第8話弁当を買う男
貞宗の妹は、唄の先生の帰りに行方をくらましたらしい。
この先生には貞宗も習っていて、信用が置ける相手だという。以外なことに貞宗の趣味は琴や唄という音楽だった。先生とも長い付き合いであり。妹も長年先生の元に通っていて、そんな相手の元からの帰り道にいなくなったということは人さらいにでもあったのではないかと涼太は思った。
「うん、その可能性もあると思うけどね」
だが、鴉の考えは違うらしい。
「定火消の身内だからね。もしかしたら、鬼がかかわっているかもしれない」
鬼とは、定火消が戦っている者たちである。
人に紛れて生活し、突如発火して巨大化するのが特徴である。巨大化する前は人と見分けることが非常に難しく、そのため定火消が戦うのは巨大化された鬼がほとんどである。
「鬼が人質をとるっていうのはよくあることなんですか?」
涼太の質問に、鴉は頷く。
「うん。よくあるよ。『この子の命が惜しかったら、俺を逃がせ』的な人質ね。貞宗は副隊長だし、七瀬君もわりと顔が割れているからな。美人で有名なんだよ」
だからこそ、貞宗も隊長たちを巻き込むような形をとったのだろう。そこまでして妹を助け出したいと考えているということは、よっぽど貞宗は妹を可愛がっているのだろう。
鴉は、相変わらず屋根に飛び乗って移動している。屋根と屋根の間をぴょんと飛び越えて、走っているのである。人並外れた技に、鴉は眼を見張るしかない。だが、江戸の人々にしてみればいつものことらしく、鴉のことで驚くことはなかった。涼太はその後ろをついていくことができなかったので、普通に道を走っている。
「どこにいくんですか?」
「えっと、食べ物屋に行こうと思っています。もしも監禁してたら食べ物が必要だし。最近、いつも複数人分の食料を買うようになった人が怪しいと思います」
鴉の言葉に「食べ物屋がある通りはあっちです!」と涼太は叫んだ。鴉の走る方向は、反対方向であった。
「おっと!」
鴉は急に向きを変えて、再び走り出す。
だが、また可笑しな方向に走りだそうとする。そのたびに、涼太は鴉の軌道を修正する羽目になった。
そして、言葉通りに総菜や弁当を多く売る通りにやってきた。
江戸の町は単身の男性が多かった影響で、このような店が多くある。最近では江戸生まれの女も増えてきて男女比平等になりつつあるが、それでも男の方が若干多かった。そのせいもあって、今でも総菜屋は大人気である。涼太などは独り身なので、屋台の安価なソバや寿司などに世話になることが多い。
鴉も地面におりて、涼太と共に聞き込みを始める。
通りには煮物や佃煮、なかには焼き魚といった様々な総菜、弁当の匂いが立ち込めていた。いるだけで腹が減るような通りである。そんななかで、涼太たちは近頃弁当を二人分買うようになった男がいると聞いた。
男の名は桔平。
妻子持ちでもないのに急に弁当を二人分買うようになったので、いい人でもできたのではないかと噂になっていた。この桔平という男は、もともとは妹と二人暮らしであったらしい。だが、妹の方は流行り病でなくなって、今は一人暮らしなのだという。
煮売り屋のおかみから、桔平の住所を聞いた鴉はそこにいってみることにした。保護者の貞宗にも報告すべきかと涼太は思ったが、貞宗に言う前に自分たちで調べた方がよいと鴉は言った。
「下手に報告をすると貞宗を心配させるかもしれないからね。貞宗は過保護だし」
鴉と共に、涼太は桔平の家へと向かった。
桔平は長屋に住まう一般的な男だった。長屋は平屋の集合住宅で、安い家賃で借りられる利点がある。江戸中にある長屋だが、安普請なために隣の住民の生活音に悩まされることも多い。そんな長屋で拉致監禁というのは難しいであろう。
涼太は、桔平の長屋の戸を叩く。
するとすぐに桔平は顔を出した。
細い顔をした神経質そうな男は、突然現れた火消をいぶかしむ。
