三話「任命式。喝采の拍手に包まれて……」 その2

儀式が終わり、大ホールは静寂に包まれた。


それはほんの僅かの時間だけど、その静寂が、全校生徒が新たなるジャックのカルテットの誕生する瞬間をいかに注目していたのかがわかる。


そしてそれをすぐに打ち破るのは、純香さまだった。


「これで正式に仲間としての儀式が終わりました。それでは客席のみんなには、このジャックの四人がそれぞれ凄い特技を見せてくれるので楽しみに見てください」


純香さまがあっさりと儀式を流し、これからの特技披露に話を移す。


ちょっとあっさり過ぎるような気もしたけれど、あの静寂を打ち消すのには速いテンポでの進行の方が効果的という純香さまの考えだ何だと感じる。


「それでは順番だけど、まずは……ダイヤからでいいわよね」


「ええ、もちろんいいわ。あづさもいいわよね」


純香さまの問いに琴実さまが答え、あづささんにも振る。


すると、やっぱりあづささんの表情には自信が溢れていた。


「もちろんいいですわ。準備は完璧ですから」


セリフからも、自信が見て取れる。


そのままあづささんは、ステージの中央の客席から近い位置へゆっくりと移動する。


そして僕たちは一度舞台袖の方へと引っ込む。


舞台にはあづささんと、楓さまと琴実さまだけが残る。


楓さまは舞台袖に隠してあったアコースティックギターを取り出して、肩に掛ける。


琴実さまはピアノの手前に座り、ゆっくりとふたを開く。


あづささんは舞台中央で踊りの構えをする。


客席は静かになり、あづささんに視線を集める。


その時だ。


楓さまがピックでギターを少し叩く。


それが合図だったのだろう。


琴実さまのピアノと同時に、あづささんはバレエを始める。


だけどそれは、僕が知っているバレエとは違うものだった。


ジャズ調の曲のリズムに乗って、あづささんは軽快にステップを踏む。


どちらかというと、創作ダンスに近いものだ。


琴実さまのピアノと、楓さまのギターのリズムに完璧にシンクロしている。


しかし、ただの創作ダンスとはやっぱり違う。


元々バレエが巧いだけあって、所々にバレエの大技を盛り込み、それがメリハリとなって、とても綺麗な、誰もが凄いと思うようなダンスにしていた。


それにそれだけじゃない。


琴実さまと楓さまの演奏も全くのミスがなく、あづささんとの呼吸を全く乱さない。


琴実さまと楓さまの演奏技術と、あづささんのバレエの技術。


どちらかが欠けていても完成しない。


一種の芸術品のような、そんなとにかく凄いものだと思う。


そしてそれは後半になるにつれ、激しさを増していく。


ステップは力強さを増して、ジャンプは高さを上げていく。


疲れが増す後半は、パフォーマンスが落ちていく事が多い中でのこの演技には、強く胸が打たれる。


そしてその華麗なバレエの演技もやがてフィニッシュを迎え、演技が完了した瞬間には客席からステージへと、とても強い拍手が送られていた。


琴実さまと楓さまがそれぞれ左右からあづささんの手を握り、三人で肩らかに手を上げて、その拍手に答えている。


そして、その拍手が少しずつ小さくなると、一度舞台袖に引っ込んでいた純香さまと萌さまとつかささまがステージに戻る。


一回一回演技が終わるたびに、終わった人の演技を讃えてその後に、次の演技へと移動するようになっているからだ。


「凄いわねあづさちゃん。私も思わず息を呑んで見入っていたわよ人を飲み込むような演技ね。大好きよ」


純香さまはあづささんの演技を絶賛している。


純香さまは詩的な表現で褒めているのが、何となくあづささんの演技にあっているように感じる。


「うん。本当に凄い。つかさももう凄すぎて興奮しちゃってるみたい」


つかささまも強く賞賛している。


つかささまの場合、言葉自体がシンプルなので逆にそれがいいのかもしれない。


「萌も思ったよ。あづさちゃんの演技が綺麗で大好き。それに、琴実と楓ちゃんの演奏も息がピッタリで良かったよ」


萌さまは琴実さまと楓さまの演奏にも注目した褒め方で視野が広いのを感じさせた。


「ありがとうございますわ。ですけど、私にはあのような演技は当たり前に出来ますのでそんなに褒められるようなことじゃなりませんわ。次は機会があれば氷の上で演技をしてさしあげますので、その時は今日よりも更に華麗なものを見せて差し上げますわよ」


