異世界の密約
本庄冬武
プロローグ
帰還
そして僕は、剣の切っ先を突きつける先の、魔王の命乞いをする顔に躊躇いを感じてしまったんだ。続いて彼が言う事には、もう二度と、人々の住む国々への侵攻をしないと言う。
「…………」
汗がつたう額もそのままに、僕は、一瞬、僕らが倒した魔物たちの死屍累々の数が、魔王の宮殿の広間に横たわっているのを見回した。激闘だったそこには、僕と同様の、「選ばれし者たち」が、その末に、満身創痍で意識を失ってる。
「…………」
「選ばれし者たち」と呼ばれ、この異世界に召喚された僕らの中でも、僕の扱いは特に別格で、宿った力は、チートレベルだったし、まるで、今まで慣れ親しんだ多くのゲームの中の主人公にでもなったかのような気分で高揚していた僕は、気づけば、旅の仲間たちの中でも、リーダー的存在として、皆に頼られていたし、今日、この日まで、そんな自分に酔いしれていたのだけれど、忘れていた。元来の僕は、決断力そのものが乏しかったんだ。
言わば、周囲の視線があってこその僕のこれまでだった。今、ここで、僕がどんなにイキろうと、それに感心したり、黄色い歓声があがったり、それまで友達の一人もいなかった僕を、友と呼んでくれた者も、それまで経験した事もない女の子の甘い囁きで、自分の名が耳元で呟かれる宿屋の夜も、今はなにもなかったんだ。皆、戦いの果て、僕に全てを託し、そこ、ここ、あそこのあちこちに倒れているのみである。目を泳がせている間、見透かしたような魔王がニヤリとし、何がしかの呪文を呟いた事には気づかなかったけど、
「…………!」
我に返れば、カチャ!と、もう一度、僕は厳しい顔でもって、黒い剣の切っ先を魔王の顔に向けた。途端に迎合の表情がこれでもかと僕に向けられる。そして、遂にでた言葉は、
「ほ、本当、だな……?!」
という、一言だった。
こうして、世界に平和は訪れた。よく晴れた、太陽の陽射しも眩しき、青空の下の凱旋パレードでは、王都中の人々以外の人々でも賑わって、豪華絢爛な城の謁見の間では、関係各国首脳からの賛辞も集まる大賑わいだった。今までの冒険の中でも一番の絶賛の嵐に、僕らが顔を見合わせ、はにかんでしまったという事はいうまでもない。僕らは「伝説の英雄」として、国々の歴史に刻まれる事になるそうだ。まるでゲームの中の世界だ! 特に、僕の気分は高揚していた。
だが、僕らは皆、若く、未来があった。この長い冒険の日々の中、宿泊する宿屋がミーティングルームと化すのは定石と化していたけれど、危機も去ったこの異世界で、この先、僕らは、どう暮らしていくというのだろうという事は、僕より、他の皆のほうが悩まし気にしていた様子だった。この世界の中でも東方の地方の剣である刀の使い手となっていた、僕を友と呼んでくれた長身の彼は、この世界への召喚以前から長髪だったという髪を、まるでそれ風に丁髷に束ね、その日まで共に戦ってきたけれど、ログハウス風に木材が積みあがった壁面に寄りかかりつつ、天井に設えられた、魔法のランプの程よい光に照らされた彼の顔は、いつになく遠いところを見つめていて、口にした言葉は、遥か彼方の世界に残してきたという、自らのギターの話であったりしたんだ。
「そりゃあ~、こっちの世界の楽器もおもしれぇ、と言ってもさ~」
などと、すっかり弾きこなしている小さな竪琴をジャラ~ンと奏でてみせた後、
「……オレ、バンドのオーディション結果も気になるしな~」
語りつつ、着込んだそれ風の灰色の着物の裾から、葉巻を取り出してみせたところで、「ちょっと…っ!」と、僕のベッドの上で共に腰かける、ハーフアップも可憐で長い、茶色い髪も麗しい、白い基調の生地の上に赤いロザリオのロゴなどがデザリングされたオーバーニーソックスを、赤いミニスカートからのぞかせた、女聖騎士が厳しい顔を向ければ、彼は、一度、おどけるように肩をすくめ、
「……でもさ~。みんなも、考えた方がいいと思うよ~? お約束の魔王は倒したわけっしょ? じゃあ、どうなんの? オレら。あっちの世界に残してきたもん、いっぱい、あんじゃね?」
そして言い残すと、口にくわえた葉巻に火を点けるために、とうとう部屋をでていってしまった。
(……君とは、間違いなく、あっちの世界では、友達にすらなれないだろうな……)
何も言えなくなっていた僕が、そんな風に、友の去ったドアの辺りをじっと見つめていると、侍を甘んじてやってきた彼の残した一言は、これまで「打倒魔王」という、その一点のみで結束してきた旅の仲間たちの心の導火線に火を点けたのだった。「友達」、「恋人」、「家族」、「部活」、「受験」、「就職」と、皆が、これまで心の中に封じ込めていたそれぞれの思いを口にしていって、この「選ばれし者たち」のリーダーであったはずの僕は、そのどれもに何の縁もこれまでなかったから、ただただ、皆の姿が離れていく不安に、狼狽える事しかできなかったんだ。
