スーパーアサクラギャラクシー②

「ねぇ椎名。あんた最近やたらと浅倉さんと仲良くない?」

「え、いや。別に。そんなこと、ないと思うけど」

「いやいや別にそんなことあるよ。いっつも一緒にいるじゃん。なんで?」

「べ、別になんでもいいじゃん」

「……弱み握られてるとか?」

「…………」


 あれは、あの夢の話は、弱みと言っていいものなのだろうか。


 いや、あれは弱みではない。私が浅倉の夢を見たという話をところかまわず吹聴されたところで、私はそこまで困らない。


 そこまで、だから、困りはするんだけど。


「別にそんなんじゃないよ。なんとなく仲良くなって、そんでなんとなく一緒にいるってだけ」

「ふーん、そっか。ならいいんだけどね」


 私の机に尻をのっけて、毛先を弄りながら話していた友人が、そこでぴょんと机から降りて、自分の席へと戻って行った。


 私と浅倉が一緒にいる構図は、割と目立っているらしい。さっきの友人はそこまでクラスの人間関係について詳しくない人だ。いや、むしろ疎いほうだと思う。そんな彼女がわざわざ私に言ってくるくらいなのだから、多分相当目立ってしまっているのだろう。


「ねぇしーな、今日も一緒に帰るでしょ?」

「……まぁ、いいけど」


 今だって浅倉は気安く私の肩を叩いて、そして気安く名前を呼び捨てして、気安く誘ってきた。


「よしじゃあ放課後になったら声かけるから」


 歩くついでみたいに私との会話を済ませて、そのまま浅倉は前の方にある自分の席に座って、それから友人の話の輪に入って行った。


 浅倉がいつから私のことを気やすく呼び捨てで呼び出したのかは、もう覚えていない。昨日からだったような気もするし、先週からだったような気もする。どちらにしても今の浅倉が私のことを呼び捨てにしている事実は変わらないのだから、どうでもいいけど。


 友人と談笑している浅倉の笑顔を一瞬だけちらっと見てから、私はスマホに首を向けた。


 スマホのなかの漫画を適当に流し読みしながら、ふと考える。


 浅倉は最近、よく笑うようになったと思う。浅倉は以前よりも人生を楽しそうに過ごしているように見える。


 浅倉の笑顔が増えた理由は、私にはわからない。新学期が始まってからしばらく経って、それなりにクラスに馴染んできたからだろうか。それとも、ただ、なにか嬉しいことがあっただけなのだろうか。


 浅倉にとっての嬉しいことってなんだろう。


 浅倉にとっての幸せってなんだろう。


 浅倉は何を手にすれば幸せになるのだろう。 


 五秒間くらい考えてみたけど、答えは出なかった。友達から浅倉といつも一緒にいるとか評価されている私だが、まだ浅倉について知っていることは少ない。浅倉検定十級だ。


 そんな私が浅倉の幸せを考えたって、わかるはずがないし。


 答えが出たとしても、それは間違っているだろう。浅倉の本意とは全くずれてしまっているだろう。


 私にとっての浅倉はまだ、宇宙人のままだ。


 宇宙人を理解するには時間がかかる。もしかしたら、一生かけても理解できないかもしれない。


 浅倉はずっと、宇宙人のままかもしれない。


 そんなことを考えていたら、ふとあくびが漏れた。


 難しいことを考えていると、つい眠くなってしまうな。


 浅倉を理解するのはまさに至難だ。



「あのさぁ~?」

「なに?」

「しーなってさぁ~」

「うん」

「私のこと大好きなんだよねぇ~?」

「いや、だからそれは、別に大好きってわけでもないって言ってるじゃん」

「いやでも~、夢にまで見たくらいなんだからさぁ~」


 ふぅとため息を吐いて、隣を歩いている心底楽しそうなだらしない笑顔の浅倉を見やる。綺麗な顔が台無しだった。


「夢に見たって言っても……」


 あの日、浅倉に夢の話をしたのを、私は今でも心底後悔している。なぜあんな言わなくてもいいことをわざわざ言ってしまったのかと心底後悔している。


 そして浅倉が、二日に一回くらいの頻度でその話を持ち出してくるのも、私の後悔を加速させていた。


「夢に見たって言っても? 夢に見たってことはつまり大好きってことだよ~」

「いやだから、それは違うから」


 夢に見たからその人のことが好きだという理論はおかしい。なぜなら自分が大嫌いな人間だって夢に登場するから。私が中学時代に大嫌いだったあの数学教師だって、今でもたまに私の夢に登場してくる。なぜあの男はいつまでも私の脳内に居座っているのか。一刻も早く出て行ってほしい。