あづささんは三人の褒め言葉にも、やはりいつもの調子を崩していないようだ。


客席の方からもそのあづささんの様子に笑いとか歓声とか、様々なリアクションがあった。


そして、場が落ち着き始めたタイミングで萌さまが切り出す。


「それでは次だけど、次は誰がやるんだろうね」


そうだ。まだ最初の先陣を切ったばかり。


これから僕や雪美さんやみつきちゃんの番が残ってるんだ。


まだ集中を切らしたら駄目だ。


「じゃあ次はつかさがやるよ。みつきと聖華もいいよね」


どうやら次はみつきちゃんの番らしい。


出来れば僕も早く終わらせたいんだけど、少し残念だ。


「はーい。みつき頑張るからつかささまや客席のみんなも見ててねっ!」


みつきちゃんは呼ばれると、元気よくステージの上へと飛び出していく。


その後ろをゆっくりと聖華さまも追いかける。


みつきちゃんはいつの間にかシルクハットを被って黒いマントを羽織っていた。


その服装はまるでマジシャンのようだ。


「それではみつきちゃんも頑張りなさい。私の後だからといって緊張して失敗しないようにね。応援してあげますから」


あづささんはみつきちゃんに軽く肩を叩いてから舞台袖の方に戻ってくる。


そして純香さまと琴実さまと楓さまと萌さまもみつきちゃんにそれぞれ一言二言声を掛けてから舞台袖の方に戻る。


ステージの上にはみつきちゃんと聖華さまとつかささまだけが残る。


「みつきはね。この格好で想像がついちゃうかもしれないけど、マジックをします。だからちゃんとみてください」


みつきちゃんは先ほどの自己紹介の時よりも落ち着いているようだった。


「それじゃあまずはトランプを使ったマジックをします。まずはシャッフルからね」


みつきちゃんはいきなりシャッフルをするというと、トランプを取り出し宙に放り投げる。


当然トランプはバラバラになってしまう。だけど、それはみつきちゃんが右手をそっと伸ばすと、そのトランプはまるでみつきちゃんの手のひらに吸い込まれるように、一枚ずつ降りていく。


