031_石化の呪い(四)

 


 祭壇の前に設置してある椅子に座った。

 これから行う解呪には、別に祭壇が必要というわけではない。

 しかし、精神を集中させるのに厳かな感じが丁度いいので、そういうシチュエーションにしてみた。


「そこの侍女、アイリスといったか?」

「はい、アイリスでございます、殿下」

「そこのハサミでエリーナの髪を三本切ってその祭壇の上に置け」

「は、はい!」


 アイリスはエリーナの髪の毛を切ってきて、祭壇の上に置いた。


「始めるぞ」


 皆の顔を見てから、俺はエリーナを見つめた。

 ベッドの上に力なく横たわっている少女の姿は、痛々しいを通り越して今にも息が止まりそうだ。


 俺は意識を集中して詠唱を始めた。

 呪いは魔法士が魔法を行使するだけでは成立しない。エリーナを呪いたいと思っている人物の恨みや妬みの力も必要になる。

 逆に解呪する側は、解呪を行う俺の魔法だけでそれらに対抗しなければならない。

 呪いが早期に分かっていたのであれば、エリーナの意識もまだあってエリーナが治りたいと思う力をプラスできたが、今のエリーナではそうもいかないのだ。


 俺の詠唱が進むと、カースモンキーの頭蓋骨が発光し出す。

 それとほぼ同時に銀の延べ棒も発光を始める。これで呪いへの対抗と魔力のブーストが始まったことになる。


 さらに詠唱を繰り返して呪いの術者と依頼者の負の感情を侵食するように魔力を注ぎ込んでいく。

 暴れる呪いを時には宥めすかし、時には恫喝するように魔力を注ぐ。

 すると、術者の魔力の底に何かある気がした。それが何なのか、探るように魔力を伸ばした。


 術者の魔力が抵抗してくるのをかき分けて魔力を伸ばすと、そこには禍々しい負の感情の渦があった。

 これが依頼者の負の感情だとすぐに分かった。

 この呪いの依頼者はそこまでエリーナが憎いのだろうか?

 なぜここまで禍々しい憎悪を募らせたのか?

 エリーナが何をしたのか少しだけ気になるが、そういったことに首を突っ込むのは避けたいとも思う。女の争いには関わらないのが一番だ。それは、今も昔も変わらないはずだ。


 呪いの依頼者の負の感情を、少しずつほぐしていく。

 この感情をそのままにしては解呪は成功しない。

 だから、花の蕾のようにいく層にも重なり合った負の感情を、ゆっくりと一枚一枚破れないように開けていくような感じで解呪を進めた。

 魔力の制御もしながら丁寧な解呪を心がけているので、まったく気が抜けない。


 俺の額に大粒の汗が浮かぶ。それをエッダがそっと拭いてくれた。

 解呪も大詰めなので、ここで一気に俺の魔力で呪いを侵食する。

 よし、術者の魔力を支配した。残りは依頼者の負の感情だけだ。


『なによ、あの女は!? 私のほうが美しいのに、なんであんな平凡な女が妃になるのよ!』


 呪いの依頼者の負の感情をほぐしていくと、依頼者のものと思える声が聞こえてきた。


『あんな女、死んでしまえばいいのよ!』


 醜い感情なだけあって、その声もとても女性のものとは思えないほど耳触りの悪いもだ。

 この声に耳を傾けてはいけないと直感した。


『私のほうが妃に相応しいのよ。そうよ、あんな女は殺してしまえばいいのよ!』


 なかなか強力な憎悪の感情だ。俺の精神を浸食しようと憎悪が襲いかかってくるのを耐え、平静を保ちつつ少しずつ呪いを解していく。


『死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ! 死んじゃえ! あぁぁぁっははは!』


 くっ、強力な憎悪の感情に俺の精神が汚染されそうになる。

 だが、ここで負けるわけにはいかないのだ! 俺は魔力を制御しながら精神を集中させて負の感情の汚染を防ぎ、さらに魔力を注ぎ込んだ。


 憎悪の感情を侵食して中和し、感情の起伏を平坦に、そして憎悪ではなく無の感情に上書きしていく。

 かなりきついが、ここで魔力と気を緩めたら一気に押し返されてしまいそうだ。

 もう少し! もっと魔力を、もっと強力な魔力を、俺の奥底にある魔力を注ぎ込め!


「………」


 やっと憎悪の感情が支配できた。とても辛く苦しい戦いだった。休憩したいところだが、ここで休憩するわけにはいかない。

 次はエリーナの魂を修復する作業に移る。


 エリーナの魂は、ずいぶんと酷くやられてしまっている。

 大回顧鳥の心臓が発光し始める。

 力なく浮かぶエリーナの魂の光は、今にも消えそうだ。俺の魔力をその魂に纏わせ、欠損した部分、破損した部分を徐々に修復していく。


「うっ!?」


 エリーナが声をあげがが、今までなんの反応も見せなかったのだからよい傾向だ。


「エリーナ!」

「お嬢様!」


 エッガーシェルト官房長と侍女のアイリスがエリーナを心配して思わず声をあげる。

 サキノがそれを制止して静かにさせた。


 さぁ、俺の魔力を受け入れろ!

 エリーナの体を淡い光が包む。あれは俺の魔力とエリーナの魂の光だ。

 くーっ、魔力が枯渇しそうだ。一回の魔法で俺の魔力が枯渇するってことは、かなり強力な呪いなんだと思う。これはきつい。


 エリーナを包んでいた光が徐々に薄くなっていき……消えた。

 成功だ。これでエリーナは助かったはずだ。


「……終わった」


 俺は椅子に座っていたが、体に力が入らないのでふらついてその椅子から落ちそうになった。


「殿下!?」


 サキノが受け止めてくれた。頼りになる家臣だ。


「エッガーシェルト卿」


 俺は力なくエッガーシェルト官房長を呼んだ。


「は、はい!」

「解呪は成功した」

「そ、それでは!?」

「こののちは体力を回復させる薬を飲めば、回復していくだろう」

「あ、ありがとうございます!」


 エッガーシェルト官房長が俺の横で平伏して感謝の意を伝えてきた。


「……お、お父様……」

「っ!? エリーナ!」


 平伏していたエッガーシェルト官房長が跳ね起き、エリーナのベッドの横に飛んでいった。


「なんだか……悪い夢を……見ていた……ようです……」

「うんうん。よかった、よかった……」


 エッガーシェルト官房長の目から、大粒の涙が溢れ出して止まらない。


「エッダ、薬を」

「はい」


 エッダはカバンの中から薬を取り出すと、アイリスに渡して用法をレクチャーした。

 あの薬は俺が調合したもので、滋養強壮効果のあるもだ。

 エリーナは病気ではなかったので、今後は体力の回復に注力すれば問題ないはずだ。


「エッガーシェルト卿、余は疲れた。今日はこれで失礼させてもらう」

「殿下、このご恩は一生忘れません!」


 俺は少しだけ口角を上げてエッガーシェルト官房長に笑いかけた。

 その言葉、忘れないからな。


「サキノ、魔力を使いすぎた。屋敷へ連れ帰ってくれ」


 八歳の俺をサキノが軽々と抱きかかえてくれた。


「ご無理をなさる。しばらくは大人しくしてください」

「………」


 俺ってそんなに大人しくなかったか? おかしいな、俺は自重できる八歳の子供のつもりなんだが……。


 

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