第6話 偽りの命


 人に、話がしたいと言われた。

 それは初めてのことだった。


 粗末なテーブルを挟んで向かい合わせに座り、はにかみながらも女は、俯き加減でポツリポツリと日々の暮らしを話して聞かせた。

 コダは頬杖をついてうっすら笑いながらそれを聞く。


 女の日常は、炊事と洗濯、掃除に明け暮れていた。

 それでも合間合間で、炉端の花がきれいに咲いていたり、客の残したパンの屑を手のひらにのせていたら小鳥が舞い降りたりと、小さな出来事が起きることをまるで宝物のように話した。


 その一方で、やはり本来の「仕事」については話すことはしなかった。それは、コダに隠そうとしているというよりも、本当にそんな仕事はしていないかのようでもあった。

 

 そんな女の話が途絶えた一瞬に、コダは静かに問った。


「お前の、ここでの仕事は家事全般なのか?」


 女はビクリと身体を強ばらせて一層俯いて、「わかりません」と小さく答えた。


「私、時々、記憶がなくなるんです。」

「・・・」


 コダは頬杖をやめて腕を組み、背もたれに深く背中を預ける。そして大きく息を吐いた。


「たぶん、俺は記憶がない時のお前を見た。」


 女はハッと顔を上げ、その小さな唇を戦慄かせた。

 何か察するところがあるのだと、コダはわかって少し目を伏せる。


「今のお前とは全くの別人に見えた。俺はお前と一回しか会ってねぇから、今のお前が偽りで、俺は謀られたのだと思った。」


 コダは包み隠さず心内を吐露していく。

 女は再び俯き、鼻をすすりながらそれを聞いていた。


「だが、今日帰りにお前を見かけて、気がつけばここまで走っていた。真実を知りたかったのもあるが、やはり俺はお前と話がしたいと思ってたんじゃねぇかなと、今は思う。」

「・・・ありがとう、ございます・・・」


 女の声は震えていた。


「私は、たぶん、誰かの、『器』なんです。あなたのおっしゃる通り、私は、・・・私の命は、偽りなんです。」

「・・・そうか。」


 コダの言葉を最後に、静寂が二人の間を漂う。

 女のすすり泣く声が遠慮がちに響いた。


 風がゆっくりと、薄いガラスの窓をカタカタと揺らす。


 コダは自然と視線を外へと投げていた。

 

「お前は、外を見たことがあるのか?」


 不意に問われ、女は顔を上げる。

 コダはゆっくり視線を戻してその黒い瞳で女を見た。

 女の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 思わずコダは笑って、鞄の中から汚れた手拭いを取り出し、だがそれを女に差し出すのを躊躇した。


 しかし女は白い手を伸ばし、


「お借りしてもいいですか?必ず洗ってお返ししますから。」


 ゆったりと微笑んだ。


 コダは少し迷ったが、汚れた手拭いを手渡した。

 女はそれを受け取ると、一瞬の躊躇いもなく、汚れた手拭いで涙を拭った。


「本当に、ありがとうございました。」


 その手拭いを両手で握りしめ、女は肩を揺らして嗚咽を漏らした。


「・・・その手拭いを、」


 低いコダの声に、女はしゃくりあげる口を白い手で押さえて、赤く潤んだ目を向ける。

 コダはまっすぐ女を見つめたまま、告げた。


「お前が『お前』の時に、その手拭いを持って馬車が通る時間に軒先に出てきてくれねぇか。」

「・・・え、」

 

 そしてコダはひどく楽しそうに笑った。


「その日の深夜に、お前を拐いに来るから」


 途端に女は大きな目を見開き、黄金色の瞳が溶けるほどの大粒の涙をいくつもいくつも溢してテーブルを濡らした。


     ・・・


 コダは店を後にして、しばらく歩いたのち突然路地裏へと走り入った。


 刹那響いた足音を、闇に紛れてその太い腕で掴み取る。その何者かの腕を後ろ手に固めて壁に押し当てた。すかさず懐から取り出した小さめのナイフが白く光る。


「ひっ」


 壁に押し当てられた男が小さく悲鳴をあげた。


「なぜ俺を追う。なんの目的だ」


 コダの声は低く、地を這うようだった。

 小さなナイフは迷いなく男の喉へと押し付けられる。少し刺さって鮮血が垂れた。


「その辺にしといてもらってもいいですか?その人、ただの雇われだから」


 不意に背後で声がして、コダは慌てて振り返った。


 そこにいたのは、背中に町の仄かな光を背負った背の高い赤髪の男。


 コダの額から一気に汗が吹き出して、背中もにわかに汗で濡れる。

 こんなにすぐ背後に立たれていて、気配をまったく感じなかったのは初めてのことだった。


 刹那コダは雇われの男を壁から剥がして、自身と赤髪の男の間の盾とした。


「貴様、何者だ」

「あ、オレですか?オレは第二大隊情報部隊所属のサンディークスです。一応少尉ですよ。」


(コロル軍将校だと?)