「すみません。このごろ、若い娘がいなくなって聞いて。このあたりで、見かけていませんか?」
涼太は、桔平にそう話しかけた。
桔平は涼太の来訪に面倒くさそうな顔をする。どうやら、世間話などを楽しみたいタイプではないらしい。
「こっちは忙しいんだ。一昨日着やがれ」
桔平は涼太たちを乱暴に追い払おうとした。涼太も食い下がるわけにはいかないと踏ん張っていると、鴉が声をあげた。
「やぁ、失礼」
鴉は、するりと涼太の背後から出てきた。
彼は無礼にも、桔平の家に勝手に入りこむ。
「うん。何にもないね。これじゃあ、人を一人隠すのは無理だ」
鴉は、ぐるりと周囲を見渡してニコニコとそう語った。桔平の部屋は布団や小さな行李があるぐらいで、他には何もなかった。普通の一人暮らしの家の様子だった。
「おい、何やってやがる」
桔平の怒りで、鴉を殴ろうとした。
だが、鴉はその拳を受け止めた。鴉の方が体格は劣っているというのに、驚くべく光景であった。非力では、定火消の隊長は務まらないということであろう。
「帰るよ。ここには何もなさそう」
鴉はそう言って、桔平の家から出て行った。
涼太は、鴉の態度に少し慌てた。
「隊長。さっきのはちょっと……」
「うん。もう少し桔平君のあとをつけてみようか」
鴉は、そんなことを言った。
反省の色は全くない。
「鴉隊長。今のは、ちょっと失礼ですよ」
涼太は、鴉をたしなめる。
だが、鴉は聞いていない。それどころか、鴉は桔平の家の屋根に上った。どうやら、そこから桔平を見張るつもりらしい。
涼太は、ため息をついた。
だが、鴉を置いていくわけには行かない。
しかたがなく、涼太は近くの物陰に隠れて鴉を観察した。桔平を見張る、鴉。鴉を見張る、涼太。不思議な相関図が完成した。
夜になると桔平が長屋を出た。長屋には共通の門があり、その門は夜になると閉まる決まりだ。だが、この門は形ばかりのもので、大人の男ならば簡単に乗り越えることができた。桔平は門を乗り越えて、外へと向かう。
桔平は、そのまま廃寺へと向かった。
不気味な廃寺の中に入った、桔平。その桔平を追う、鴉。涼太も鴉を追って、桔平が入った廃寺をのぞきこんだ。そこには、縛られた少女がいた。
貞宗の妹かどうかは分からないが、十代前半の彼女の年齢は貞宗の妹と合致する。なにより縛られている少女をそのままにすることはできない。涼太は、鴉に「どうします?」とささやいた。すぐに飛び込むと思っていたのに鴉は「もうちょっと様子を見させて」と呟いた。その目は、真剣そのものだ。
「くそ、もう定火消がきやがった」
桔平は毒つくと、少女に刀を向けた。
鴉たちの尾行は気が付かれていないので、さっきの来訪がきっかけになったのだろう。涼太は自分のせいだったのか、とはっとした。涼太がさっき定火消と名乗らなければ、桔平は可笑しな客がきたとだけ思っただろう。
「どうして、お前らみたいな女がのうのうと生きてるんだよ。俺の妹は生きてはられなかったのに……どうして」
桔平が少女を突き刺そうとしたとき、鴉が声を上げた。
とても、鋭い声だった。
「ダメだよ。嫉妬で人を殺しては」
その声とほぼ同時に、裸足になった鴉は桔平を蹴り飛ばす。生身の人間に、杭付きの下駄は危ないとさすがに分かっていたらしい。白い足が、敵を吹き飛ばす光景はなんだか妙に現実離れしていた。
「隊長!」
涼太は驚きながらも、廃寺に入って少女を保護した。少女に怪我はないようであった。猿轡をされていたので外してやると、少女は大きく息を吸った。
「そいつ、妹が死んだからって私を殺そうとしたんだよ!八つ当たりにもほどがあるよ!!」
少女は、叫ぶ。
その気丈な様子に、涼太は舌を巻いた。
自分が殺されそうになったというのに、殺人犯のことをよく覚えている。さすがは、定火消の副隊長の妹である。
「……嫉妬で人を殺してはいけないよ」