それは手品というより超能力のように僕には見えた。


「じゃあシャッフルも終わったからマジックを始めます。聖華さまとつかささまは一枚ずつトランプを引いてください」


「分かったわ。一枚引くわね」


「一枚でいいの?じゃあ引くよ」


聖華さまとつかささまは順番に一枚ずつカードを引いていく。


すると、みつきちゃんは聖華さまとつかささまに背を向ける。


「じゃあみつきに見えないように客席のみんなにカードを見せてください」


みつきちゃんの注文は非常にオーソドックスな物だった。


言われるままに聖華さまとつかささまはカードを見せる。


聖華さまのカードはスペードの9で、つかささまのカードはジョーカーだった。


「それじゃあそのカードを裏返したまま、みつきに返してください」


聖華とみつきさまは言われたとおりに、みつきちゃんにカードを返す。


今のところマジック自体は特別変わった物じゃないけど、これから何を見せてくれるんだろう。


「ねえねえ。みつきちゃんは一体何をするの?」


つかささまと僕と同じ考えだった様でみつきちゃんに続きを促す。


すると、みつきちゃんは一度つかささまに満面の笑顔を見せてから、二枚のカードを破り捨てた。


その行動に僕は思わず驚いてしまう。


「えっ!?みつきちゃんなにやったの?」


やはりつかささまと僕と同じだったようで、みつきちゃんに少々動揺した声で問いかける。


すると、みつきちゃんは客席の遥か後ろの方の一人の一年生に指を指して答えた。


「あの人のポケットの中につかささまと聖華さまが引いたカードがあります」


自信満々の表情で答えていたが、それは非常に驚きのものだった。


「凄いね。じゃあ読んでみようか。そこの一年生の子。ちょっと来て!」


聖華さまが呼びかけると、みつきちゃんに指された一人の生徒はすぐにステージの方に駆け寄ってくれた。


その人は僕と同じクラスの人で、僕の記憶の限りじゃみつきちゃんと一緒に居た記憶は無い。


だから事前にその生徒に協力してもらったのはちょっと考えにくい。


それだけに、本当にポケットから出てきたら凄い。


「えっと。じゃあこの子のポケットから私とつかささまが引いたカードが出てくるのね」


「はい。間違いなく二人が引いてくれたカードが出てきます」


聖華さまの最後の確認に、みつきちゃんは今までに見たことがないぐらいの自信に溢れた表情を浮かべる。


「じゃあちょっとポケットから出してくれる?」


「はっはい」


その一年生の子は若干緊張しているようだけど、すぐにポケットに手を入れる。


すると、明らかにその表情は変わっていた。


「あの………出てきました。だけど……自分は入れた覚え…………無いんですが」


明らかに驚いていた。


そしてその人の手には、間違いなくさっき聖華さまとつかささまが引いた二枚のカード。


スペードの9とジョーカーがあった。


客席からは驚きと賞賛の歓声が響く。


「すごーい。みつきちゃんマジック出来たんだ。カッコいいっ!」


つかささまも凄く純粋に、みつきちゃんのマジックを讃えていた。


「本当に凄いわ。みつき立派ね」


聖華さまもみつきちゃんの頭を撫でながら、優しく褒める。


するとみつきちゃんは笑顔でさらに続ける。


「ありがとう聖華さま。だけど……ね。みつきにはもうひとつ、すっごい手品があるんだよ」


「へえ。じゃあそれも見せて」


「はい」


みつきちゃんは聖華さまに撫でなれて嬉しかったのか、口調はいつもの様子に戻っていた。


だけど、手つきは決して普段見せないなれた手つきで、今度は何処に隠していたのか、袖口から一本の長いステッキを取り出した。


「じゃあ今からみつきがこのステッキでマジックをするから見ててね」


既に袖口から取り出しただけでも立派なマジックなのに、これから何をするのか、とても大きな期待が持てる。


思わず僕もワクワクしてしまう。


「じゃ見ててね聖華さま。……あっ、みんなも見ててねー」


みつきちゃんは聖華さまだけを見つめて言ってから、あわてて生徒の方にも手を振る。


それには客席の方から小さな笑い声が聞こえてくる。


それにみつきちゃんは少し顔を赤らめつつも、マジックを始める。


みつきちゃんはとても器用に、素早く、それでいて正確に長いステッキを操っている。


時折、新体操を思わせる機敏な動きや小さな足の動きを織り交ぜて、別の意味でも驚いてしまう。


そして、みつきちゃんは最後にステッキを高く宙に向かい放り投げる。


ステッキは当然クルクルと空中を回転するが、次にとても驚くことが起こる。


「えいっ!」


みつきちゃんは右手を空に掲げて小さく叫ぶ。


