一年目 五月中旬 生物学者・矢野沙織
「あの……情報を漏らしたの……矢野先生じゃないですよね……?」
調査委員会に出向している官僚は、疲れ切った顔で矢野沙織にそう聞いた。
「ところで……この件……何人ぐらい関わってるんですか?」
「え……っと……」
「あと……この件に関わってる人の手当なんかはどうなってるんですか?」
「……あの……何の関係が有るんですか?」
「『口止め料をケチってないよな?』と聞いてるんです」
「……」
日本人または日本人を父系の先祖に持つ男性の一部に見られるY染色体上の遺伝子の突然変異を持つ者が、最近使われるようになったCT用の造影剤に含まれるある成分を注射された状態で、一定量以上のX線またはγ線を短時間の内に浴びた場合、生命の危険が有る事が判明した。
それが、ある大手新聞社の単独スクープ記事の内容だった。
幸か不幸か、事実の一部は伏せられていた。つまり、事実では有るが、そんな事を報道したら、報道した方が「頭がおかしい」と見做されかねない「事実」は。
「あのねぇ……国家機密レベルどころか……人類社会の在り方を根本的に変えかねない『機密』の扱いが、何で、ここまで杜撰なんですか?」
「……えっと……。あの……やっぱり……『彼ら』は人間ではないんですか?」
「生きてる時は、Y染色体に特異な変異が有る以外は、人間の男性。あの条件で死んだ時にのみ、真核生物では有るが、既知の生物の系統樹のどこに位置付けるべきか全く不明な『何か』に変ってしまいます」
「あの……ですから、『彼ら』は……人間?」
「それ……私達より、法律や社会の問題じゃないですか?」
「えっ?」
「生きてる時は、生物学的その他……一般に『科学的』とされる方法では、人間と見分けが付かない。『彼ら』自身も自分を人間だと思っている可能性が高い。社会的にも『彼ら』を人間として扱っても問題は無い……らしい。特定の条件の場合のみ、死とほぼ同時に『人間でない何か』に変貌する……」
矢野は、出来の悪い生徒に判らせるような口調で言った。
「人間の体を持っている。人間の生活をしている。人間の思考のような思考を行なう。人間の言語を使う。他の人間との意思疎通にも問題ない。社会的にも人間として『機能』している……。しかし、ある一点でのみ他の人間とは違うが……それは、あくまで社会や他の人間ではなく本人にとってのみ不利益になるモノで、しかも、注意していれば、それが原因となる致命的な事態を回避する事が可能。……社会学者や法学者の皆さんは、この件に関して、どう云う見解……」
だが、その時、矢野は、その官僚の表情の変化から、ある事に気付いた。
「ちょっと待って……まさか……」
「……す……すいません……。調査委員会の学術関係者は……理系の人しか居ないと……聞いています」
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