「なんでそんな悲しいこと言うの?」


 急に笑顔から表情をしゅんとさせて、私の制服の裾をちょこんとつまみながら浅倉が上目遣いで言った。


 ……クラスの男子相手にも、こういうことをしているのだろうか。


 だとしたら危ないからやめた方が良いと思う。


「……ほら、嫌いな人でも夢には出てくるでしょ?」

「それは違うよ。夢に見るってことは、本当はその人のことが嫌いじゃないんだよ。自分の意識の中では嫌いでも、心の奥底では好きなんだね」

「えぇ……」


 それっぽい言葉を使ってそれっぽいことを言って、自分の無理やりな論理を押し通そうとしている人がいた。


「てゆーかさ、なんでしーなはそんな頑なに、私のことが大好きだってことを認めたくないの?」

「それはだって、人のこと簡単に好きとか言っちゃいけないし……」

「げっひゃっひゃっひゃっひゃ」


 浅倉が突然、聞いたこともないような悪鬼のような笑い声をあげた。表情がくしゃっとなって、綺麗な顔が台無しだった。


 ……笑顔が増えたことといい、最近の浅倉はテンションがおかしい気がする。出会った当初からわけのわからない人ではあったけど、最近はますますわけがわからない。浅倉についての未知が増えていくいっぽうだ。


「軽率に人のこと好きになっちゃっていいんだよしーな。それに、私たち女同士だし、友達同士で好き好き言いあうのなんて普通でしょ?」

「え、そうなの?」

「そうじゃないの?」


 そりゃあもちろん、私だって友達のことが好きか嫌いかと訊かれたら、迷わず好きだと答える。そうじゃないと友達やってないし。でも、お互い面と向かって好きだと言うのは、なんだかこっぱずかしいというか気まずいというか気恥ずかしいというかなんというか。


 そこまであけっぴろげに自分たちの気持ちを言いあっているのは、女子小学生くらいのものだと思うのだけど。


「じゃあしーなは友達のこと好きじゃないの?」

「そりゃ、好きだけど」

「じゃあ好きって言えばいいのにー」

「それはなんか、恥ずかしいじゃん」

「恥ずかしいことなんかないよ。友達同士の好きなんだからさ、後ろめたいことなんてなにもないじゃない」

「え……」


 それは、なんだ。まるで私が恥ずかしがっているのが、なにか後ろめたいことがあるからみたいな。


 いやもちろん、何も後ろめたいことなんてない。これは恋愛的な好きを言うときに恥ずかしいのとは、また違った恥ずかしさだ。恥ずかしさの種類が違う。親に面と向かって感謝を伝えるのが恥ずかしいとかそういう種類の恥ずかしさだから、恋愛の恥ずかしさとは違う。違う違う。


 そう、後ろめたいことなんて何もないじゃないか。


「ほら、恥ずかしくないでしょ? はい、じゃあ、しーなは私のこと好き~? ほら、さんはい」

「…………………………好き、だよ」

「私もしーなのこと好きだよ~」


 それから浅倉は私に抱きついてきた。私のことを巨大なぬいぐるみかなにかだと思っているかのように、全く遠慮なくぎゅーっと勢いよく抱きついてきた。そして私の胸に顔をうずめてくる。


 私の歯が浮いて、脳内に正体不明の奔流が生まれる。身体中が忙しなくなる。


「あ、あ、あつ、くるしい!」

「ふかふかだぁ~」

「ふ、ふかふか?」


 私の胸がふかふかだと言っているのか、浅倉は。


 ふかふかってなんだ?


 大きいを指すのか小さいを指すのか、どっちつかずの表現だ。どちらかといえば大きいほうかな?