すると、ステッキは何と空中で急に落ちる速度がスローモーションのようにゆっくりになってしまう。


まるで超能力かなにかのような光景に思わず息を呑む。


客席からは驚きとざわめきが飛び交う。


そして、ゆっくりとみつきちゃんの手の届く位置まで落ちてくると、なんどみつきちゃんはそのステッキを小さく弾く。


するとステッキは跡形も無く消えてしまう。


「………凄いじゃない」


さすがの聖華さまもその出来事には驚きが少しながら見せてしまう。


「本当凄いよ。みつきちゃ……ってきゃ、はうっ!」


つかささまもみつきちゃんに駆け寄ろうとするが、急に足が止まる。


それもそのはずだ。


だって、いつの間にかつかささまの背中と制服の間に先ほどみつきちゃんが使っていたステッキが入り込んでいたんだから。


「ちょっと、みつきちゃん。聖華。取ってよぉ」


つかささまは突然の出来事に若干涙目になりながらみつきちゃんと聖華さまに助けを求める。


「ごめんなさい。つかささま」


その驚きの事態となった原因を作り出した張本人のみつきちゃんは頭を何度も下げながらつかささまに駆け寄り、ステッキを外そうとする。


聖華さまも少し笑いながらみつきちゃんと一緒にステッキをつかささまから外していく。


その様子には客席からもいくつか小さな笑いが聞こえていた。


しばらくして、その笑いが少しずつ引いていくと、みつきちゃんは前に出て最後の決め台詞を放つ。


「今のがみつきの必殺の念力マジックです。それではこれでマジックを終わります」


みつきちゃんが決め台詞を終えると、客席の方からわれんばかりの拍手がみつきちゃんに注がれる。


その喝采の拍手にみつきちゃんはとても嬉しそうな表情を見せていた。


そして、みつきちゃんの出番が終わったのを確認してから、純香さまと萌さまと琴実さまがステージ上へと上がっていく。


「みつきちゃん凄いわ。本当に立派なマジックよ。惚れ惚れしてしまうわ」


琴実さまが手を叩きながらみつきちゃんを讃える。


「ええ、本当に凄く綺麗で素敵なマジックね。まるでプロのように無駄の無いマジックだったわよ」


「うんうん。萌も凄いと思う。ステッキのなんて、萌は本当に超能力にしか見えなかったもん」


純香さまと萌さまも素直にみつきちゃんのマジックを讃えている。


「そうでしょそうでしょ。だってつかさのみつきちゃんだもん。当たり前だもんね」


つかささまも、自分が褒められているかのように、嬉しそうなリアクションを取っていた。


実際にはつかささまはほとんど何もやってない気がするんだけど、それは心の奥に封印して、これ以上考えないようにしないとね。


それはもちろんキングの三人も分かっているようで突っ込んだりはしない。


「ありがとうございます。みつきすっごく嬉しいです」


みつきちゃんも、みんなから絶賛されてとても素直に喜んでいた。


そのみつきちゃんの素直なリアクションには、あづささんの時とは違う反応が客席からは返ってくる。


本当にいろいろなリアクションが客席から来ると、やっている方もモチベーションが上がってくる。


「それでは、次の番だけど、どうするのかしら?まだやっていないのはクローバーとスペードの二人だけど」


琴実さまが突然次の段階へと話を振る。


僕としては、やる気が強いので今やりたい気持ちが強い。


純香さまに名乗り出てほしいと思う.


「じゃあ次は萌がやる。いいよね」


残念ながら先にみつきちゃんが名乗り出てしまった。


これでは純香さまの答えも予想がついてしまう。


「ええ。構わないわよ」


やっぱりだ。流れ的に断る可能性が皆無なのは分かってるけど、少し残念だ。


「それじゃ雪美ちゃんとしのぶは出てきてね」


萌さまは純香さまが了承するとすぐに雪美さんとしのぶさまを呼び出す。


するとすぐに、雪美さんとしのぶさまはステージの中央の方へと上がる。


その後入れ違いになって、純香さまとつかささまと琴実さまと聖華さまとみつきちゃんは舞台袖の方に戻ってくる。


ステージの上に残っているのは萌さまとしのぶさまと雪美さんの三人だ。


そして、雪美さんの腰に日本刀のようなものを差している。


「では私はこれからこの刀で居合い等の技を皆さんのご覧になっていただきます」


雪美さんは一度頭を下げてから、しのぶさまと萌さまの方へ向き直る。


その萌さまとしのぶさまの手にはいつのまにか、長さ五十センチ程度の竹が何本かあった。


「………まずは………一本……………からよ」


しのぶさまは相変わらずのぼそぼそしたしゃべり方で、竹を一本投げる。


「…………はあっ」


雪美さんはそれを自らの刀の間合いに入ったのを視認し、刀を一閃する。


当然投げられた竹は中央から横に切られ、二つになって床へと落ちる.


