わたしを見ている人
妻高 あきひと
第1話 わたしを見ている人
駅のそばの桜はほとんど散って若葉になり始めている。
フワッと咲いてパッと散る桜の潔さが羨ましい。
わたしは、少し人見知りする性格を気にしている高校女子一年生。
中学校は自転車通学だったけど、高校は電車での通学になった。
この駅から乗る人はそれほど多くはなく、いつも適当に空いていて、ラッシュのようなことはない。
最初は電車が少し怖かったけど、やっと最近慣れてきた。
それに電車には色々な人が乗ってくる。
それを観察していると電車も意外と楽しいことに気がついた。
本を読んだり人を見たり町の景色を見たり、自転車通学のときに比べるとなんだか世界が広がったような気がする。
今朝も電車に乗って学校へ。
三つ目の駅で降りれば学校はすぐ目の前だ。
わたしの学校に同じ電車に乗る生徒はおらず、他の高校の女子が一人乗ってくる。
それに気づいたのは最近だけど、あの子はどうやら同学年らしくて顔ももうお互い知っている。
友達になれそうだけど、きっかけさえあればという雰囲気。
今朝もあの子は先に来てホームに立っている。
わたしに気がついた。
少し頭を下げるようにして挨拶すると、あの子も挨拶を返してくれた。
わたしの挨拶はぎこちなかったに違いない、と今朝もまた思った。
どうもこのあたりの性格がわたし自身にも気に入らない。
あの子とは、お互い離れるような近づくような感じで電車のこちら側の両はしっこに座った。
女同士だけど、何だか初恋のような気分がするな、自転車じゃきっとこうはいかない。
発車のアナウンスがあって電車が動き出した。
乗客はわたしとあの子の他はサラリーマンらしき人が数人と小学生が二人、それにオバサンの二人連れだ。
この人たちの何人かは見覚えがある。
いつもの顔ぶれ、のはずだったが、今朝は少し違っていた。
わたしとあの子の真ん中あたりの向かい側にお年寄りが座っている。
初めて見る人だ。
小柄な人で背丈はわたしより少し高いくらいかな。
黒いステッキを右手で持って床につき、寒いのか黒いコートを着て左手をそのポッケトに入れている。
ズボンは濃いグレーで足には黒い革靴を履いている。
手も顔も白っぽいピンクのように見える。
真っ赤なマフラーを首に巻き、目深にかぶった黒い帽子からは肩まである長い白髪が伸び、額のあたりからも白髪がいく筋も垂れている。
目は帽子のつばに隠れて見えないが、鼻が外人のように高く、少し頬のこけた顔はドラマの俳優のように見える。
顔をうつむき加減にしてじっと斜め前の床を見ている。
お爺ちゃん何か考えてんのかな、と勝手に思った。
町にも最近は高齢者向けの建物が増え、そこへ最近引っ越してきた人かなとちらっと思った。
お爺ちゃんはいくつぐらいなんかな、と思いながらカバンから文庫本を取り出して読みかけの小説を開いた。
見るとあの子も本を読んでいる。
わたしを見て目が合った。
互いに笑うような笑わないような。
ぎこちないな、わたし。
でも一歩一歩友だちに近づいているような気がする。
あの子はどんなものを読んでるんだろ、と思いながら本を開いたまま窓の向こうの景色を見た。
家や工場の屋根が流れていく。
町の木々はみな新緑で空は真っ青だ。
空気も澄んでて遠くのビル群までよく見える。
本に目を落としてまた読み進む。
コトンコトン、コトンコトン、電車は快調に走っている。
と何か視線のようなものを感じた。
何だろと思ったが、すぐに気づいた。
あの赤いマフラーのお年寄りがこっちを見ている。
いやわたしの勘違いだ。
お年寄りは床に目を落としたままで、目をそらした気配もない。
なんでそんなこと感じたのだろう、文庫本の推理小説のせいか。
また本に目を落として読み進もうとすると、また同じ視線を感じた。
本を見ながらパッとお年寄りを見た。
でも同じだ、お年寄りはそのまま床を見ている。
なんでこんなこと、推理小説を読んでいるからではないことは分かった。
なんであのお年寄りの視線を感じるんだろう。
知り合いでもないし、初めて見る人だし、何よりも床を見続けているのに。
わたしはまた本に目を落としたが、気になりだすとキリがない。
本をどこまで読んだのか気が散って読めない。
本を閉じて少し落ち着くことにした。
今朝は調子がおかしいわ、じっと前を見ると町も雲も変わらず流れている。
コトンコトン、コトンコトン、電車も変わらず快調だ。
お年寄りはとチラッと見ると姿勢は変わらない。
今度はその変わらない姿勢が気になり始めた。
「あのお年寄り、どうして同じ姿勢でいられるの、年取るとああなるの」
つい小さな声でひとり言が出た。
やがて最初の駅についた。
ドアーが開くと七八人の人が乗ってきた。
しゃべりながら乗ってきたのはお婆さん三人組だ。
それを見ながらチラッとお年寄りを見るとやはり同じ姿勢だ。
「死んでるのォ」
まさかね。
変わらぬ姿勢、変わらぬ顔の向き、人は年をとるとあんなになるんかな。
わたしの両親の祖父と祖母はみな元気だけど田舎に住んでいるので、お年寄りのことはよく分からない。
でもあんなに同じ姿勢でよく座っていられるものよね。
さっきからお年寄りを見ているけど、乗客には何の関心も見せずにピクリとも動かず、まるで彫刻のよう。
わたしを見ているように感じたのは、やっぱり気のせいだな。
また本を開いて、少し戻って読み始めた。
ピーという笛の合図とともに電車が駅を出た。
コトンコトン、コトンコトン、・・・・
