第三話「初めての学び舎、初めての戦い」
1.編入初日
四月も既に下旬だというのに肌寒い日が続く中、ようやく小町の「育成館」編入の日がやって来た。
「なあなあカーチャン。これ、変じゃないか?」
「変と言えばまあ、変だけど……似合ってると言えば似合ってるわよ」
「どっちなんだよ、それ!」
朝の五ツ木家では、小町が慣れぬ制服に身を包み、不安げな表情を浮かべていた。
一方で、それを眺める静香の表情もやや不安げだ。というのも――。
「似合ってはいるわよ、安心なさい。はぁ~、しかしセーラー服にもズボンってあるのねぇ……」
小町が身に着けているのは育成館の女子制服である「セーラー服」なのだが、下に穿いているのはスカートではなくズボン――スラックスであった。セーラー服とお揃いの濃紺である。
モデルの一つが水兵の服である訳で、セーラー服の下がズボンというのはあり得ない話ではない。だが、女子の制服としてデザインされたものの下にズボンを穿くことに対して、静香はどうしても違和感が拭えなかった。
けれども、その一方でボーイッシュな小町にはスカートよりもズボンの方が似合っているのだから、母としては複雑な気分なのだろう。
もっとも、小町が普段から愛用している例の丈の短いスラックス――後年で言うサブリナパンツ――は既に市中で流行っており、女性のパンツ・ルック自体は珍しいものではなかったのだが。
「――小町様、そろそろお時間でございます」
と、その時。控えめなノックと共に、ドアの外からばあやの声が聞こえて来た。どうやら、もう登校しなければならない時間らしい。
「おっと、いけねぇ。じゃあカーチャン、行ってくるわ!」
「……行ってらっしゃい、小町。頑張ってね」
育成館まで付いていきたいという気持ちを必死に押し込め、笑顔で小町を送り出す静香。
その心中を知ってか知らずか、小町は太陽のように眩しい笑顔を返してから、母へ背を向けた。
***
「遅いぞ小町。――ほう、よく似合っているじゃないか」
小町が正面玄関に駆け付けると、既にエンジンのかかった自動車の前で、安琉斗が仏頂面を浮かべながら待っていた。彼にしては珍しく素直に小町の服装を褒めたのだが、仏頂面のままなのであまり嬉しく思えない。
「さっ、早く乗れ。皇居――いや、育成館までは時間がかかる」
「おうよ! へへっ、よろしくな運転手さん。また頼むぜ! あ、それと帰りは雨が降ると思うから気を付けねぇとな!」
「……雨、だと? 小町、なんの話をしている」
「へっ? なんのって……あれ?」
安琉斗に問われて、思わず首を傾げる小町。言われてみれば確かに、今の自分の発言には脈絡という物が全くなかった。
何故、自分は「雨が降る」等と思ったのか? 口にした小町自身にも、さっぱり分からなかった。ごくごく自然に口をついて出てしまったのだ。
――実は最近、小町にはこういうことが多かった。本当に些細なことばかりなのだが、「これから先に起きること」を無意識のうちに口にしていることが、多々あったのだ。
例えば、今のように少し先の天気であったり。
例えば、その夜の晩御飯のメニューであったり。
例えば、消防車のサイレンの音が聞こえてくる前に「どこかで火事か?」と言い出したり。
(オレ、なんか変だな……)
きっと育成館への編入の為に、毎晩のように安琉斗から「猛特訓」を受けていたから疲れているのだ。そう自分を納得させつつも、小町は胸の中に渦巻く得体のしれない不安を押し殺せずにいた。
***
昭和三十年当時の日本は、まだまだ発展の途上にあった。
都心であってもそこかしこに未舗装の道路が広がり、雨が降ればぬかるみに嵌る車もあった。自動車需要の高まりに対して交通整備が追い付かず、事故や渋滞も問題となっていた。
そんな劣悪な道路事情の中でも、五ツ木家お抱えの初老の運転手は実に落ち着いたもので、後部座席に座る小町と安琉斗に不安を全く感じさせない運転をみせていた。
(……ちょっと前までボロ屋でその日暮らししてたオレが、こんなお嬢様みたいな扱いされてるって、やっぱり変な話だよな)
心地よい揺れに身を任せながら、ぼんやりとそんなことを考える小町。
ふと、安琉斗の方を盗み見すると、彼は何かの文庫本を読んでいた。その様がまるで物語から飛び出した貴公子のようで、思わず見惚れてしまう。
薄暗い車内にあっても、彼の碧い瞳は宝石のように輝いて見えた。
(そういや、安琉斗の眼って碧いんだよなぁ……)
既に見慣れていたこともあって忘れていたが、安琉斗や聖来の瞳の色は、日本人にはあまり見かけない奇麗な碧だ。髪もくすんだ金髪だ。顔立ちこそ日本人のそれだが、遠くから見れば西洋人と見紛うばかりだ。
日本は、ほんの十年前まで欧米列強を相手に戦争をしていた。西洋人を「鬼」とまで呼んでいたはずだった。そんな中にあって、安琉斗と聖来は果たしてどういう扱いを受けていたのか?
小町は喉まで出かかったその疑問を、静かに呑み込んだ。きっと面白くもなんともない話になる。世間知らずの小町でも、なんとなくそれだけは察せられた――。
***
「か、柏崎小町です! 右も左も分からねぇ……分からない身ですので、ミナサンの
安琉斗に仕込まれた挨拶をなんとか言い切り、深くお辞儀する。
ややあって、控えめな拍手がパラパラと聞こえはじめる。最初の挨拶としては、及第点だったらしい。
――育成館に到着後、小町は諸々の説明を受けると、早速とばかりにこれから通う教室へと連れていかれた。安琉斗は既に別行動である。
辿り着いた教室には、三十人ほどの男女が整然と席に着いていた。いずれも小町と同年代の少年少女で、それぞれ白い学ランと濃紺のセーラー服とに身を包んでいる。人数が揃うとやや圧巻の光景であった。
一番前の席には、先日遭遇した二階堂彩乃の姿もあった。
育成館にはクラスが三つしかない。それぞれ小学生組、中学生組、高校生組と呼ばれている。その内訳は読んで字の如く、本来彼らが通っているべき学校に合わせて編成されている。
小町が編入したのは中学生組だ。教室内には小学生にも見える幼さの残る者から、大人と見紛う立派な体格の男子まで、様々な生徒が見受けられた。
「え~、柏崎くんの席は、二階堂くんの隣でお願いします。二階堂くん、クラス代表として色々教えて差し上げてください」
眼鏡の中年男性教師――クラスの担任が、小町が座るべき席を指さす。
彼の言葉通り、その席の隣には先日小町が遭遇したお嬢様、二階堂小町が「お嬢様オーラ」を放ちながら座っていた。意志の強そうな眉と同じく、キリリと背筋の伸びた佇まいだ。
「かしこまりました、先生。……柏崎小町さん、先日もお会いしましたわね? これからどうぞ、よろしくお願いいたしますわね?」
「こ、こちらこそ! よろしく……です!」
彩乃がその小振りすぎる頭をペコリと下げたので、小町もつられてその場でお辞儀をする。
どうも先日の遭遇以来、小町の中では彩乃が神格化されつつあるらしく、最初の挨拶よりも緊張してしまっていた。
(お、お姫さんと隣の席か……。緊張する!)
そんなこんなで、小町の育成館生活の初日が始まった。
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