だけど、雪美さんは特に気にせず、更に続ける。


「先ほどのは練習です。次は四本で行こうと思います……しのぶさまと萌さま。お願いします」


客席の方に向かい、先に本数を宣言している。


雪美さんの居合いに対する絶対的な自信が感じ取れる。


「はーい。それじゃ次は萌も行くよ」


「分かったわ……雪美」


萌さまとしのぶさまも互いを確認し、それぞれが二本ずつを一斉に放り投げる。


しかし、投げる力加減を間違えたのか、四本の竹は全て高さがバラバラだ。


当然四本全てを切るなんて不可能に思える。


「………っん。はああぁっ!」


いつもとは違う雰囲気になって、雪美さんは小さく叫んだ。


その声を聞いて、先ほどの不可能という考えは間違いだったというのを悟る。


雪美さんはとても真剣な表情を見せ、一瞬で四本の竹を全て両断してしまった。


それは横から見た限りでは、本当に一太刀で四つの竹を斬ったようにしか見えない。


だけど、竹は空中で描く軌道も高さも違い一太刀で斬るのは不可能なはず。


だからそのありえないことをあっさりとやってのけた雪美さんは居合いの達人なんだと思う。


客席の方も雪美さんがやったことには息を飲んでいたようで、完全に沈黙していた。


「では……次をします。萌さま、しのぶさま。竹をそれぞれ一本ずつ投げて下さい。私はそれを全て縦に斬ります」


雪美さんはそういうと、一歩引いて、居合いの構えから剣道の正眼の構えに直す。


萌さまとしのぶさまは雪美さんから一歩引いて、竹を投げる構えになる。


だけど……縦に斬るなんて本当に出来るのか。


当たり前だけど、竹を縦に斬るのは横に斬るのとはわけが違う。


幅が狭すぎて、はっきり言って当てるだけでも難しい。


それに斬る幅も横と違ってかなり長くなる。


地面に置いて静止した状態であればともかく、空中で不規則に動く竹を縦に斬るのは、凄まじい動体視力と瞬発力。更に剣の速さが求められる。


いくらなんでも、無理では無いだろうか。


「それじゃ行くよ」


「……雪美…………投げるわよ」


しかし萌さまとしのぶさまは勢い良く同時に投げる。二本の竹はほとんど同時に、だけどやはり微妙にずれて雪美さんに近づいていく。


しかもどちらも、投げ方が悪かったのか不規則な回転までしている。


普通では、一本ですら難しいのに二本同時。


いくらなんでも、雪美さんは無謀だったのではとさえ思えてしまう。


「はあああぁぁぁっっっ!!!」


だけど、雪美さんは一度気合を入れると、同時に雪美さんの手から一瞬日本刀が消失したような錯覚を見てしまう。


僕は決して瞬きをした覚えは無いのにどうしてだろう。


それに竹も失敗したのか、二本とも床に落ちていく。


惜しくも失敗してしまったのだろう。


僕は思わずそう思った。


そして竹は床に落ちると、綺麗に二本とも中央から二つに割れて四つとなって地面に落ち、


竹は中央部を覗かせるように倒れる。


えっ!?


