第6話鴉隊長


 最後に訪れた場所は、神社であった。


 人気のない神社であったが、隊長はここの軒下で寝ていることが多いらしい。野良猫かと思ったが、要はここで野宿していることが多いということである。あたりはすっかり夕暮れで、もしも住処に戻るとしたらいい時間だと思ったのだ。まぁ、住処に戻れるのならばという話だが。……なんとなくだが、さっきから隊長のことを猫のように考えていたような気がした。さすがにそれは失礼だろう、と涼太はかぶりを振る。


「隊長!鴉隊長!!」


 周囲に人がいないので、声を張って叫んでみる。


 だが、返事はなかった。


 かわりに足元から、がたんと音がする。それは神社の社の下から聞こえていて、涼太は床下を覗きこんだ。


 床下は、当然のごとく真っ暗だ。


 最初は、それこそ猫でもいるのかと思った。


 だが、いたのは全く違うものだった。


黒い塊だった。


 黒い塊は、涼太の方にむかってすごい勢いが走ってくる。それをみた涼太は腰を抜かし「うわぁ!」と悲鳴を上げた。後ずさって、その黒い物体と距離をとる。すると、床下から明るい声が聞こえてきた。


「あははははっ!」


 場にそぐ合わない明るい声に、涼太はあっけにとられる。それは、間違いなく人の声であった。けれども、どうして笑い声が響き渡るのかが理解できなかった。しばらくして、黒い塊が笑っているのだと気が付いた。


 やがて神社の床下から、人が出てきた。


 黒い物体だと思ったのは、人間の髪だったらしい。


四つん這いになっていた人間は立ち上がり、汚れた長い髪を書き上げた。


現れたのは、白い小さな顔だった。輪郭は小さいに目は大きく、まるで子供のようであった。汚れた髪の毛にも特有の艶があり、けれども手足の太さはほっそりとしていながらも大人のものである。


まるで、大人と子供の境目にいるかのような人物だった。なにより、特徴的だったのが腕だった。彼には左腕がなかった。そのため着ている着物の左の袖が、無様に風にそよいでいる。そのせいで、左だけ翼をもっているかのようであった。


「君って、鴉隊の人だよね?」


 明るい声で、その人は涼太に話しかけた。


 涼太は、面食らう。


「あなたは、もしかして……」


 おそらくは、そうだろうと思った。

 だが、そんなはずがないとも思った。


「鴉隊の隊長。鴉だよ」


 よろしくね、とその人は右手を差し出した。


 一本しかない腕を独占してしまうことが申し訳なかったが、気遣いを無碍にもできずに涼太は手を借りて立ち上がる。


「ボクは、涼太です」


「涼太君か。新入りは、二年ぶりだよ。その二年前の人は、四か月で移動を願ったんだよね」


 なつかしいね、と鴉は笑う。


 涼太としては、笑っていいことなのか分からない。なにせ、その移動の原因は鴉のせいだと言われているのだから。


「君がここに来たってことは、貞宗君がそろそろ私を血眼でさがしているってことかな?うん、急いで戻りたいところだけど戻れるかなぁ」


 この神社から鴉隊の百人屋敷までさほど離れていないのだが、鴉は不安そうだった。おもわず涼太は「ご案内します」という。鴉は、顔を輝かせた。かなり、うれしいらしい。


「本当かい?君は、親切だなぁ」


 その言葉にあまりに邪気がなくて、涼太は本当に無邪気な人だなと感心した。人間、ここまで無邪気になれることはそうないと思う。だが、鴉は誰もが子供の頃にはもっていた無邪気さをまだ持ち合わせているようだった。


「涼太君、君の袖をつかんでもいいかい?」


 鴉は、涼太にそう尋ねる。


「普通の隣をあるけばいいじゃないですか」


「それじゃあ。はぐれてしまうよ。私には江戸は人が多すぎる。子供のころから暮らしているのに、ちっともなれやしない」


 了承を得る前に、鴉は涼太の袖を握る。


 振り払うわけにもいかずに、涼太はそのまま歩き出した。本当に小さな子供と一緒に歩いているような気分になった。


「涼太君。君はどうして、定火消になったんだい?給金はいいけれども、危険な仕事だよ」


 鴉は、涼太に尋ねる。


「小さな頃、鬼が起こした火事に巻き込まれて……その時に定火消の人たちに助けられたんです」


 涼太は、幼い頃の思い出を語った。


 もうずいぶん前のことである。


 商売をしていた涼太の家が焼かれ、そのなかに取り残されてしまったことがあった。そこを定火消に救われた。その時から、涼太の夢は定火消になった。


「ふぅん」


 自分で聞いたのに、鴉は興味がなさそだった。


 その移り気の速さに、本当に子供みたいな人だなと涼太は思った。


「私は、兄さんが定火消だったからだよ」


 笑顔で、鴉は語る。


 それが、とても誇らしいとばかりに。


「兄はもう亡くなったけど、私は兄を目指して定火消になったんだ。兄さんは、本当にすごい人なんだったんだよ」


 鴉は、兄がどれだけ優しいかを語った。


 それはほとんどが幼い頃の思い出ばかりだった。


「兄さんは自分の饅頭を僕に分けたりしてくれた。お風呂にも一緒に入ってくれた。私が弱虫の時には叱ってくれた。なにより、僕に名前をくれた」


 鴉の目が輝く。


 輝かしい思い出だ、と言わんばかりであった。


「名前?」


 涼太は首をかしげる。


「うん。私は名前のない孤児だったの。兄さんが名前を付けて、養子にしてくれるように父さんに口利きしてくれたんだ。父さんは定火消だった」


 鴉とその父親は、白虎隊の隊長と副隊長と似たような関係性らしい。


「鴉って名前は、私がカラスみたいに身軽だったからなんだよ」


 そんなくだらない理由でつけられた名前を誇る鴉の気持ちが涼太には分からなかった。


 名前をつけるのならば、もっとふさわしいものがたくさんあるだろうに。


 ぐるると鴉の腹が鳴った。


「あの、よかったら食べますか?」


 涼太は、司のところでもらった栗饅頭を差し出した。


「ありがとう!」


子供のような笑顔で、鴉は笑った。

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