何て言ったらいいんですか!?」


 なにかがあった──自分の知らない間に──

 なにか……とてもよくないことが……


 快晴は走った。アーバロンまでが、あまりにも遠い。この格納庫をこんなに広く感じたのは初めてかもしれない。


「快晴さん……!」


「待て、お前──」


 快晴に気付いた二人を無視して、走り抜け、ようやくモニターに辿り着いた。


「ソラ! ソラ、大丈夫?」


 肩で息をしながら、問いかける。

 近くにいた技術者達が怪訝な顔をし、ある者は鼻で笑った。


『おはようございます。貴志快晴技術補佐』


 よかった、無事だった。

 だが、なにがかおかしい。


「ソラ、どうしたんだ? 気分悪いの?」


 技術者達からあからさまな失笑が聞こえた。


『私に気分というものはありません。また、ソラという非公式の呼称は作戦に支障をきたします。情報の正確な伝達のためにも、G10Qとお呼びください』


 重力がなくなったかのような浮遊感が快晴を襲った。

 一体、なにが────


「なにがあったんだ!」


『解答。メンテナンス記録。本日5:00。当機G10QのAIにおける誤作動【人間の感情に似た不安定な論理シークエンス】の消去を開始。

 同日6:30。作業終了。現在は戦闘プログラムとの同機チェック中』


 どっ──心臓に杭を打ち込まれるような、感じたことのない衝撃が快晴を貫いた。


「そんな……どうして、こんなこと……」


『解答。パリ本部による決定』


 嘘だ……快晴は目を疑う。

 アーバロンのAIから感情を消去することは出来ない。ここへ来た最初の日に、美麻がそう言っていた。


「嘘だ……嘘だろ? だって、きみのAIから感情を消すことは出来ないって、森主任も言ってたじゃないか」


『解答。本部より派遣されたプログラミングチームにより成功』


 天才といえど、仁博士の技術も盤石ではなかった。そういうことか。


「ソラ、思い出してよ……! 今までずっと一緒だったろ。ピアノだって弾けるようになった。ジャズも教えてくれるって……」


 震える声で快晴は訴えた。

 あくまでソラと呼び続ける。

 自分がそう呼ぶ限り、目の前にいるのは戦闘ロボットではなく、ピアノが好きで、気遣い上手で、照れ屋な女の子だと、そう信じたかった。


『あなたとの接触記録はデータに残っています。しかし重要度は極めて低。ピアノをはじめ、怪獣に対する戦術以外は私にとって不要なファクターの累積に過ぎません』


 不要──快晴は膝から崩れ落ちた。

 今までアーバロンとともにいた時間が、交わした言葉が、通わせた心が、すべて否定されたのだ。

 そして、アーバロンが、自分を好きになってくれたことも。


「おい坊や」


 技術者のひとりが快晴に言った。


「フラれたんだろ。とっとと帰ってくれないか。作業の邪魔なんだよ」


「だいたいロボットが恋人なんて、よっぽど女に飢えてたか、よほどのヘンタイなんだな」


「しょうがねぇなぁ、マネキン買ってやるからそいつと結婚しろよ。それともラヴ・ドールのほうがいいか?」


 口々に飛び出す嘲りが瞬く間に笑い声へと変わる。


「──ッ!」


 快晴は歯を食いしばり、拳を握り、いちばん近くにいた技術者を標的に選んだ。


「やめんか!!」


 その瞬間、司令官の怒号が嘲笑を薙ぎ払った。


「本部直属といえど、無礼な口は謹んでもらう! この日本支部の今日までの戦果に貢献してきたのだ、その男は!」


 その気勢に、技術者達は渋々ながら黙った。

 快晴も驚いて京香を見ていた。

 いままで自分のことなど「抱え込んだお荷物」とか「トラブルメーカー」くらいにしか考えていないのだと思っていた。

 それが「戦果に貢献してきた」と言ったのだ。

 司令官が自分のことを認めてくれていた。そのことが嬉しかった。

 だが、それだけで快晴の気が晴れるわけもなかった。


(それだけ認めてくれながら、なんで──!)


 なぜ、本部の命令に従うしかなかったのか。

 わかっている。対怪機構という組織である以上、本部の命令は絶対なのだ。平素は支部ごとの自由が認められている反動もあるだろう。

 納得できてしまう心と、許せない心。ふたつの気持ちのはざまで、快晴の握りこぶしは行き場を失った。

 そこに、非情な追い打ちがかけられた。


「ソラ……G10Q、教えてくれ」


 残る力を振り絞るように、モニターが見えるところまで立ち上がる。


「それじゃぁ、今のオレにできることは、なんだろう?」


『解答。ありません。パリ本部の指令により、貴志快晴技術補佐は本日をもって対怪機構日本支部隊員の資格を剥奪されます』

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