僕は思わず出そうになる驚きの声を抑える。


だけどこれは凄すぎる。


剣の軌道が全く見えなかった。


視認することも困難な速度で動かすなんて……


雪美さんには最初は、穏やかでか弱い天使のような印象を受けたのだけど、もう一つの一面を見せられて、そのギャップに見とれてしまっていた。


「それでは、次が最後です。しのぶさまが投げてくださった竹をこの刀で刺して見せます」


その雪美さんの言葉に、客席からは驚きと戸惑いの声が浮かぶ。


だって、竹という物は表面はかなり丸い。


しかも投げられただけなので、当然支えは無い。全く固定されていない状態の竹を、一突きにしてしまうなんて芸当はとても不可能ではないのか。


だけど……雪美さんはもう既に僕は不可能と思える芸当を二度も成功させてしまったのだ。


しかも完璧な形で。


その実績を見ると、やっぱり雪美さんならこれもあっさり成功してしまうんじゃないか。


そんな期待の方が僕には大きかった。


「それではしのぶさま。お願いします」


雪美さんはしのぶさまに一度丁寧に頭を下げ、その後は目を閉じている。


その様子からとても強く集中しているのが見て取れた。


「雪美………投げるわよ」


雪美さんが完全に集中したタイミングを見計らうように、少し間を空けてからしのぶさまは竹を投げる。


その竹はゆっくりと放物線を描いて雪美さんの持つ刀の間合いまで近づいていく。


そしてそのまま刀の間合いに入った瞬間。


「はっ!!」


それはあまりにもあっけない。


今までと違い、雪美さんは一瞬叫んだだけだった。


その後には既に雪美さんの刀には先ほどしのぶさまが投げた竹が綺麗に刺さっていた。


客席もあまりの一瞬の出来事にしばし呆然し……十数秒後に、遅れてやってきた拍手が雪美さんを包み込んだ。


雪美さんはその拍手に答えるように一度小さくお辞儀をしてから、刀から竹を抜いて鞘へと収めた。


その拍手の中、その雪美さんの演技に拍手を送りながら純香さまとつかささまと琴実さまがステージへと上がる。


「とても立派な特技よ。見ほれてしまったわ。流れるように美しい太刀筋だったわ」


純香さまが強く讃辞の言葉を送る。その言葉から純香さまの本当に率直な感想だと感じられた。


ただ、あの太刀筋が見えていたなんて……


純香さまの動体視力の凄さにも驚かされた。


「うん。雪美ちゃん凄すぎる。つかさ驚いて気がついたら眼が釘付けになっちゃった」


つかささまは見たままの感想を特に飾らずに口から出している。


「本当に見た人に強く印象を残す技だわ。素敵な特技ね。特にあの最後の突きは見事よ。まるで雷のように鋭く力強い物だったわ」


琴実さまも強く賞賛しているのが分かる。


だけど、あの突きが見えるなんて、琴実さまも純香さまに負けず劣らずの強い動体視力を持っているのが分かる。


「恐縮です。私のようなまだ……そんな…………だけどとても嬉しいです」


雪美さんは三人からの讃辞に少々戸惑っていた。


「……大丈夫よ。雪美の………演技は……私も…凄いと思う」


「あっ、ありがとうございます」 


だけどしのぶさまが同意してしまうと、一瞬顔を真っ赤にしてから、すぐに元気に戻る。


その様子に客席からはしのぶさまと雪美さんの仲を明るく冷やかす、そんな感じのざわざわが歓声混じりに聞こえてきた。


「それじゃ次はいよいよ最後のおおとりの出番だよ」


つかささまは客席の鳴り止まない歓声に、半ば割り込むような形でちょっと大きな声で切り出す。 


「次はスペードだけど純香は出番いいんだよね?」


「もちろんよ。渚、洸夜。出番よ!」


つかささまの問いかけに純香さまは力強く応じ、僕と渚さまの名を呼ぶ。


いよいよ僕の番だった。


だけど、不思議と緊張とかそういう失敗に繋がる悪い感情は心からスッキリと消えていた。


今までの三者三様の特技を見ていた事で、逆にリラックスする余裕が生まれたのだろう。


「行くわよ洸夜」


「はい」


僕は渚さまと共にステージの上へと再び上がる。


そして僕と入れ違いに萌さまたちは舞台袖の方へと戻って来る。


「頑張っちゃいなさいよ洸夜」


萌さまはすれ違いざまにそっと僕の肩を叩いて激励してくれた。


僕はそれに無言で頷き、ステージの中央に立つ。


「それでは僕は純香さまの指揮の下に、渚さまと共に……ヴァイオリンのデュエットをします」


僕は客席に向かい高らかに宣言し、手に持っていたヴァイオリンを構える。