「あったけぇ~」

「……私は暑いんですけど」


 浅倉が私の胸の中でぐりぐり頭を動かして、私の肋骨に浅倉の頭がごりごりあたる。


 ちょっと痛い。胸の弾力が足りないのか。じゃあふかふかって本当になんだろう。


「……もう離れてよ」

「このまま歩こうよ」

「は?」

「抱きついたままで歩こうよ。私は見ての通り前が見えないから、しーなが主導で歩いてね」

「え、本気で言ってる?」

「ガチのマジで本気だよ、私は」


 私の胸に顔をうずめながら、浅倉はくぐもった声で言った。


 今私たちが歩いているのは、あまり人通りの少ない住宅地の路地だ。


 でも人通りが少ないといっても、人が通る可能性は十分にある。


 第三者に、人と抱きつきながら歩いているという気が狂ったような構図は見られたくない。


「いや、普通に嫌だよ……」

「なんでそんなこと言うのー?」


 顔をうずめたままで言う浅倉。浅倉の吐息が服の生地をすり抜けて私の地肌まで届いて、少しこそばゆい。


「人に見られたら恥ずかしいじゃん」

「げっひゃっひゃっひゃっひゃ」


 また品のない笑い声をあげる浅倉だった。そんな笑い声をあげられたら、私の地肌に届く吐息の量も半端ではない。生温かい。


「女の子同士が抱き合うのなんて普通でしょ~?」

「絶対普通じゃないでしょ……」


 ちょっとハグする程度なら普通かもしれないけど、抱きつきながら歩くのは絶対に普通じゃない。


 浅倉の肩を掴んで、ぐぐぐと引っぺがそうとしたけれど、浅倉はびくともしない。ものすごい力で私に張り付いてくる。


 それに、本当にこうして抱きつかれたまま歩いたら、それこそ宇宙人みたいな、新種の生命体のような奇怪な生き物に見えるだろう。やっぱりそんなの人に見られたら恥ずかしい。


「いいから、は、な、れ、て」

「いいじゃん。おねがぁい。しーなから離れたら私死んじゃう~」


 また頭をぐりぐりして、浅倉は幼稚園児のように駄々をこね始めた。


 私から離れたところで死ぬわけねーだろ。


「いい加減にしてよ。進めないじゃん」

「私のこと嫌いになっちゃう?」

「嫌いになっちゃう」


 私が言うと、浅倉はぱっと素直に離れた。さっきまで駄々をこねていたのに、びっくりするくらい素直だった。


「しーなに嫌われるのはやだなぁ」


 たははと笑いながら言う浅倉。


 そんなに私に嫌われたくないのなら、許可なく遠慮なく抱きついてこないでほしい。もっと私の心臓を気遣ってほしい。


 浅倉は絶妙に自分勝手だ。


「もう急に抱きつくのはやめて」

「あはは、ごめんて。ちょっとした出来心でさ」


 そんな飄々とした様子で謝られても、全く信用できないし、全く反省の色が窺えない。


 まあ、ちゃんと謝ってもらわないと許せないとかそんなのではないから別にいいんだけど。というかそもそも私はそこまで怒っていない。


「まあ、いいけどさ。別に」

「お~、しーなはやっぱりやさしぃね~」


 言いながら、浅倉は気安く私の頭を撫でた。


「だからそういうのをやめろって言ってんの」

「え~? 頭撫でるくらいは許してよ」


 浅倉は私の頭を撫で続ける。人から頭を撫でられていると、悔しいような嬉しいような、温かさと冷たさが同居したような混沌とした心持ちになる。つまり頭が混乱してくる。


 だから早急にやめてほしいんだけど。


 それでもなぜか私は浅倉の手をどける気が起こらなくて、私は浅倉と別れるまでずっと頭を撫でられたまま歩いた。


 浅倉はずっと、心底愉快そうな笑顔だった。


 

「よっすしーな。おはよっすしーな」


 目が覚めると私の周りには森が広がっていて、足元は草むらで、そして目の前には制服姿の浅倉が立っていた。


 その状況を理解した私は、一度大きく息を吐いた。


 まただ。


 私は最近、浅倉の夢を見ることが多くなった。最初に見た夢とは違って、いつも浅倉は五人ではなく一人だけど。


 しかも浅倉の夢を見るときは決まって、夢の中で自分が夢を見ているという自覚があるからタチが悪い。


 自分が無意識に浅倉に会いたいと思っていたことを自覚しなければならないし、そして自分の想像上の浅倉と相対さなければならない。夢を見ている自覚がなければ、普通に自然に浅倉と話せばいいだけなのだから、ここまで心をすり減らすこともないのに。


 想像上の浅倉と話すのは、ごっこ遊びのような感覚があって気恥ずかしい。今から目の前の浅倉が口にする言葉は、すべて私が考案したものだというのだから、気恥ずかしいことこの上ない。


「ねぇしーな。私はしーなのこと、かっこいいと思うな」

「くひっ……。あー、そう」


 なんか知らないけど褒められた。私は深層心理のなかでは浅倉にかっこいいと言われたいのか。いやそんなこと思っているはずがないんだけどな。


「しーなはいつも頑張ってるよね」

「あひっ……と、そーかもねー」


 今日の浅倉はやたらと私を褒めるタイプの浅倉らしい。この前みた夢での浅倉はずっと担任の愚痴を言っていて、その前の浅倉はずっと俳句を詠んでいた。浅倉の話す言葉のパターンは日によって変わる。そして日ごとにワンパターンの浅倉しか用意できない私の脳はたぶんパンクしている。


