真昼の眠り姫

小米波菜

第1話 眠り姫

吉池よしいけ美以子みいこは、神奈川県立有橋高校の2年生である。ボブカットの髪は肩にかかり、陽に当たると薄茶色に輝いている。色素が薄いタイプなのか、極端に外に出ないのか、色白の肌はどこか不健康そうな印象を与える。高校生らしく、整えられた制服は紺色のブレザーに、緑と紺の入り交じったチェックのスカート。スカートと同じ濃い緑色のリボンがよく似合っている。有橋高校、通称、有高は特にこの制服が人気で、その影響で倍率が若干上がっているとの噂がある。

春の陽射しは眩しく、自転車を漕ぐ度に感じる風は柔らかで心地よい。それなのに、美以子は浮かない表情をしており、まるですでに一日が終わったかのような疲れた顔をしている。

(体、だるいな。やっと眠れたのにな。今日は1時間目が現国だし、気持ちよくは眠れなさそう・・・)

現国の藤谷のことを思い出し、美以子はさらにげんなりとした。学校一、厳しいというのか古いというのか、変わった教師の藤谷は、質問をして答えられない生徒を次々に立たせる謎のルールを使い、授業の終わりには全員が立っているという奇妙な光景が生み出されるのだ。

遅刻組の男子と一緒に、裏庭の駐輪場から一番近い窓から入ると、靴を持ったまま教室に入った。なんとか今日も始業までには間に合うことができ、美以子は安堵の息をついた。

美以子の席は、窓側の後ろから3番目。この席はとても気に入っている。絶妙に目立たない、居眠りに最適な位置なのである。担任の武藤先生の話が始まり、点呼に応えると、すぐに美以子の体は重くなる。

(ダメだ、眠い。もたないな。少しだけ眠ろう。藤谷の時は、ちょっとでも目を開けて置かないと逆に面倒になるもの。)

美以子は静かに眼を閉じた。教室は三階にあり、グラウンドと青い空が見える。空いた窓からは春風が入り、美以子を更に心地よい眠りへと誘ってくれる。

いつからだろうか。美以子は、学校にいる時はほとんど夢の中にいる。成績が悪いわけでも、不良なわけでもない。至って真面目な生徒で、先生からの評判も悪くない。ただ、誰も知らないところで、彼女は静かに目をつぶる。起きていたいと思ったこともあった。しかしそれは、体力的にも難しいことは美以子が一番よくわかっていた。人知れず、誰に迷惑をかけているわけでもない。ただ、眠っているというだけなのに、美以子は日に日に深い谷を降っているような気がしていた。ぽっかり空いた暗い谷間。降りきってしまったらどこに行くのだろうか。

(どこでもいい。)

目に浮かぶ涙をそっと隠しながら、美以子は虚ろな目で外を眺めた。

(ここじゃないなら、私から離れられるなら、どこだっていい。)



美以子は友人は多くはないが、同級生の八千代という友だちがいる。八千代は長身に長い黒髪のモデル体型で、美人である。性格は非常にサバサバしていて、姉御肌の少女だ。しかし、だからといって押し付けがましくなく、当たり障りなく関わってくれるので、美以子は八千代といると気が楽だった。一年生の時に同じクラスになり、たまたま八千代が美以子に話しかけた事がきっかけだった。たまたまの出会いだが、八千代も落ち着いている美以子のテンションが好きで、2人は仲良くなった。


「美以子、藤谷の授業ん時、ウケたよ。本当にあんたの居眠り技は真似できないわ。」

「私だって起きていたいの。だけど、どうしても、ね。藤谷の時は、立ってしまえば後は目を瞑れるから楽よ。窓側から呼ばれるからラッキーだし。」

「いや、横見た時にさ、立ったまま寝てんのみたら、吹き出すから!咳で誤魔化しだけど、藤谷にバレたら外に出されるよ。」

八千代は持参したイチゴオレのブリックパックを飲みながら、美以子の頬をつついた。


「八千代、今日さ放課後にカラオケ行こうよ。」

突如、八千代以上に背の高い井田が声をかけた。井田は八千代の彼氏で二人は付き合い初めて3ヶ月になる。その前から友だちだったが、井田が何度も八千代に告白をし、やっと付き合うことができたのだ。長身に短髪で、スポーツマンタイプの井田と八千代は、目の保養になるカップルである。

「いいけど、美以子も行かない?」

少し不安げな表情で、八千代が美以子に問いかけた。八千代には美以子の答えはわかっているが、それでも微かな願いをこめていた。

「うーん、今日は体もだるいし、やめておこうかな。」

苦笑いをすると、邪魔者は退散するよ、と言って美以子は教室を出ていった。




昼休みの時間、美以子は裏庭のベンチにいることが日課だった。そこは生徒にあまり人気の無い場所で、木々に囲まれていて涼しげな雰囲気だが、木が伸び放題で野性的になっており、涼しさを通り越して少し薄ら寒い様子が強くなっていた。美以子のお気に入りのベンチも苔が生えており、女子生徒は特に毛嫌いしている裏庭だった。


そんな誰にも愛されない裏庭が、美以子は好きだった。生徒の声が響く明るい校舎より、みんなから忘れられたような、取り残されたこの裏庭のほうが自分の居場所に相応しい気がした。


幾重にも重ねられた木々の合間から、キラキラとした日差しが美以子に降り注ぐ。生まれたばかりの緑の葉が、小さく揺れては遊ぶように互いにじゃれあっている。

美以子は持参した弁当を食べた後、静かに目を瞑った。このままずっと眠っていられたらいいのに・・・。



ふと、美以子の側で人の気配がした。寝ぼけた目で横を向くと、見たことのない男子が座っている。驚いた美以子は、思わず体を端に寄せた。よく見ると、男子は絵本を読んでいる。タイトルは「眠り姫」。


「これ知ってる?君みたいなお姫様だよ。」

男子は昔からの知り合いのように、美以子に話しかける。答えもせずに、疑うような目で美以子は男子を観察した。


少し派手な明茶色の髪。瞳も髪と同じ色をしており、日差しを浴びると金に輝いている。背は高くないようだが、ワイシャツに羽織った白いパーカーがよく似合っていて、格好いいというより可愛い顔立ちの男子である。

「私、教室に戻るから。」

突然、安息の庭を荒らされた気がして、美以子は不機嫌な様子で立ち上がった。そうすると、男子は美以子の手をとった。


「泣いてたよ、さっき。寝ながら。眠り姫の吉池さん、でしょ?なにか怖い夢でも見たの?」

美以子は突然の触れあいに固まってしまったが、すぐに手を離した。

「そう?怖い夢なんて見てないよ。欠伸で出た涙じゃないかな。私、もう行くから。」

美以子は逃げるように、裏庭を後にした。今まで、話しかけてくる男子はいたが、美以子の中に問いかけをした人は初めてだった。

爽やかな彼の姿に、嫌な気持ちはしなかったが、美以子はどこか恐怖を感じ、落ち着かないまま教室に戻った。






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