第3話 和尚

「手紙がくるのは久しぶりですね」


 弟子から受け取ったその手紙には、「宛先不明郵便墓地宛て 杏璃ちゃんへ」と書かれていた。


「杏璃ちゃんですか」


「様」とつかないその郵便は、差出人の年齢を想像するに容易ではあった。このくらいの年齢の方が送ってくるのは、インターネットを使っている中で、この宛先を知ったのだろう。


 こんな手紙を預かるようになったのはいつからだったのか。それは先代も教えてはくれず、行く先のない想いを昇華させる、その手伝いだと聞かされ、それが差出人の心の救いとなればと焚き上げてきた。


 その中を読むようになったきっかけは、ある一通の手紙だった。


 ある頃、同じ差出人と思われる手紙が13通を超えた時、その宛先不明郵便墓地宛てにいつも書かれていた、「あや様」という名はなく、「宛先不明郵便墓地宛て 受け取ってくださった方へ」となっていた。


 その宛て名の文字は、あきらかに前の13通と同じもので、数日間思案したのち、開封した。



     あや様


 はじめて会ったその日から、ずっと、お慕いしておりました。


 あなたはいつも一人だった。


 「何をお探しですか」


 わたしがそう声をかけたとき、私の目を見つめたその瞳に、


 わたしは吸い込まれてしまいました。


 あなたが店を訪れるたび、わたしのこの目はあなたを追い、


 いつの頃からか、わたしがあなたを追う目に気付いたあなたは、


 わたしに微笑みかけてくれるようになりました。


 あなたと恋に落ちるのはわたしには容易いもので、


 あなたにとっても……そうだった。



 妻の目を盗んではあなたに会い、


 夫の目を盗んでは、わたしに会うあなたとの逢瀬に、


 わたしは身も心もすっかり奪われ、


 この身とその身を一つにしたまま、この世の果てまでもと……


 そんなことを夢に見ていました。



 それはそう、夢だったのです。


 あなたと会えなくなってからも、恋しく想う日々の中で、


 今でも、あなたと一つになっている夢を見ます。


 あなたと、果てるまで生きたいのです。



 わたしは、あなたの夫を殺めてしまいそうです。


 あなたを手に入れたい。……どうしても。


 想いは強く、けれどもわたしもまた、


 妻をこれ以上傷つけることに躊躇いもあります。


 妻を愛してはいないのか?


 否、そこには確かに愛と呼べる何かもあるのです。


 だからこそ、……こんなにも苦しい。



 行き場のない想い、あなたにはもうないのですか?


 わたしは、こんなにもまだあなたを愛しているのに。



 一つの封筒に入っているこの手紙のほかに、もう一通の手紙が入っており、そこにはこの手紙はどなたが読んでいるのか、もし読まれているのならば、自分の行き場のない想いを救って欲しい、毎日、あやの夫を殺めてしまいそうで怖い、あやも殺めてしまいそうで怖い、自分の妻さえ手にかけそうで怖い、もうどうしたらいいのかわからない、なんとかしてあやを忘れたい、この想いを忘れてしまいたい。そんな文言が書かれていた。


 そしてその、私宛にと思われる手紙には、この男の名前と住所まで書かれていたのだ。


 私は他の13通にも目を通した。焚き上げる前に同じ差出人と思われる手紙が届き、これは……と思い、すぐに焚き上げすることができなかったのだ。そしてそのどれもに、同じような文言が並び、中には本当に誰かを殺めかねないほどの思いつめている感情が、重く重く書かれていた。


 これは事実なのだろうか。


 本来、そんなことを考えずに焚き上げてきたものだが、これだけの想いに救いを求めてくるのだから、本当に辛い想いを抱えているのかもしれない。そう思う反面、本来仏に仕える自分には考えることすら憚られる、もしや誰かがこの郵便の受け取り主を調査しているのではないかという、そんな疑いの念を抱いてしまい、心揺さぶられる自分は、僧侶としてはまだまだ未熟だと自分を制する気持ちで、この相手に何かしら自分にできる救いはないかと考え始めていた。