「しーなはいつも周りのこと考えてるし、人望激アツだよね」

「えひっ……いや、そんなことは、ないんじゃないかーなー?」


 目の前の浅倉はとても優しい目つきで、私のことを見つめている。まるで我が子に向けるような、慈愛のこもった目つきだった。


「しーなはホント、子猫みたいでかわいいよね。食べちゃいたくなってくるよ」

「えっ、と。それは、どういう意味?」

「もちろん、そのまんまの意味だよ」


 かぷり、と浅倉が私の右手の人差し指と中指と薬指を食べた。


 食べた。


 本当に食べた。


「うまうま」


 ばりばりと口の中で咀嚼して、満足そうに微笑む浅倉。


 そして私の右手の指が三本、消えていた。


 浅倉に指を食べられた。


「うわ、あ、ああ、あ」


 あまりの衝撃に叫ぶことさえできなかった。声を失ってしまった。


 食べられた。


 三本の指が。


 もう私の指は戻ってこない。


 食べられて消化されたら、私の指はこの世から消失する。


 もう一生戻ってこない。


 嫌だ。


 いやだいやだ。


 返してくれ。


 と。


 そこで私は現実世界で目を覚ました。気づけば私は過呼吸になっていて、背中にはじっとりと、嫌な汗が滲んでいた。


 私は起き上がって、五回くらい深呼吸をした。すー、はー、と心を落ち着かせるよう努める。


 でも、どうしてもあの衝撃的な夢の内容は、私の頭から離れることはなかった。


「げっひゃっひゃっひゃっひゃ」


 そしてその日の昼休みの廊下。私がまたも夢の話をすると、浅倉はまた悪徳商人みたいに笑った。その笑い方は本当にどうにか矯正したほうがいいと思う。


「しーなもなかなか狂った夢を見るんだね。でも大丈夫。現実の方の浅倉さんにはカニバリズムの趣味はないから、安心して」


 にやにやと、私を嘲笑するような笑みを向ける浅倉。そんなにおかしいか。


「それはもちろんわかってるけど」


 さすがに浅倉が私の指を噛み千切ったら、私は浅倉と距離を置かざるを得ない。いや、距離を置くどころか、私は浅倉のことを一生恨むかもしれない。


 指を噛み千切られても許せるほど、まだ私は浅倉のことを好きではない。浅倉を目に入れたら普通に激痛だ。


「でも、私はまだしーなの夢のなかに存在してるんだね。しーなはまだそんくらい私のことを意識してるってことだ」

「そ、そんなことはないよ。まだ二回目だし」


 浅倉が何度も私の夢に登場していることは浅倉には秘密だ。そんなことを言ったらまたどんなからかい方をされるかわかったものではない。


「本当にまだ二回目なのかな?」

「えっ」

「あはは、まあそんなことは別にどうでもいいんだけど。私はまだしーなの夢を一度も見たことないんだよね~。というか、そもそも夢を見ないんだよね」

「……それは眠りが深いんだよ。健康的な証拠」

「あれ、そうなの? でも夢を見れたほうがいろいろ得じゃない? 毎晩一本の映画を観れるようなものだし」

「映画ほどストーリーがしっかりしてないし、今日みたいに怖い内容のときもあるし、いいことづくめってわけでもないよ」

「あはは、確かにそうかもね。毎晩超つまらない映画を見せられるのは拷問かも」

「でしょ? 私は毎晩夢を見るから、夢を見ない浅倉が羨ましいくらいだよ」

「じゃあ入れ替わってみる?」

「どうやって?」

「髪型を入れ替えてみたり、鞄を交換してみたり」

「……それ意味ある?」

「……ないねぇ」


 にやりと二人で笑い合う。


 廊下で二人並んで、こうしてくだらない話をして笑い合う。


 今日も浅倉に夢の話をしたけど、今回は喉につっかえるものはなかったし、首筋に蠢くものも感じなかった。


 結局あれの正体は、あのとき喉と首筋に感じたものの正体が何だったのかは、わからない。


 そして浅倉のことも、私にはわからない。私にとっての浅倉は宇宙人のままだ。


 でも、それでいい。別に無理にわかろうとしなくてもいい。


 こうして浅倉と笑い合うことができるのなら、それでいい。


 今の関係が一番、心地いい。


 だから無理に理解できないものを理解して、歩みを進めなくてもいい。進展させなくてもいい。進展してこじれるくらいなら、ここに立ち止まっている方が良い。


 今、こうしているのが幸せなら。


 それが、浅倉にとっての幸せでもあったらいいと願う。


 こんな関係がずっと続けばいい。


 そう、心の底から切に望んだ。

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