イヤだ、あのお年寄り、またわたしを見ている。
本を読むふりして、パッとお年寄りを見た。
でもお年寄りは床を見ている。
「おかしいわよ、絶対におかしい。
あの人わたしを見てないのに、なぜ視線を感じるのよ、これ、なんなのよ」
もう気になってしようがないので本はカバンにしまった。
この不愉快さを解決しなきゃ。
勝手に一人でムキになるのも変だけど、そう感じてしまうのだから仕方がない。
お年寄りを気にしながらじっと前を見る。
前にはお婆さんの三人組が座ってしゃべり続けている。
お婆さんたちのおかげで町も空も半分以上見えなくなった。
今度はわたしも前の床を見るようになった。
「いゃねぇ、あのお年寄りも前のお婆さんたちも」
とまた視線を感じた。
チラッと見るとやはりお年寄りの姿勢は変わらない。
乗っている車両を変えようかなと思ったとき、あの子が席を立ち、お年寄りと同じ向かい側に座り直した。
そしてあの子はしきりに横を見始めた。
チラチラと見ている、あのお年寄りを。
まさかと思った。
あの子もお年寄りの視線を感じているのだろうか、まさかそんなこと・・・
あの子は身体を前に倒し、あまりのぞき込んでもなので遠慮がちにお年寄りの顔を見ようとしている。
まさかまさか、あの子も。
違うよねと自分に言い聞かせながらあの子を見てると、あの子はわたしを見た。
なぜなのか分からないけど、わたしには分かった。
やっぱりそうだ、あの子もお年寄りの視線を感じてんだ。
そしてわたしと同じように、あの子にもわたしの心の中が見えている。
あの子の目がわたしに言っている。
「あなたもお年寄りの視線を感じているよね」
わたしは、
「うん」
とうなづいた。
あの子は嬉しそうにわたしに微笑んだ。
わたしたちは同じものを感じて同じ人を見ている。
もう友だちになっちゃった気分だ。
でもあのお年寄りは何なの、お爺さんアナタは誰なの、顔を上げなさいよ、と思った。
車内にアナウンスが流れた。
二つ目の駅がすぐだ。
そうだった、あの子はいつもここで降りるんだ。
あの子はカバンを持ち、小さな袋を持って立ち上がった。
やはり降りるんだ。
仕方ないよね、と思ったらこっちへ歩いてくる。
あのお年寄りの前で少しゆっくり歩きながらお年寄りをそれとなく見ている。
あの子はわたしに向かって少し笑いながら会釈してくれた。
わたしも笑って会釈を返した。
そしてわたしに小さな声で言った。
「明日も会おうね」
わたしは嬉しくてすぐに
「うん」
と言った。
駅の停車時間は短い。
あの子が降りると同時にドアーが閉まって電車は動き出した。
ホームであの子が手を振っている。
わたしも手を振り返した。
手を振りながら、あのお年寄りの視線も感じている。
でもお年寄りの姿勢は変わらない。
顔は床を見たまんまだ。
コトンコトン、コトンコトン、、電車は何事も無く平和そのもので快走している。
(運転手さん、わたしの気持ちも分かってよ)
早く駅について早く駅についてと心が訴えているようだ。
お年寄りの視線はずっと続いている。
「駅に着いたらさっさと降りなきゃ、なんだか恐ろしくなってきた」
電車の乗客も増え、お婆さんたちの話しも続いているが、わたしにはあのお年寄りと二人しか乗っていないような異世界に思えてきた。
すぐに降りられるようにとカバンを引き寄せ、身体に密着させながらひたすら駅が見えるのを待つ。
アナウンスが聞こえた。
「やったね、駅だ、降りられる」
カタンと少し揺れて電車がプラットホームにすべりこんだ。
シューとホームに停まっていく。
わたしは立ち上がってドアーに足早に近づき、ドアーの真ん前に立った。
横を見るとお年寄りはそのまんまの姿勢で座っている。
すると視線が明らかに強くなってきた。
「なんでなの、なんでこうなるの」
ドアーが開いた。
電車を降りると、視線が槍のように突き刺さってくる。
振り返ると電車の窓越しにお年寄りの背中が見えた。
わたしはその瞬間恐ろしくなった。
お年寄りは背中でわたしを見ている。
背中で、あり得ないけど、はっきりとそう見えたし思えた。
わたしを見ている、怖い。
でもどのような顔で見ているのか、は分からない。
分からないから、なおさら怖い。
発車のベルが鳴って電車が出て行く、お年寄りの背中がどんどん小さくなっていく。
一気に視線を感じなくなった。
「あ~怖かった、あれは一体なんだったの、あのお年寄りは」
明日もお年寄りがいても、あの子もいるし、怖いものか。
わたしは明日も絶対に同じ電車に乗ってやる、と自分の心に誓いながら街並みに消えた電車に敬礼した。
「明日も会おうぜ、爺ちゃん」
駅は人で込み始めている。
改札を抜け、待合室を抜けようとしたとき勝手にわたしの足が止まった。
顔が無意識のうちに待合室の片隅に向いた。
わたしは悲鳴を上げた。
あの赤いマフラーが見えた。
お年寄りがいる。
あのお年寄りが待合室のベンチに座って床を見ている。
電車と同じ姿勢だ。
(アンタいつ電車を降りたのよ)
背筋に冷たいものが走り、足が震えているのが分かる。
周囲の人が悲鳴におどろいてわたしを見ている。
わたしは必死で駅を出て無我夢中で学校へ走った。
校門には先生たちが立っている。
安心し、そして振り向いた・・・
わたしを見ている人 妻高 あきひと @kuromame2010
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