003_アップルパイ事件

 


 日々、心臓付近に意識を集中して過ごそうと思っていたら、一カ月ほどで魔力を感じることができてしまった。


 次はこの魔力を動かす練習だ。

 魔力を体中に巡らせば、それだけ魔法をスムーズに発動させることができる。

 この魔力を動かすのもかなり時間がかかるはずだったが、十日でできてしまった。


 この体はなかなか魔力との相性がいい。もしかしたら前世で魔法を使っていたからなのか?

 こうなると、早く魔法を使ってみたいと思うのが人情ってものだが、しっかりと発音できるようになるまでは我慢するしかない。

 それまでは体中に魔力を巡らせよう。


 そうだ、前世では考えたこともなかったが、純粋な魔力を体に巡らせるのではなく纏わせたらどうなるのだろうか?

 詠唱ができるようになったら、部分的に魔法を纏うことができるようになるのだろうか?

 分からない。だが、時間だけはあるのだから、色々と試してみよう。


 目に魔力を集めて纏わせるとどうなるか?

 結論としては視力がよくなった。これは面白い。

 さらに試行錯誤していると、よるでも目が見えるようになった。


 右腕に魔力を纏わせると、部屋の中にある椅子を右腕だけで持ち上げることができた。

 左腕に魔力を纏わせても椅子を持ち上げることができた。

 ならばと両腕に魔力を纏わせると、たどたどしかった歩行がしゃきっとした。

 もっと試すと走れるようになった。


 全身に魔力を纏わせると、重そうなテーブルを持ち上げた。ただし、テーブルのほうが重たいため、バランスを崩して倒れた。

 テーブルの上にあった花瓶などが盛大に床に落ちてしまって、また刺客か!? と騒動になったのは愛嬌でごまかした。


 しかし、楽しい。

 俺は体に魔力を纏わせて身体能力を上げることを、『身体強化』と名づけ、それからも身体強化の訓練をした。


 そんなある日、母親と会うことが許されて部屋に赴く。

 皇帝の側妃ともなると、簡単に子供に会うこともできない。歴代皇帝はバカな慣習を作ったものだ。


「ゼノキア、元気にしていましたか」

「はい。ははうえ」


 母親はにこやかに俺を迎え入れてくれる。


「ゼノキアが好きなアップルパイを焼きました。お食べなさい」

「はい、いただきます」


 一歳でこれだけ喋れれば天才的だろう。

 自惚れではない。事実だ。そんな俺を母親は、優し気な瞳で見つめてくる。


 俺の好きなアップルパイはシナモンが入っていないものだ。

 アップルは甘くて酸味があり、生地の香ばしさとバターの香りがあるのに、シナモンの強い香りがそういったアップルパイのいいところを消してしまうと思っている。

 だから母親もシナモンが入っていないアップルパイを出してくれる。


「おいしいです」

「そう、それはよかったわ」


 母親とは月に二回、多くて三回会えればいい。だから、俺の周りにいるカルミナ子爵夫人や侍女たちから俺の好みをしっかりと聞いて、俺の好きなものを用意してくれる。


 ▽▽▽


 二歳になると身体強化もかなり上達して体中に魔力を纏わすだけでなく、指先など体のほんの一部分に纏わすこともできるようになった。

 そして、身体強化しなくても、自分で歩いてどこにでもいけるようになった。

 刺客のほうはあれ以来なく、俺は安全に暮らすことができている。

 ただし、相変わらず騎士はつけられている。


 今日は、久しぶりに母親に会いにいこうと思って、部屋を出た。

 母親は同じ後宮内に住んでいるが、顔を合わすのは月に数回だけだ。その数回の一回が今日なのである。


「ゼノキア殿、ごきげんよう」

「母上、ごきげんよう」


 母親は伯爵家の出身なので、お嬢様だ。

 まあ、皇帝の妃になるのは貴族だけだから当然だが、抜け道もある。

 庶民が貴族の養女になって、貴族として後宮に入った例は過去に何度もある。


 今年で十九歳になる母親は、今は第二子を身ごもっている。

 俺はそれを知って母にお祝いを言いにきた。


「母上、ご懐妊なさったと聞きました。おめでとうございます」

「あらあら、ゼノキアは立派ですね。来年の今頃は貴方の弟か妹が生まれていますから、可愛がってあげてくださいね」

「はい」


 母親がそう言うと、お菓子とお茶が用意さた。


「これはマルム様からお祝いの品としていただいた、ソト州のアップルを使ったアップルパイです。あなたの好物だったでしょ?」


 マルム様というのは正妃の一人で、第二皇子の母親のことだ。

 皇帝には皇后、正妃、側妃、庶妃といった妃がいるが、皇后は次期皇帝である皇太子の母親がなれる最上位の妃位で、正妃は親王と言われるほんの一部の皇子、皇女の母に与えられる妃位だ。

 皇后、正妃、側妃は正式に妃と認められる地位だが、庶妃は簡単に言うと妾である。だから、庶妃は妃として対外的に認識されていない。

 そして、俺の母親は数多くいる側妃の一人だ。マルム様は妃として母親よりも上位になるが、正妃なのにとげとげしさがなく俺にも優しい人物である。


 俺がアップルパイ好きなのは、後宮に住む者なら多くが知っていることだろう。特にソト州産のアップルを使ったアップルパイが大好物なのだ。

 香ばしくていい香りが漂ってくる。同時に紅茶の清々しい香りも俺の鼻をくすぐる。


「ありがとうございます。母上」


 侍女によって切り分けられたアップルパイを、俺はフォークを使って小さく切って口に持っていく。

 ソト州産のアップルのいい香りと、パイ生地の香ばしい香りが食欲を誘う。

 口に含むとアップルの酸味と甘味がほどよくあり、パイ生地の甘味と香ばしさもあってとても美味しい。


 俺は二切れ目を口に入れようとして、違和感を感じた。

 そして、次の瞬間に胸が焼けるように熱くなり、苦しくて、痛くて形容しがたい感覚が襲ってきたのだ。

 胸から込み上げてくる何かを吐き出す。


「ぐっ! ……おえっ!?」

「ゼノキア!?」


 俺はあまりの苦しさに、ソファーから落ちて床に四つん這いになって苦しむ。

 見ると床が真っ赤に染まり、それが俺の血だと分かるのに時間はかからなかった。


「ゼノキア!? 大丈夫ですか!? ゼノキア!?」

「ゼノキア様!?」


 母親の声が聞こえるが、そんなことより苦しい。

 胸の中を虫が走り回っているような、なんとも言えない苦しさを我慢するので精いっぱいだ。

 これは毒だ。今、俺の体は毒を取り込んだことによって、ものすごい勢いで死に向かっている。このままでは間違いなく死ぬだろう。

 俺は無意識に魔力を体中に循環させ、体中の毒素を一カ所に集めた。

 咄嗟のことで意識してやったわけではないが、まさかこんなことで身体強化の訓練が役に立つと思わなかった。


「がはっ!?」


 どす黒い血を何度も吐き、俺は意識を失う寸前まで毒素を体外へ放出し続けた。


「ゼノキア!? 大丈夫ですか!? ゼノキア!? 嫌、ゼノキア死なないで!」


 母親やカルミナ子爵夫人、侍女たちの声が聞こえるが、意識が遠のく。


 

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