閑話『決意と覚悟』





 久しぶりに孤児院へと戻って来た。


 お祈りや家事当番に奉仕活動と……窮屈で堅苦しい決まり事には辟易とするけれど、ここなら生活費は必要最低限で済む。


 お金を無くしたあたしは、もうここに戻る他なかった。


「えっと……ただいま戻りましたぁー……」


 そして、さすがのあたしもこの局面においては、しおらしくならざるを得ない。


 だって、あたしの目の前には、白髪交じりの茶髪を揺らめかせ、ただでさえ圧迫感のある巨大な胸をさらに張らせて仁王立ちするアンナさんが居るんだから……。


 くっ……っていうか、セリーナもそうだけど、なんでこの町の修道女や修道女になろうって女は、そんなにデッカイ胸してんのよ!神に仕える身のくせに異性の劣情を煽るような身体してて良いわけ!?


 ――なんて、口が裂けても言えない。


 あたしは、小さい頃から刻み込まれた恐怖心に身体をカチコチにさせる。


 昔から、ちょっと悪戯しただけでお尻をたくさん叩かれて、ちょっと家事当番をサボったらその倍の量をやらされて、奉仕活動先でお小遣いをもらったらその日はご飯を抜きにされた。


 まぁ、それだけじゃなくって、感謝してるところもあるから生意気言えないっていうのもあるけど……。


 そうして思い出すのは、歌が上手いって褒めてくれたこと、熱を出して寝込んだ時に付きっ切りで看病してくれたこと、ハグしてくれたときのふかふかの胸と温かさ。


「さぁ、ローザ。ここに戻って来たからには分かっているでしょうね?」


 あたしは、うぐっ……と言葉を詰まらせた。


 もしかして、セリーナからいろいろ聞いてるんだろうか?


 嫌な緊張に包まれるけど、アンナさんが話し始めたことは勝手に孤児院を出て行ったことへのお説教と、今後は決まりを守ることや仕事をサボらないっていうことだけだった。


「あなたももう大人になった訳だし、あまり口うるさくは言わないけれど、きちんと自分の頭で考えて、後悔のないように行動なさいね」


「うー……分かってますぅー」


 そう言われてレナードのことが思い浮かぶのは、やっぱりあたしも気にしてるってことかもしれない。


 正直、後ろ暗いことも後悔もあるけど、もうどうにもできないし……今はとにかく王都へ行くお金を何とかしないと――。

 

「ああ、それと、今セリーナの天職の件で王都から偉い方々が来ているから、くれぐれも粗相のないようにね?」


 アンナさんは言うだけ言って出て行った。


 孤児院の部屋に一人残されたあたしは、子供の頃から見慣れた風景をぐるりと見回す。


 ギシギシと軋む床、隙間風の入る壁、雨漏りのする天井……何も変わっていない。


 この村が町の規模になったとき、表の教会は立派な石造りの物に建て替えられたけど、裏の孤児院だけはずっと変わらず昔のままだ。


 教会を建て替えるときに、アンナさんが随分と熱心に孤児院建て替えのために募金を呼び掛けていたけれど、結局お金は集まらなかった。


 あのときのアンナさんの寂しそうな顔は、今でも忘れられない。


「はぁ、嫌だなぁ……」


 それはとても悲しい思い出だ。


 そして、これは誰にも言っていないことだけど、あたしの“歌姫になりたい”っていう夢に、“お金を稼ぐ”っていうのが追加されたのは、そのことがあってから。


「そうだ、そのためには、何だってやるって決めたんだ」


 ただでさえ親の庇護も保証も後ろ盾もない孤児なんて、社会ではマイナスからのスタートだし、並大抵のことじゃ大成できない。


 それに、『歌姫』っていう天職は世間の評価も曖昧で、その立場もピンキリだ。


 それこそ、王城や貴族様のお屋敷に呼ばれたり、自分専用の劇場で歌を披露する人もいれば、孤児院で子供相手に歌を教えたり、ただ自分の子供に子守唄を歌うためだけにスキルを使う人も居る。


 どれが正解とかじゃないけれど、あたしが目指すのは前者の方。


 だから、努力はもちろん、運や環境や人脈や資金だって必要で、そして、それらは孤児のあたしが用意するには難し過ぎる物……。


 だから、何だってやるしかないし、何だって利用してやる他ない。


 そんなあたしは間違いなく最低最悪で、いつかきっと後悔もするし、この先たくさん人の恨みも買うと思うけど、それでも夢と目的を果たしたい。


 今は、歌姫になってお金を稼ぐこと――それだけを考える。


「ふぅ……よし!」


 気合を入れ直したあたしは、孤児院での義務を果たすべく食堂へと向かうことにした。


 正直、セリーナと顔を合わせるかもしれないと思うと気が重いし気が引けるけど、ここに帰って来たからには家事当番は絶対だ。


 食堂に着くと――。


「セリーナ!僕の妾になるんだ!その方が絶対に幸せに決まっているじゃないかっ!」


「大変光栄な話ではございますが、私は『司祭』の天職を得た者としての義務を全うしたく思います」


 あたしが会いたくなかったセリーナが、知らない金髪巻き毛の騎士風の男に言い寄られていた。


 うぇ、何あの男……。


 しばらく巻き毛男による一方的な勧誘が続いてたけど、やがてアンナさんがその男を呼びに来てセリーナは解放された。


「はぁ……覗きだなんて悪趣味だと思うのだけれど、ローザ?」


 ヤバ、バレてた。


「……熱心な愛の告白を受けてたみたいだから、気を利かせたのよ」


 あたしは澄まし顔でセリーナの前に出て行く。


 セリーナは事務的に、あの巻き毛男は大司教モルディアス様の子息で聖騎士見習いのミカエル様で、さっきのやり取りは自分が司祭に相応しいかの試験だったのだと、あたしに説明した。


「いや、どう見ても試験じゃないでしょ……」


 しらばっくれてんの?ってイラっと来るけど、今はそれよりも重要なことがある。


「じゃあ、あのミカエル様?だっけ?あたしが声掛けても良いわよね」


 新しいパトロン、寄生先、呼び方は何でも良いけど、王都に行くなら好都合。


「私が何か言うことじゃないわ」


 セリーナは興味なさそうに軽く肩をすくめる。


 それにしても、セリーナとはもっとギスギスした感じになると思ったけど、人間関係の距離が開いて温度が下がったみたい……他人の一歩手前って感じ。


「――さて、ご飯の用意しようかなぁ」


 さすがのあたしも気まずくなって、声を上擦らせながら台所へと向かう。


 すると、そんなあたしにセリーナが声を掛けて来た。


「ねぇ、ローザ。レナードの家でお父さんの釣り竿とお母さんの花瓶の破片を残さず拾って綺麗に並べたのは、あなた?」


 その問いに、思わず息を飲む。正直、レナードのご両親の形見のことはあたしが一番気にしているところでもある。


「もし、そうだったなら、そのことにだけはお礼を言っておくわね――」


 何も答えられないあたしに、セリーナは一方的にお礼を言って出て行った。


 なんだか、その言動にまた敗北感を覚えさせられた気分。


「はぁ、辛気臭いのはダメダメっ」


 これから、あの金髪巻き毛の聖騎士見習い様を落とさなきゃならないんだから!


 王都行きが掛かっているため、あたしは気合を入れる。


 そして、結果的に言うと、楽に落とせた。




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