真昼の眠り姫
小米波菜
第1話 眠り姫
春の陽射しは柔らかく、自転車を漕ぐたびに風が心地よく頬を撫でる。しかし美以子の表情は晴れない。まるで一日を終えたかのように、疲れきった顔をしていた。
(体がだるい……。やっと眠れたのに。今日は1時間目が現国か……気持ちよく眠れなさそう)
現代文の藤谷の顔を思い浮かべるだけで、美以子はげんなりする。彼は学校一風変わりで、質問に答えられない生徒を次々に立たせ、最終的には全員が立って授業を受けるという謎のルールを持っているのだ。
遅刻気味の男子たちと一緒に裏庭の駐輪場から近い窓から入ると、靴を手に持ったまま教室へ。始業前にはなんとか間に合い、美以子は胸をなで下ろした。
彼女の席は、窓際の後ろから3番目。目立たず、居眠りに最適な位置だ。担任の武藤先生が話し始め、点呼に応えると、美以子のまぶたは重くなっていく。
(ダメだ、眠い……少しだけ、少しだけ眠ろう。藤谷の授業中は、目を開けてるふりだけしていれば大丈夫)
三階の教室からはグラウンドと青空が見える。開け放たれた窓から春の風が流れ込み、美以子を優しく眠りへと誘った。
いつからだろう。学校では、ほとんど夢の中にいる。成績は悪くない。素行も真面目。先生からの評価も悪くはない。ただ、美以子は誰にも知られないように、静かに目を閉じるようになった。起きていたいと思ったこともあったが、それは体が拒否する。誰に迷惑をかけているわけでもないのに、眠るたびに心が深い谷底へ落ちていく気がしていた。
(どこに行くんだろう、私)
涙が浮かびそうになるのを誤魔化すように、美以子は空を見上げた。
(ここじゃなければ、どこだっていい。私から離れられるなら、それでいい)
友達は少ないが、八千代という同級生がいる。長身で黒髪、モデルのような美人。姉御肌でさっぱりした性格だが、押しつけがましさがなく、距離感が絶妙だった。1年生の時、たまたま同じクラスで声をかけてきたのがきっかけだったが、八千代も美以子の落ち着いたテンションを好み、2人は気が合った。
「美以子、藤谷の授業中ウケたよ。あんたの居眠り技は本当に真似できない」
「私だって起きてたいの。でも、どうしても眠くなるの。立ってれば、逆に寝やすいし。窓側から呼ばれるのもラッキー」
「いや、立ったまま寝てるの見て、吹き出したから!咳でごまかしたけど、藤谷にバレたら外に出されるよ」
八千代はイチゴオレの紙パックを飲みながら、美以子の頬をつついた。
「今日、放課後カラオケ行こうよ」
そこへ、八千代よりさらに背の高い男子・井田が声をかけてきた。彼は八千代の彼氏で、付き合って3ヶ月。長身のスポーツマンタイプで、短髪が似合っている。2人はまさに“目の保養”といったカップルだった。
「いいよ。でも、美以子も行かない?」
八千代が少し不安そうに美以子を見た。彼女の返事は予想できていたが、ほんの少しの希望を込めて聞いてみたのだ。
「うーん……今日は体だるいし、やめておこうかな」
苦笑いを浮かべて、美以子は「じゃ、邪魔者は退散します」と教室を出ていった。
昼休み、美以子はいつもの裏庭のベンチへ。木々に囲まれた静かな空間で、生徒には人気がない。雑草が生い茂り、ベンチにも苔が生えている。女子生徒の多くは敬遠する場所だ。
でも、美以子はここが好きだった。にぎやかな校舎の中よりも、取り残されたようなこの裏庭の方が、自分に合っている気がした。
木漏れ日が美以子に優しく降り注ぐ。若葉が風に揺れて、きらめく。その光景の中で、美以子はお弁当を食べ、静かに目を閉じた。
(このままずっと眠っていられたら……)
そのとき、気配を感じて目を開けると、見知らぬ男子が隣に座っていた。思わず身を引くと、彼は絵本を読んでいる。タイトルは『眠り姫』。
「これ、知ってる?君みたいなお姫様だよ」
昔からの友達みたいな口調で、彼は話しかけてきた。美以子は無言のまま、疑わしげに彼を見た。
明るい茶髪に、同じ色の瞳。日差しの中で金色に輝く。白いパーカーが似合う、可愛い顔立ちの少年だった。
「私、教室に戻る」
突然現れた“侵入者”に、美以子は不機嫌に立ち上がる。すると彼は、美以子の手をそっと取った。
「さっき、泣いてたよ。寝ながら。眠り姫の吉池さんでしょ?怖い夢でも見たの?」
美以子は一瞬固まったが、すぐに手を振りほどいた。
「……そう?欠伸で涙が出ただけ。もう行くね」
逃げるように裏庭を後にする。彼の声も、表情も優しかった。嫌な気はしなかった。けれど、それがかえって怖かった。
──心の中を、覗かれたような気がして。
教室に戻った美以子の心は、ざわついたままだった。
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