鴉は屈んで、桔平に手を伸ばす。
片方しかない手が、桔平の頬を包んだ。それは涼太には、ひどいほどに優しい光景に思えてならなかった。
「君の妹さんが亡くなったのは、悲しいことだよ。でも、それで生きている女の子に嫉妬してはいけない。そんなことをすれば、鬼になる」
誰もが、鴉の言っている意味を理解しなかった。
涼太も少女も、ぽかんとする。
だが、桔平は違った。彼は、鴉の手を乱暴に振り払う。
「鬼って。あの巨大な鬼かよ。そんなものになるわけ……」
男の体が、燃え上がる。あまりに突然のことで、男は悲鳴すら上げなかった。けれども、男の体はずんずんと大きくなる。その光景に少女は悲鳴を上げて、涼太は思わず少女を背中で守った。涼太も驚いて、口がきけなかった。人が鬼になるだなんて、初めて見るような光景であった。
「これは……」
初めてみる光景に、涼太は唖然とする。
「青龍隊では習わないんだったね」
鴉は、静かに答えた。
「人に嫉妬してね、人を殺すとね。その人は、鬼になってしまうんだよ。まだ殺す前だから間に合ったと思ったけど、彼女以外にも殺していたね」
間に合わなかった、と鴉は残念そうに語る。
とても残念そうに。
涼太は、鴉の目元を見る。その目には、わずかに涙が浮かんでいた。男が鬼になった以上に、鴉にはなにか感じ入るものがあるように涼太には感じられた。
「うるさい!」
桔平だった鬼はうなる。
心底、鴉も涼太の声もいらないといっているふうの声であった。
「殺す気はなかったんだ。その女だって、食い物をやって生かしてただろ。俺は、最後まで殺す気はなかった!」
桔平だった鬼は、そう言った。
だが、鴉は首を振る。
「けれども、結局は殺してしまった」
怒る鬼の前で、鴉は静かだった。
とても静かで、まるで冬に凍った湖のようだった。静かで冷たくて、そして同時にとても綺麗だった。
「監禁するだけで、満足するつもりだったのかな?でも、君は結局は満足できなくなった。そうやって嫉妬で人を殺した時に、人の霊に飲み込まれて君は鬼に落ちるんだ」
気が付いたとき、鴉は高く飛んだ。
そして、柔らかな足の裏で鬼の頭を踏みつける。鬼は痛みなど感じず、鴉は不思議そうに地面に着地する。
「あれ?あっそうか、下駄を脱いでたんだった」
鴉は鬼に捕まれて、壁にたたきつけられる。
くたりと力を失った鴉は、床に寝そべった。それを見た、涼太はぞっとする、
「隊長!」
涼太は叫ぶ。
体を火に包まれた鬼に触れらただけで火傷をする。その鬼に捕まれたのだから、鴉も火傷しているに違いない。
「あーあ、また貞宗に色々と言われちゃう」
鴉は、ひょいっと起き上がった。
さっきまで床でぐったりしていたのが、嘘のような動きであった。
そして、暢気に下駄をはく。
「うん、これでしっくりときた」
そう断言した鴉は、そのまま飛び上がる。
そして、再び鬼の額に向かっていた。それは、まるで本物のカラスのように軽やかであった。着地すると同時に、鬼の額から血のような炎が噴き出る。釘が鬼の無間に刺さったからである。
「これが、鴉隊隊長の実力!」
鴉は、悲しげに笑った。
そんな鴉の足を鬼が掴む。
「まだ、俺は死んでないぞ。まだ、俺は」
鬼のたわごとを、鴉は聞かなかった。
腰に差した刀を抜いて、鬼の眉間に突き刺す。
「ごめんね。死んじゃった」
鴉は、そう呟いた。
鬼は一層よく燃えて、その体の一部分も残らずにチリになった。
涼太は、その光景を一生忘れないだろうと思った。片腕のない隊長。その隊長は、鬼に捕まれた跡を隠しもしなかった。隠しもせずにさらけ出していた。
その姿は、どうしてかどんな遊女よりも妖艶に思えてならなかった。
けれども、彼はどんな定火消よりも強かった。
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