 コダは訝しそうに眉根を寄せた。

 一介の傭兵でしかない自分が、コロル軍の将校に付け狙われる理由を慮って、眉間のシワを深くする。


(・・・メトゥス絡みか?)


 先程まで会っていた女は、コロル政府高官メトゥスとも密会していた女と一応は同一人物だ。

 政府高官が懇意にしている遊女の客事情にまで軍情報部が動いている事実に苦笑が漏れる。


「・・・くだらん。」


 コダは捕らえていた男を解放すると、ナイフを懐へ納めた。捕らえられていた男は悲鳴をあげてその場から走り去っていった。


「政府高官のお遊びにまで軍が介入してくるとは恐れ入るな。」

「そうですねぇ。でもまあ、あの遊女が普通の人間ならオレたちも出動はしてないですけどね。」

「・・・?」

「あんた、彼女の背中、見ました?」


 意図せず問われ、コダは目を細めた。


「どういう意味だ」

「どういう意味も何も、そのままですよ。背中、見てないんですか?」

「・・・見てない」

「でしょうね。」


 サンディークスは意味ありげにクスクスと笑った。

 虫酸が走り、コダは奥歯を鳴らす。


「・・・てめぇ、何が言いたい」


 低く問う。

 するとサンディークスは顎を上げて見下し、ゆっくりと口を開いた。


「彼女はね、軍が秘密裏に作り上げたホムンクルスの一人なんですよ。」

「・・・なに?」

「彼女は、始祖の有翼人、プルウィウス・アルクスの骸から生成された『人為的な有翼人亜種』の一人です。あ、一応これ、軍の機密なんで、他言無用でお願いしますね。」

「人為的に作られただと?」

「そう。軍によってね。軍といっても正確には、うちの、第二大隊情報部隊が地下に抱えるラボですけどね。あ、これ最高機密ですから、口外すると死にますよ。」


 サンディークスは楽しそうに口を押さえて笑う。

 意味がわからず、コダは眉根を寄せるばかりだった。

 そんなコダを見てサンディークスはなおも笑いを堪えながら語を連ねた。


「本当は逃げ出した時点で始末の対象なんですけどね、何故か意思を持っちゃってるから泳がせてたんですよ。だけど、まさかメトゥスに目をかけられるとか、ホント面倒極まりないですよねぇ」

「・・・てめぇ、一体何を言っていやがる、」


 コダの内から込み上げてきたのは、極めて純度の高いただの怒りだった。


 あの女は、いったい何方向からの不可抗力に抑えつけられ、虐げられているのか。

 黒い髪が激しく震えた。

 刹那腰の刀に手が伸びる。

 しかしサンディークスの言葉は止まらない。


「あんたも、彼女が二つの人格を抱えていることはご存知でしょ?一つは『デーフォルミス』、あの女郎屋の女将が付けた名ですね。そしてもう一つが『プルウィウス』、彼女が自ら名乗った名です。おそらく彼女は、」

「・・・黙れ」

「始祖の有翼人、プルウィウス・アルクスご本人。だから彼女は有翼人亜種でありながら意思があるんです。」

「黙れ!」


 刀を抜きかけて、だがそれよりも早くサンディークスは駆け寄り、柄を手のひらで押さえつけた。

 そしてサンディークスの逆の手が、さらりと自身の剣を抜く。その剣をそのままコダの首筋に当てた。


「あの女はあんたの手に負えませんよ。」

「・・・くっ」

 

 細身の男だが、コダの力を持ってしても、刀は抜けず微動だにしない。首に当てられた剣はゆっくりと引かれて血が滲む。


「救うとかホント、おこがましいにも程がある。けど、見せてもらってもいいですか?虫けら程度の足掻き。」


 そしてサンディークスは恐ろしく無邪気に笑った。

 

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