第42頁  赤色の先

 3月20日、午後3時、瑞穂山中腹。


「ムフフッ」


 下山する道すがら、僕はまた変な声が漏れて顔が緩くなっていた。でも、ご安心ください。狐さんとは先ほどひまわり畑で別れましたし、ここは村の人も不気味がって入山しない瑞穂山。なので、僕の顔面放送事故が誰かに見られることはないのです!


「ヌフフフフ」


 アサヒさんとの関係はもちろんなんだけど、最近では狐さんとも仲良くさせてもらってる。最初は木の影から見ているだけだった狐さん。彼女が勇気を出して話しかけてくれてから、楽しい時間を過ごせているんだよ。ヌフフ♪

 狐さんだけじゃない。僕は今までたくさんの異形たちと時間を共有してきた。出会ってきた彼らは誰一人として、僕に危害を加えない。やっぱり異形は人間の敵じゃないよ。


『人間を食べる異形はもう居ません』


 アサヒさんは以前そう言い切った。そう断言できるだけの根拠を、彼女は知っているんだろう。もし僕もその根拠を掴めたら、世界は変わる気がする。

 僕と狐さんだけじゃなくて、もっとたくさんの人と異形が楽しく過ごせる世界になってほしい。同じ時間を共有して、楽しく笑い合える世界になってほしい。


「よし!」


 ほしい、ばかりじゃなくて叶えよう! いつになるか分からないし、簡単な道のりでもないし、アサヒさんのこともっと知ってからだし、異形たちのこともちゃんと知って、それからそれから……とにかくやることいっぱいだけど、僕に出来ることから少しずつ頑張っていくぞぉ!


「頑張るぞ、えいえいおー!」

 バンッ!

「ひっ!?」


 そんなことを考えながら進んでいると、突然の発砲音。そして、僕の顔スレスレを飛んでいく弾丸が。後ろにある木に穴が空いている。少しでも位置がズレていたら、きっと僕の顔面に穴が開いていただろう。その事実に心が冷えた。


「え、人? すみません、お怪我は?」


 僕が驚いて固まっていると、茂みの中から一人の男性が。ハンターさんだろうか。その手には長銃を持っている。

 全くもう、危ないではないですか! そんな物騒な物を撃って。当たっていたらどうするのです! まぁ、変な声を響かせて顔面放送事故だった僕にも、少しは責任があるのかもしれませんが、この山にはアサヒさんや狐さんだっているんですからね! そもそもそんな簡単に発砲していいものではありませんよ、まったく。

 ありったけの文句を言ってやるぞ、と鼻息荒く意気込んでいると、それよりも先にハンターさんが口を開いた。


「申し訳ない。この山には人が居ないと思っていたので、物音で異形かと。本当にすみません。あぁ、ダメだなぁ、さっき異形を一匹駆除したから気が立っているのかもしれない」

「え……」


 彼がポロッと呟いた言葉に、怒りさえも抜けて僕の頭は真っ白になった。今、彼は何と言った? 異形を一匹駆除? そう聞こえたけれど、僕の聞き間違いですよね?


「全くどこから入り込んだのか……あ、安心してください。柵に異常がないことは確認しましたし、万一に備え今日はこの村に滞在しますから」

「……」

「たまたま通りかかれて良かったです。柵の付近で発見して、すぐに駆除しましたので、もう大丈夫ですよ」


 僕を安心させるためなのか、彼はニコニコと頼もしい笑顔を浮かべている。他にもハンター追加派遣の検討などつらつらと語っているけれど、正直そんなことはどうでもよかった。


 何が大丈夫なの? 何に安心しろって?


 あなたが撃った異形は、襲いかかってきたんですか? ただそこに居ただけじゃないの? そんな無抵抗で何も悪いことをしていない命を撃ったんじゃないの? この人は、どうしてそれを喜々として僕に語れるの?

 彼の笑顔を見ていたら、腹の底から腹が立った。だけどそんなことよりも……


「……ですか」

「え?」

「それはどこで! いつの話ですか!」

「えっと、西側の柵の近くで、10分くらい前でしょうか」


 撃たれた異形の方が気にかかる。気がつけば、僕はハンターの胸倉を掴んでいた。

 10分前と言えば、僕がひまわり畑で狐さんと話していた頃か。静かな山の中、銃声があれば気がつくことができたかもしれないのに、話に花が咲いて全く気がつかなかった。


「大丈夫ですか、やはりどこか怪我を?」


 サーと青くなった僕を見て、ハンターは心配そうに声をかけてくれる。身体を支えようと手を差し伸べてくれたが、僕はその手を振り払って全速力で走った。




※※※




「はぁ、はぁ……」


 冷たい空気が肺を刺す痛みも構わずに、僕は必死に足を動かした。


『異形を一匹駆除した』


 彼が発砲したのは10分ほど前。その弾丸が深部まで達していなければ、まだ救えるかもしれない。でも……


『命が消えるまで、撃ち続けます』


 アサヒさんの言葉と共に浮かんできたのは、真っ赤な光景で。嫌な想像を掻き消すように頭を振った。


「……」


 撃たれたのは、誰だろう。狐さんはさっきまで僕と一緒にひまわり畑に居た。だから違うよね?

 エルは? 今日アサヒさんと会った時にはその姿を見なかった。もしかして山の中を散歩している時に、ハンターに出会った?

 天狗さんやケルベロス、黒猫さんに雪だるまさん、花ネズミ、他のみんなも。今まで出会った異形たちの顔が頭の中を駈け廻る。それと同時に優しく僕に向けてくれた笑顔が、赤く染まった。

 ブンブンと頭を振って、嫌な想像を振り払う。彼らだけじゃない。まだ出会って居ない異形だとしても。どうか……どうか無事でいて。お願い、誰も死なないで。

 普段は境の奥で生活を送っている彼ら。失敗したら命の危険がある境の柵をぴょんと跳び越えてしまうのは、僕たち人間と仲良くしたいからだろう? そんな綺麗な感情を抱いて来てくれたのに、こんなのあんまりじゃないか。




※※※




「はぁ、はぁ……」


 息を切らしながら、やっとたどり着いたその場所。白色の雪が、ただただ真っ赤に染まっていて。今まで嗅いだことのないくらい、強く濃い腐臭が漂っていた。


 真っ赤に染まった中心地。身体を横たえているのは、5mは優に超えるであろう、竜だった。まだ息はある、竜の吐いた息が寒さで白くなっていた。そしてその近くには……


「アサヒさんとエル」


 竜の首元付近にしゃがんでいるアサヒさんの背中と、彼女の肩に乗っているエルの姿が見えた。


 アサヒさんたちも怪我した異形に気がついたのですね。良かった、彼女たちが来てくれているなら、助かるかもしれない。

 たくさん撃ち抜かれているみたいだし、エルは異形だから弾丸には触れられない。アサヒさんだけだと治療は大変だろう。僕に医学の知識はないけれど、何か出来ることはないだろうか。


 そう思い、彼女たちの元へ駆け寄ろうとした足はすぐに止まった。アサヒさんの手元を見てしまったから。


「なん、で」


 彼女は弾丸を取り除くためのピンセットも、消毒のためのガーゼも、何も持っていなかった。そればかりか、アサヒさんの手には血の一滴さえ付着していない。

















 治療は行われていなかった。

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