結局、なんの結論もでないままにお開きとなった後、物憂げに暗闇の天井を見上げていると、一つのベッドを共に分け合う直ぐ側で、
「私は、かまわないよ……」
すっかりピンクのキャミソール姿となった、ハーフアップの女剣士の彼女は囁き、すぐ間近にある僕の手をそっと握れば、
「キミとなら……この世界で、ずっと暮らしてくのも……」
「…………!!」
僕の心の中の全て見抜いた榛色の瞳が、優しく微笑みかけてくれれば、その名を呼び、抱きしめ、嗚咽は止まらず、背中には抱きしめ返す彼女の手のぬくもりだけが、まるで、僕の居場所のようだったんだ。
ただ、運命とは、粛々と進行していくもののようだ。その日の寝静まった夜の事、あの日、僕らを、異世界へと召喚した、巨大に光り輝くクリスタルが目の前に現れた時、何もない空間の中、宙を漂うままにしていた僕は、これで当面の危機は去ったと、感謝と共に穏やかに語りかける光のクリスタル相手に、とりあえず魔王と交わした密約がばれていない事にも安堵したのだけれど、では、元の世界へと返そう、そして、僕らから異世界で過ごした記憶は消える、などと一方的に続けられた時には、
「待ってくれ!!」
と、寝耳に水で驚愕し、絶叫したのだったが、次の瞬間、景色は全て眩い光と共にきり変わり、僕は、あの日、異世界へと召喚される瞬間に開いた、真夜中のコンビニエンスストアの自動ドアのど真ん中で、闇に向かって虚空をつかむようにしていただけだった。訝し気な視線が何人か通りすぎたところで、我に返り、コンビニ袋を握り直すと、つい、さっきまで旅のリーダーであった事が嘘であるように、元来のコミュ障を発揮した僕は、住宅街の中、逃げるように我が家へと急いだんだ。
異世界で鍛え抜かれたはずの健脚は、元のガリガリの細い足に戻っていて、スタミナすら伴わず、すぐに息のあがった僕は、つんのめっては、コンクリートの道端の上に激しく倒れ、骨と皮みたいな短パンに、ジャージも羽織ったTシャツの姿は、まるで、やせこけたカエルの仰向けの死体が服に着させられてる有様だった。夜空は、あの世界で眺めた満天の星空とも程遠く、いつものように、どこかで飼われてる犬が遠吠えをしている。
「…………」
久しぶりにかいた汗も気持ち悪げにしながら、寝静まった自宅の前に立つと、玄関の引き戸をあけ、廊下の中を、家族の誰にもあわないようにしながら自室へと逃げ込めば、クエストはコンプリート。こうして、今から、床に乱雑に山積みしたゲームの束の中から一枚を取り出し、画面の前でコントローラーを構えれば、それを朝まで楽しむ予定だったあの日が戻ってきていた。そのRPGゲームの世界は、まるで
「……あの世界、みたいだった……」
などという一言で、漸く、自分に終始あった「違和感」に気づいたんだ。
あの謎のクリスタルは、僕らから旅の記憶を消し去る、と言っていたはずだ。なのに、今、僕が、覚えている、この記憶の全てとは一体、なんなんだ? 夢? それにしてはあまりに長すぎる。
「……そもそも立ったまま、夢なんて見るかよ……!」
もう、ほとんど、家族とすら口も聞かなくなった僕だけど、まだ辛うじて正気は保っているつもりだ。大混乱の中、あの世界で過ごした冒険の思い出の数々が、次々に僕の胸の中を駆け巡っていく。そして、友と呼んでくれた長身の彼の、刀を帯びた丁髷と長着袴姿の上に、ハーフアップの長い髪をした、白い鎧にマントもはためかせた聖騎士の彼女の姿を重ね合わせた刹那、胸は、今まで感じた事もないほどのかきむしり方をして、それは闇の中で絶叫と化し、そして、僕は室内で、いつものように、暴れた。
登校拒否となって久しい僕の、こんな真夜中の咆哮に、家族の誰も耳も貸さなくなってから、かなりの時間が経っている。一通りの大暴れの頃には、締め切った窓のカーテンの向こうは白んできていた。えもいわれぬ涙も伴った今宵だったが、いつもなら、そのままベットに転がり込み、おおいに時間軸のずれた惰眠を貪るのが日常だったけれど、その日の僕は、何かが違ったんだ。
リビングに向かうと、まるで、僕の存在を無視したかのような、朝の食卓の明るい会話が響いていた。しきられた中戸をあける時、そのドアノブにかけた手は一瞬、ためらったけれど、
「おはよう……」
という、僕の、久々の挨拶と共に着用されたブレザーの制服姿には、テーブルに座る家族の皆が、一様に驚き、目を見開いているのだった。
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