長谷君は親友の彼氏の友達

一帆

第1話


 チクリ……


 青色の刺繍糸をゆっくりおそるおそる引っ張る。白いタオル地につうっと青い小さな線。どうして受け取っちゃったんだろう。私は恨めしい気分で白いリストバンドを見る。半分ほど青色の刺繍糸に覆われた刺繍用下地シートが申し訳なさそうにタオル地に張り付いている。やっと縦のラインが刺し終わったところだ。針の向きを変え、下書きされた図案を睨む。


「オレのも頼むわ! 『H』の刺繍とかでいいからさ」


 長谷はせ君にぐいっと押し付けられるように渡されたリストバンド。隣でさっしぃがにこにこ笑っているから、……受け取ってしまった。


―― 刺繍でいいからって、どんだけ大変だと思ってんの! 


 勢いに任せてちくりと、白いタオル地の裏から針を押し出す。

 

―― あー! また、少しずれたじゃん!


 上手くいかない。私は、心を落ち着かせるために深呼吸をして、針を刺し直す。手探りで針を出す場所を探すのはとても難しい。厚手のタオル地とあやふやな自分の気持ちが邪魔をする。


―― さっしぃは三好君の彼女だけど、私達は付き合っているわけじゃないんだからね!


 長谷君のリストバンドにむかって届かない愚痴を言う。刺繍なんて初めてだから、リストバンドに刺繍する前に3度も他の布で練習したのに、Hのラインはいびつだ。まるで私の心のようにあっちいったりこっちいったり、バラバラな線がHのラインを覆っている。

 もやもやした気持ちと一緒に針をタイル地に押し込む。サテンステッチは面を埋めるだけのステッチだから誰でも簡単って書いてあったけど、そんなことはない。刺す場所だって、毎回毎回確認して、糸の張り具合を気にして、一針一針刺していかなきゃいけない。あーいらいらする。隣の糸との距離とかも考えなきゃいけないなんて、今の私と長谷君の関係そのものじゃない!


チクリ。


 長谷君。三好君と仲がよくて、中学からバスケ部に入ったひょろっと背が高いクラスの男子。三好君とさっしぃが付き合っているから、私の隣にいることが多い。遊園地も映画も、四人で出かける。いわば、親友の彼氏の友達って関係だ。

 上・下に針を動かしていると、まるで好き・嫌いと花びらを引きちぎる花占いをしているように見えてくるから不思議だ。好き、嫌い、好き……。長谷君は私のことをどう思っているんだろう? でも、リストバンドに刺繍を頼むなんて、私のことを意識しているのかな? どきっと心臓が跳ねる。


「痛っ……」


 チクっと針が私の指の腹を刺す。ぶうっと浮かんだ赤い血。私は慌ててティッシュで傷口を押える。余計なことを考えたから針が目標を見誤ったんだ。

 わかっている。私だけが空回りしているんだ。私だって、最初は三好君を一緒にいる男子くらいしか思っていなかったもん。長谷君のことを好きになるなんて、ありあわせのもので作るお茶漬けのようで自分のプライドが許さなかった。なのに、好きになっちゃった。私は、自分の想いを持て余しながら、刺繍を刺し続けた。


 出来上がった『H』というイニシャルは、やっぱりいびつだった。今の私の精一杯だ。好きという想いと、それを認めたくない気持ち。さっしぃ達みたいに付き合いたいと思ったり、友達の彼女の友達というポジションが楽でいいと思ったり……。

 やっぱり、さっしぃみたいにイニシャルの端っこにハートをつけずにおこう。仕方なく作ったという感じがする出来栄えでいい。……そう思っていたんだ。


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