 15通目に届いた「宛先不明郵便墓地宛て あや様」の手紙を読んで、この男の様子を見に行こうと決めた。書かれていた住所が、それほど遠くでもなかったこともその助けとなった。


 寺から電車と歩きで2時間ほどのその男の家の玄関が見える位置にある公園で、そこから出てくる男を目にし、愕然とした。


 それこそ、死相が現れるといった言葉があるが、まさしくそれかと思うほどの白さと冷たさと、不安定さを湛えたその顔をした男の背を、その妻と思しき女性が、不安そうな心配そうな、そして悲しみに満ちた目で送り出していた。その顔には、慈悲という一つの愛が見え隠れしていた。


 あやという女性と出会っていなければ、この男はその溢れんばかりの愛情を、妻にだけ注げていたのかもしれない。


こんな自分を裏切った男など捨ててしまえばいいものを、それをせずにこんな表情でいるのは、それまで自分に注がれた愛情を、その心をまだ信じたいのだろうか。それとも、そこにある情というものを振り切れないでいるのか。


 どんな言葉を紡げば、この女性を救えるのだろう……


 罪深き男の心は、どうやったら迷わせずに済むのだろうか。



     貴志様


 わたしに何が言えるのか、ずっと考えておりました。


 あなた様は、その名の如く、貴き志をお持ちとお見受けいたします。


 誰もが経験できるとは限らない、深い愛情を経験し


 その愛が深いからこその苦悩でその身を滅ぼそうとしている。


 その愛情は、あなただけのものですか?


 あなたと同じほどの愛情をもって、あなたを見守る人がそこにいるはずです。


 あなたのすぐそこです。


 前ではなく、すぐ後ろです。振り返ってみてください。


 そこに、あなたの救いがあるはずです。



 わたしの書いた手紙が男の心にどう届くのか、どう届いたのかはわからない。けれど、「あや様」への手紙は、それ以来、墓地に届くことはなかった。



 「杏璃ちゃんへ」というこの手紙、内容から察するに、親友だと思っていた2人が、一つの出来事をきっかけにして絶好状態に陥り、夕季という子は、杏璃ちゃんの裏切りで心に大きく傷を抱えてしまい、人に対する不信感から外に出られなくなってしまったのだろう。


 そこから出るための何かのきっかけ、それがこの少女には必要だったのだ。


 高いところが苦手な自分をそこに連れて行き、そしてそこから落とそうとした。それは本来、悪ふざけでは済まないほどの出来事だったはずだ。夕季さんが蹴飛ばしたのも……無理のないことだったのかもしれない。それほど、恐ろしかったのだろう。


 「杏璃ちゃん」というお嬢さんは、そんな夕季さんの心などお構いなしに、その後も充実した日々を送っていたのだろう。


 それをどんな思いで部屋の中にいる夕季さんは想像していたのだろう……それを思うと胸に詰まるものがある。


 この「杏璃ちゃんへ」という手紙の送り主は、夕季とだけ書かれており、それ以外は住所も何も書かれていない。


 本当は、「杏璃ちゃん」に読んで欲しかったのではないか。けれど、自分のことなどすっかり忘れて充実した毎日を送る杏璃ちゃんには読ませたくもなかったのだろう。


 これは心を込めて焚き上げる。夕季さんが、家から出ることが出来なくなっていた夕季さんが、勇気を振り絞って外に出て、この手紙をポストに入れたのだろうから。



 『昨日、日比野夕季さんを殺害したとして逮捕された向谷知里は、取り調べで娘の仇だと話している。警察は詳しい事情を調査中だということです』



 翌朝、朝刊の地方版の片隅にそんな記事が載っていたが、遠く離れたところに住む和尚は、その記事を目にすることはなかった。



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