閑話『盗賊の最期』
文明から遠ざかる下り方面行きの乗り合い馬車。
その荷台には、俺一人きりだ。
「ライアンさんも一つどうだい?」
馴れ馴れしいが退屈はしない御者が、リンゴを投げて寄越してくる。
俺はそれを受け取りながら外の景色に目を向けた。
馬車はゆっくりと眠たくなるような速度で、短期間に小金と馬一頭を稼がせてくれた町を後にする。
ちなみに、馬は町を出る前に換金させてもらった。
「乗って行くには、俺の故郷は遠すぎるからなぁ」
脳裏を掠める田園風景。
故郷を思うと、決まって昔のことまで思い出す。これはもう、呪いみたいなもんだろう。
最初のケチの付き始めは、成人して犯罪天職ということが分かり、故郷を追い出されたところからだ。
当時は筆舌に尽くしがたい怒りと悔しさを覚えたものだが、そのときにはまだ俺の中にも希望はあった。
王都で行われているという犯罪天職者向けの職業斡旋の噂だ。
あの頃は、王都に行けば真面な仕事をもらえると本気で信じていた。
だが、実際に王都での職業斡旋を受け、俺は深く絶望したものだ。
自分の浅はかさを呪い、今思い出しても含羞だ。
結局、他に行くところもない俺は、王都にて斡旋されたクソみたいな仕事を長年続け、この年になって犯罪天職の免罪状と少ない退職金を持たされ放り出された。
少ない金じゃあ王都での生活は覚束ず、俺はちょうど親戚全員がくたばり空き家になったという故郷の実家へと帰ることにしたのだ。
そして、その道中で立ち寄ったあの町で、たまたまエイミー亭の立地に目を付け、町のチンピラ共をけしかけて、手数料や情報料という形で小金を稼がせてもらった。
本音を言うのなら、俺自身が売春宿をやりたいくらいだったが、やっと手に入れた免罪状の手前、万が一を考え自分が表立ってやるわけには行かなかった。
だが、それがチンピラ共に俺への警戒心と害意を抱かせる原因になっちまった。
連中からしたら「こんな美味しい話を他人に譲るとか怪し過ぎるし、俺らの手の内も知ってるから最後に始末しとこうぜ」ってな感じだろう。
俺には監視が付き、どうトンズラするかを迷っていた。
そんな
「くくっ、しかし本当に間の悪い野郎だったな」
まさか陥落寸前のエイミー亭に、あのタイミングでやって来る奴がいるとは思わなかった。
しかもあの若造は、吐き気を催すような甘っちょろい義憤なんぞを丸出しに、自分からエイミー亭の問題に首を突っ込んできやがった。
それは嗤えると同時に、まるでかつての自分を見ているようで胸焼けすら覚える光景だった。
「あの若造も直ぐに現実を思い知って、こっち側に染まるだろうよ」
自分も含め、そんな奴らをごまんと見て来た。
盗賊に真面な人生を歩むことなどできないし、碌な最期は迎えない。
まぁ、それでも、あの若造が他と違う部分があるとするならば“資質”だろうか。
あの町でやらかした結果を見る限り、あれには天賦の才があり幸運にも愛されているらしい。
その証拠に、あの若造と敵対したチンピラ共は今や全てを失い終わったも同然だ。
全財産を盗まれ、土地取得金を上乗せするためにこさえた借金と、借家のでボヤ騒ぎでの弁償代。
さらには商工ギルドの主力サービスでもある証人と証明書を無視したために訴訟まで起こされている。
もう連中は奴隷落ちの上に長期間の強制労働は免れないだろう。
だが、そうしてチンピラ共の方が消えてくれたことにより、俺は町から安全に離れることができた。
「しかし、こうなるとは予想してなかったわなぁ」
俺の当初の見立てでは、あの若造は散々跳ね回った挙句に最後はチンピラ共に捕まり始末されると予想しており、俺はその間にトンズラしようと考えていたのだ。
だから途中など、チンピラ共の仲間が俺の方の監視に来た際には、露骨にあの若造の馬と馬小屋の情報を売り飛ばしてやったのだが……。
奴は、それすらも躱しやがった。
ここまでくると、もはや全てがあの若造を中心に回っていたようにさえ思える。きっとあれには、あれの無事と成功を望む幸運の女神がついているのだろう。
俺はそんな自分の考えを鼻で笑い、荷物の中から獅子の刻印が打たれた上等な革袋入りの酒瓶を取り出す。
『世話になった、これは礼だ』
名前のないメモ書き付きの酒瓶は、若造からの返済金と共に宿の受付から渡された物だ。
中身の酒瓶は、革から染み出た油分でガラスの表面がしっとりと艶やかに光っており、それがまた琥珀色の酒を美しく際立たせている。
俺は瓶を取り落とさぬようしっかりと持ちながら、よくよくそれを観察してみると、直ぐに異変に気付いた。
「く、くくっ……こりゃあ、良い……っ」
久々に、笑わせてもらった。
酒瓶は明らかに一度開けられた形跡があり、良く見れば中身の酒の嵩も瓶の大きさに対し不自然だ。
俺は“仕事”の後は必ず仕入れておくことにしている非常食兼毒味用の生きたネズミを取り出して、瓶の中身をぶっかける。
「チッ……良い酒なのに、勿体ないことしやがる」
のたうち回るラットを見て、頬の筋肉がヒク付いた。
「あの野郎……やっぱり俺がチンピラ共にエイミー亭やら若造の情報を流してたのに気付いてやがったか……」
どこで気付いたのかは分からんが、その意趣返しとあの嬢ちゃんの仇討ちか、俺への酒に毒を盛ってきやがった。
「くくくっ、まぁお粗末過ぎたがな」
こんな幼稚な手に引っ掛かるわけがねぇだろ――そう笑いながら、俺は酒瓶とを外に放り投げる。
瓶は放物線を描いて乾いた地面に砕け散った。
「んんっ!今のなんだい?どうした?」
その音に驚いたらしい御者が、振り返って声を掛けてくる。
俺は誤魔化すのも面倒になり、「俺にも分からん」とだけ答えて御者からもらったリンゴを齧った。
しかし、俺も焼きが回ったもんだ。
あんな粗末な手口で笑わされて毒気を抜かれたからか、それともさっき鼻で笑った幸運の女神のことをもう少し真剣に据えるべきだったのか……。
毒は、瓶の表面にこそ塗られていたのだ。
古典的な手だ。今リンゴを持つ俺の手にはべったりと毒が付いている。
その結果、俺はこの後に苦しさにのたうち回り、旅の道中で直ぐに医者に掛かることもできず、最終的には視力の大半を失うことになる。
結局はあのチンピラ共と同様、俺も終わったも同然となった。
今までのツケが回って来たと言えばそれまでだが、これで故郷まで辿り着けるか、それとも今度は俺がカモられて終わりか……。
まぁ何にせよ、やっぱり碌な最期になりそうもねぇな。
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