渚さまも演奏が出来るように構え、純香さまは僕と渚さまの前にタクトを持って立つ。


純香さまは小さく指揮棒を振って出だしのリズムを整え、一気に大きくタクトを振るった。


それにあわせ渚さまは演奏に入る。


その後、数泊を置いて僕もゆ力強く弓を引き演奏を行う。


曲は純香さまが指定したパッヘルベルのカノン。


演奏自体の難易度は低くないけれど、純香さまの要求の高さによりそれは本来とは大きく異なる。


まず最初は渚さまは少しずつテンポを速める中、僕は一定のリズムを保たなければいけない。


そして少しずつ渚さまのテンポが落ち着いてきたところで、僕は今までよりさらに力強く弓を引き、少しずつテンポを上げていく。


この緩急のタイミングを練習では何度も注意された。


純香さまは完璧主義な人だった。


だから細部にまで徹底的に拘り、僕と渚さまも必死で純香さまの理想の演奏をかなえようと頑張った。


その練習という物は、今思えば非常に楽しいものだと思う。


半ばなし崩し的にスペードのジャックになった僕にとって純香さまや渚さまと過ごす時間はとても新鮮なものだ。


それは厳しくても、決して辛くは無い。


純香さまの心使いもあったのかもしれない。


練習は厳しかったけど、純香さまは常に笑っていた。


渚さまも一緒に笑い、僕もつられて笑う。


それが良かったんだろう。僕は今、厳しく楽しい練習の成果を発揮している。


客席の様子は、すっかりヴァイオリンを演奏する僕と渚さまに見入っていた。


視線が僕と渚さまの二人のみに集中する。


まるで視線という名のスポットライトが僕と渚さまを照らしているかのようだ。


クライマックスに近づき自然と演奏にも更に力が入る。


純香さまもそれを察したんだろう。


少しずつタクトを振る速度が加速していく。


僕と渚さまの二人の演奏もついに音が重なり、壮大で華麗なメロディーを奏でる。


ホールには音が反響し、それがまた美しい旋律を奏でる


それは正にホール全体が音楽という空気を全体で感受し、一つになるといってもいい。


やがて純香さまの振りも全身を使ったダイナミックに物になっていく。


これは終了が近い。


いっそう僕と渚さまは弓に力を入れ、最後の一音まで集中を切らしたりはしない。


純香さまのアレンジでは最後の最後で最大限に盛り上げ、一気にフィニッシュを決めるという予定だ。


なのでここでの失敗は今までの全てを台無しにしてしまうといってもいいまさに正念場。


僕と渚さまは純香さまの全身を使ったダイナミックな指揮にあわせ、むしろ集中力も上がっていた。


そして、その演奏も遂にフィニッシュを迎えようとする。


純香さまがひときわ高く飛び跳ねた。


それが合図となり、最後の一音を鳴らし終え、その終了と同時に純香さまは着地してポーズを決める。


僕と渚さまも最後の決めポーズを決めて、静止する。


演奏は終わったのだ。


客席からは演奏の余韻に浸っているのか、拍手や歓声はしばらく無く、静寂が与えられた。


それが数十秒。いや、実際には数秒程度だったと思う。


それだけ続くと、ホールのどこか一角から一つの小さな拍手が起こり、それは瞬く間にホール全体へと及んでいく。


盛大な拍手を送られて、僕は渚さまと純香さまに挟まれて、三人で一斉に静かに礼をして、そして遂に僕ら新生ジャック四人は全ての特技披露を終えたのだ。


やがて、鳴り止まぬ拍手の中、萌さまとつかささまと琴実さまがステージ上へと上がる。


「凄くかっこよかったね。さすがだよ洸夜ちゃん」


萌さまが優しく僕の頭を撫でてくれた。


それは少し恥ずかしく、ちょっとだけ顔を赤くしてしまう。


その様子には、客席から先ほどとは違った趣の歓声が沸き起こるのを感じる。


「本当に凄かったよー。つかさ感動しちゃった」


つかささまも萌さまと一緒になって僕の頭を撫でようとしてくる。


でも僕より背の低いつかささまは僕の頭を上手く撫でられずに、頬を撫でてくれる。


「やっ、やめてくださいよ」


くすぐったくて思わずのけぞってしまう。


「うふふ。相変わらずね。だけどとても素晴らしい演奏だったわ。純香と渚ちゃんとも息がピッタリあっていて、溶け合って一つとなったという表現でいいのかしら。本当にいい演奏だったわ」


琴実さまはそんな僕とつかささまと萌さまの様子を笑いながらも、しっかりと褒めてくれていた。


それが何だか凄く嬉しく感じる。

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