第17話逃避
貴志が一人前になると、彼は朱雀隊に配属された。鴉も同じ鴉隊に配属された。そのなかでも、鴉の実力は頭一つ抜き出ていた。
貴志はそれを誇らしく思うことはなかった。
むしろ、怖かった。強い鴉の兄と分かって、周囲に落胆されることが怖くてたまらなかったのだ。
弟は強いのに、と言う言葉にさらされるのが怖くてたまらなかった。
生来の臆病が、ここでも発揮されたのだ。
鴉は、貴志と一緒にいるようになった。
それはまるで自分をおそれないで、と言っているようであった。貴志が弟と比べられるのを恐れているように、鴉も兄に自分が恐れることをおそれていたのだ。
常に一緒にいて、弟は兄にべったりだった。
けれども、鬼との戦いになれば兄と弟は別々に戦うことになった。弟は最前線で、兄は前線から一歩引いたところで。
一般には知られていないが、鬼は嫉妬によって作られる。嫉妬が最高潮に達し、人が人を殺した時に、人は鬼になるのである。
そうやって鬼になった人々を貴志や鴉は狩っている。
だが、いつかは貴志自身も鬼になるのではないだろうか。
弟への嫉妬で鬼になるのではないだろうか。
いつしか、貴志はそんなことを考えるようになっていた。
そんなとき、鴉に最年少で隊長になる話が持ち上がった。しかも、その隊長の空きがないので、新しい隊すら作るという話になっているらしい。
それを聞いたとき、貴志は鴉に嫉妬した。
鴉の出世は、幼い時に考えた貴志の理想の人生だった。その理想の人生を弟が歩んでいる。これを嫉妬せずにいられるだろうか。
そして、鴉隊が発足した。
鴉隊が発足した夜に、父が鴉に酒を注いだ。
そんなことをするのは、初めてのことだったそして、同時に父が弟を認めたのだと理解した。弟を認めて、弟を一人前の男だと納得したのだ。
そんなこと、自分はされなかった。
自分は、大人の男扱いされなかった。
がちゃん、と何かが壊れたような気がした。
鴉隊が正式に出来上がり、鴉は隊長になるための儀式を行った。鴉は紫色の羽織を身にまとって、下には花嫁衣裳を思わせる白い着物を着ていた。黒髪は萌黄色の組紐で縛り、その他の小物は紫色でまとめられていた。あまりに綺麗で、あまりに荘厳な姿。
他の隊長たちが一列にならび、鴉という新たな隊長を祝福する。
その姿に、貴志は嫉妬した。
本当ならば、自分が受けるべきだった称賛を鴉に横取りなされたような気がしていた。
鴉は、兄から刀を受け取った。
紫色の鞘に入った刀を受け取り、鴉は兄に微笑みかける。
「あなたの周囲を守るために戦います」
それは隊長になるにあたっての誓いの言葉であった。
その誓いの言葉をささげられた兄は、決まった言葉を返すはずだった。だが、貴志は言葉を返すことができなかった。
他の人間は、それを緊張のせいだと思ったようである。
だが、貴志は違うと分かっていた。
鴉への憎しみから、言葉を止めたのだ。
弟が隊長になった日に、実家に兄弟で止まった。布団を並べて眠ったが、貴志は寝付くことができなかった。
「兄さん……」
鴉も眠れないらしく、布団のなかで笑っていた。
「私は隊長になったよ。ねぇ、褒めてよ」
無邪気に鴉は、そっと貴志の布団に潜り込む。きっと弟は、兄にただ褒めてもらいたかったのだろう。父がそうしたように、兄に認めてもらいたかったのだろう。
貴志は、鴉が妬ましくなったしまった。
貴志は鴉を布団に押し倒し、彼の細い首をぐっと絞めた。死んでしまえ、と心の底から思った。死んでしまえ、死んでしまえ、自分より優秀な弟などお前など死んでしまえ。
「にい……さん。ねぇ……に……いさん」
鴉は、布団の上で首を絞められながらもあえいだ。
死にたくない、と鴉は思っているだろう。
まだ死にたくない、と鴉は思っているだろう。
そう思って首を絞められる鴉を思うことが、貴志の愉悦だった。そんな鴉が好きだった。昔はいろんな鴉が好きだったのに、今はこんな鴉しか好きになれなかった。
「きゃぁ!」
悲鳴が聞こえた。
物音をいぶかしんだ母親が、部屋と障子を開けたのだ。
「まちなさい!」
闇夜に母親の声が響く。
その声を聞きながら、貴志は江戸の町に逃げ出した。
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