十五・五月の水辺で

  エサつけてるところちゅうや!


声が聞こえた。

夏には早い晴れた日だった。

日差しは眩く熱しながら、風はまだ暑気を孕んでいない。


子供の声だ。

見れば四、五人ほどの小学校中学年程度と思しき少年らが、

ドブ川に足を突っ込んでいる。


それは見るからにドブ川としか言い得ぬ代物だった。

ほりのように道沿いに家々のすぐわきを流れるコンクリ壁の側溝。

しかし少年らにとっては「川遊び」のつもりのものらしい。

手に手に網やら棒切れ(糸を括りつけているところを見るに、ザリガニ釣りか何かの竿であろう)を握り、ズボンのすそをたくし上げて裸足を濡らしている。


水はキラキラと陽を撥ねて輝いているが、およそ清浄キレイではなさそうだった。

冷たくはないのだろう。

どこか温んだ印象でとろとろと流れている。

底にミミズに似た藻のようなものがそよいでいた。


  やからッ、今やってるところ中や!


子供が喚く。

どうやら割り箸とタコ糸で作った釣り竿に、エサとなる何かをつけようと不器用な指を使っているらしい。


わたしはふっと笑みを漏らした。


「――ところ中」とは、

なかなか変わった表現である。

要は「なになにしている最中」という意味なのであろうが。

この地方独特の言い回しだろうか。


ふと顔を上げると、同じように少年らを見下ろしている者があるのに気づいた。

まだ若い、ひょろりとした男である。

柔和な顔立ちに、どこか新鮮味のある表情が浮かんでいた。


彼もまた、子供らの言葉遣いに気を取られて立ち止まったものらしい。

手には小さいビニール袋が下げられていた。

くるぶしの締まったスウェットパンツに白いスニーカー、

白のTシャツに薄いウィンドパーカーを羽織っている。

いかにも近所のコンビニに行った帰りといったいでたちだ。


ならば、子供らの言い回しは地方独自のものではないのだろう。

少年らの編み出した、或いは、あの少年のみが使う、

変わった表現方法ということになる。


ふっと、普段着の青年が笑った。

先刻のわたしと同様に。

同時にわたしも笑っていた。


目が合う。

すぐに互いに逸らした。


ドブ川では水が陽光に煌めいている。

子供らの声がさんざめき、涼しい風を渡って広がる。

民家の庭木で鳥がさえずっていた。

緑が鮮やかに映る。


山野辺の小さな町で、

伸びやかな小麦色の手足が濡れていた。

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